第19話「決意」
人ほど不平等なものは無いと、あたしはそう思う。
生まれた時から差があって、生きながらその差を嫌になるほど感じさせられる。
才能。富。地位。親の有無、友人の有無。
恵まれている、と何度か思ったことがある。勉強はそこそこ出来るし、金に困るほどの欲もない。親こそ居なかったが、それを埋めるくらいの友人は居た。今更欲しいものなど無いのだ。
だからこれは自分の為に行動しているわけじゃない。
金がいるのは必要になったから。だってこうでもしないと得られない。
……シエラはきっと嫌がるだろうなぁ、と苦笑しながらトレノは立ち上がった。
「トレノ、そろそろ時間だ」
「ん、分かってる」
その足は迷うことなく二階にある一番奥の部屋へと向かった。
セティもブレーヴも、怒ってるだろうし落胆しているだろう。でも覚悟は決めた。嫌われてもいい。彼らには是非とも手伝ってもらわなくては。
鍵を開け、軽くドアノブを捻ると扉は軋む音を立てすぐに開いた。トレノはあくまでポーカーフェイスを作り出す。
「さ、セティ、ブレーヴ。行こうか」
「……トレノさん、ですか。行く、とは?」
「檻の中。商品はちゃんと箱にしまわないとね」
セティは溜息を吐いた。ブレーヴは諦めた瞳でこちらを一瞥し、また元の視点に戻した。
大人しくトレノの手を借りて立ち上がった二人はもう、トレノ自身を見向きもしなかった。僅かに残った良心がそれに反応するも、それを殺す以外の方法は無かった。
ホールの外には古ぼけた馬車に積み込まれた木製の檻。人身売買の時、抵抗のしない相手に使われる頑丈な檻だ。――ちなみに抵抗する相手の場合は鉄格子を使用する。セティもブレーヴも抵抗などせずに、まるで全てのことに無関心になったかのように大人しく檻の中へと入って行った。そしてセティたちの檻に布が掛けられて、姿が見えなくなる。
馬車に乗っていた取引先の使者が顔を出す。と言っても、スラムの貧民相手に甲冑姿。本来の顔は全く見えもしない。
「これが約束の金額となります」
「……ええ、はい。確かに」
紙袋に入った札束。トレノはそこから半分だけ出すと、パラパラと捲って確認する。
流石はロスト。普通の人間などとは大違いの桁だ。最も、普通の人間の金額など噂程度しか知らないのだが。ともあれ、これだけあればスラムの子供たちを教育することも、明日の食べ物に困る事も無くなるだろう。
トレノは満足気に頷くとホールの方へと踵を返した。後から馬の床を駆ける音が聞こえる。
さようなら、ブレーヴ。――さようなら、セティ。あたしの非道を許して下さい。……もう会うことはないでしょうけれど。
☆
「デロイト、お疲れさま。飲み物持ってきたの」
「おおシエラ、助かるよ。でもあんまりここにいるなよ? もう夜だしな、ちゃんと帰って寝ることだ。大きくなれんぞ」
「うん、分かってる」
デロイトは実に簡単に落ちた。シエラ自身、日頃の行いが良いのだろう、皆から相当可愛がられて育っている。だからその行動に誰も怪しむものはいないし、まさか睡眠薬入りだなんて思ってもみないだろう。
飲んだ瞬間に薬が周り、カップを落として机に突っ伏す彼のぼやけた瞳を前に、シエラは両手を合わせて『ごめん』のポーズを取った。
デロイトは優しい人だ。きっと許してくれるだろう、……多分。
すぐさま鍵の掛かった壁に飛び付く。沢山あるそれは、まだ読み書きが得意でないシエラにとってとても困難なものだった。
「ええっと……これ、どうしよう……ちゅう、ぼう……、かい……? し、つ……?」
辿たどしく読み上げていくも、あまりに多い。このままでは時間が掛かって仕方が無い。シエラは片っ端から鍵を引っ掴んで管理室から出ていった。そのままフラムのいる部屋へと駆けていく。
「おにーちゃん、ちょっと待っててね!」
「持ってきたか!?」
「いっぱいあって分かんないから全部ためすの!」
「ええ…………」
鍵穴に差し込んでは引き抜き、差し込んでは引き抜き――。何回もガチャガチャと乱暴に回しては違うと投げ捨てる。そんな行動をしているうちに、当然その部屋の鍵は姿を現した。
まるでパズルの最後のピースが嵌る音。シエラは勢いよく頷くと扉を開けた。中から明るい赤の髪が姿を現す。
「よくやった、シエラ!」
「ふふん、もっと褒めてもいいんだよ」
「さすがシエラ! シエラさまかっこいい!」
「ふっふーん」
得意気に両手を腰に当てて胸を張った彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。きゃっきゃっと喜ぶ幼い少女を見て、もう少し撫でていたいと思うがそうはいかない。
フラムは気合を入れるために大きく深呼吸をした。
「よしっ! じゃあ行くか!」
「…………どこに?」
「ホール? こそっと二階に登ってそこから登場。皆をびっくりさせるんだ!」
「そんなことしたらまた捕まるよ?」
「じゃあなんだ、取引先のとこに殴り込みか? そっちの方が勝率低いぜ?」
「うう……」
仕方ない、とシエラは頭を振る。そんなシエラをよそに、フラムはいつもの通り軽く笑ってみせた。正しくアクアエリクサーに昇る太陽のように。
「なっ、行くか!」
「ええっと、みんなを説得できればシエラたちの勝ちなんだよね?」
「そういうこった!」
言ってフラムは駆け出した。足音を立てず、しかし確実に。フラムはすばしっこいとスラムでは有名なのだ。鬼ごっこで捕まえられるものはいないし、隠れんぼで見つけられるものもいない。シエラも何度か遊んだことがあるが、いつも勝たせてもらっている為本気で遊ぶフラムを見たことは無い。
地下の響きやすい空間にも関わらず、響くのはシエラの息遣いのみ。幼い少女の軽い足音よりも音を立てない、正確な足の運び方。シエラは思わずほぅ、と息を吐いた。
間もなく階段に差し掛かる。地下から二階への階段は繋がっているも同然。ここを登ればすぐに一階を見渡せる二階の廊下へと出る。
フラムはシエラを振り返ってウインクしてみせた。人差し指を口に当てて、しぃ、と静かにのポーズを取る。息を呑むシエラを置いていかぬようゆっくりと移動して、目的地へと到着する。
「せーの、で行くぞ」
「う、うんっ……!」
「――……せー、のっ!」
廊下の壁の影からばっと飛び出す二つの影。いきなり現れたそれに、一階に集まった者達の間にどよめきが走った。
「みなのどもーぅ! かしこまれぃ!!」
「か、かしこまれー!」
「……………………………………は?」
☆
「残念だったねフラム。もう二人共行っちゃったわよ」
腕を組んでトレノが二階に居るフラムを見上げる。対するフラムは手を額に当て軽く唸った。
「あっちゃー、遅かったか」
「今更そんなとこに居られても困るんですけど」
「じゃあ助けに行くぞ」
「…………」
尚も余裕を体現した笑みを崩さず、フラムはトレノを見下ろす。じろりと睨む彼女の顔に一切の物怖じなどはしなかった。
「助けに行くって、あんた相手が誰か分って言ってるの?」
「ああ、領主だろ?」
領主――バイゼル・クラウドス。前領主に成り代わってその席に座ったアクアエリクサー現領主だ。
彼は前よりはマシ。そう言う下層の人達は後を絶たない。即ち彼は下層にも目を向けてくれたのだ。だが目を向けてくれただけ。前よりマシという理由で我慢する人は多くいた。
上層の民を優遇し、金が回ってくるのはほんの少し。しかし表通りのように賑わう分には問題無い。表向き良し、裏から見れば最悪、そんな具合だ。前領主は民から金を巻き上げて自分の為に使っていたわけだから、これでも本当にマシな方なのだ。
今回の一件を取り合ってもらえたのはロストが売れるから。数少ない健康な人種がほぼタダ働きさせられるならそれは素晴らしいことだろう。
「ついでに領主の野郎をぶっ潰す。クーデターだ」
「……はあ、あんたってもしかしてすっごく脳筋?」
「な、誰がだ!」
「周りを見てよ」
言われてトレノの周りを見る。皆の頭は下がっていて、どうも士気が足りない。
トレノの隣に立っていたロイが口を開く。
「領主サマは立派な駒を持ってんの。双子のラセニア兄弟」
「ラセニア……? って、あの――」
「そ。市街憲兵一番隊双隊長、タウラス・ラセニア、ハイザス・ラセニア」
サア、とフラムの血の気が引いた。
アクアエリクサーの市街憲兵は相当強い。市街憲兵だからと舐めてはいけないほど。今の時代、街から出なければ戦闘とは一切無縁で過ごせるほど人は少なく平和である。が、一歩外を出れば賊はそれなりに数がいる。オルセイアほど大きな都市となれば賊はたかが数人ほどで乗り込んだりはしないが、アクアエリクサーは比べて小さい都市。おまけに海の向こうから運ばれてくる食糧のおかげで下層であっても餓死する人などいない。だからアクアエリクサーは格好の餌食でもある。それを防ぐのが平均一隊七名ほどの一番隊から三番隊までを有するアクアエリクサー市街憲兵なのである。
その最強と謳われる一番隊双隊長、ラセニア兄弟を前に素人集団が勝てるわけがないのだ。
トレノの冷たい目がフラムを見つめた。
「どうするフラム? あの二人を前にあたしたちが束になっても勝てるとは思わない」
「そうだね、上層は裕福だ。領主に不満などあるわけないし、あっても彼らは依頼人を粗末に扱ったりしない」
「…………おにーちゃん」
ホール中の視線を集める。黙ったままのフラムを前にトレノは諦念を込めたため息を吐いて背を向けた。……少しだけ期待したのに、と。
刹那、
――ドン!!
と、凄まじい風が真後ろから沸き起こる。吃驚してトレノは大きく目を見開いて振り返った。
あれだけあった距離を、あの高さから、フラムは――飛び降りたのだ。
「……いてて」
「な、なにやってんの!? 痛いに決まってるでしょ、大丈夫!? 立てる!?」
じんじんと痛みが響く足を叩いて無理矢理立たせる。慌てて階段から降りてくるシエラを横目で見ながら彼は大きく息を吸った。
「――助けに行くぞッ!!」
「……はぁ? あんた話聞いてた? 無理だって言ってるんだよ」
「それでも行く。なんなら僕一人でもいい」
「ちょ、」
未だ困惑した顔の皆を放って、フラムは前へ進み出た。強い眼差しでホールの出口へと向かっていく足を、止められる者はいない。そう誰もが思った瞬間だった。
「待て」
「……ロイ、今更止めようったって――」
「――無駄なのは知ってる」
彼が何かを投げる。それをフラムが受け取る。きらりと光ったそれは焔の如き赤い宝石の散りばめられた柄と、それが収まった鞘。金の装飾はうねり、葉の紋様を描いて柄に伸びる。鞘から抜き取ってみれば、それは白銀の輝きを持った立派な剣だ。
フラムは息を飲んだ。
「どうしたんだ、これ……」
「剣の稽古くらい、幼い頃にしたろ?」
「だからってこんな高そうな剣、買う余裕なんて――ッ」
「それは息子のさね」
ロイの後ろ側から聞き慣れた女性の声がした。そこには『陸の珊瑚礁』女主人、ミシェリア・ミースが立っている。いつもと変わらない柔らかな表情で彼女はフラムを見つめた。
「おばちゃん……」
「息子が昔使ってた剣さ。持って行きな、必要なんだろう?」
「まあ俺の分もあるから安心しな」
そういってロイはフラムの持つそれよりは劣る、だがしっかりとした剣を掲げた。
「一度兄弟と呼んだ者を見捨てる訳にはいかない、そうだろ?」
「ッ――! 分かってるじゃんッ!」
そしてフラムは太陽の笑みを浮かべた。不敵な笑みはまるで怖いものなどこの先に一つたりともない、と豪語しているようで周りにざわめきが起こる。ひとつ、ひとつと声が上がって、次第に士気を高めていく。
ただ一人、ぽつんと置いてかれたトレノが呆気に取られたように口を開けて、それを長い溜息に変えた。
「っはあぁぁぁぁ……」
「んだよトレノ、今更止めたってもう遅いからな」
「あんたってほんと馬鹿よね」
「なんだとぅ!?」
ちらりとロイの方を見るとロイは両手を合わせて『ごめん』のポーズをしていた。そしてまた溜息。トレノは腹を括って声を張り上げる。
「いいよ、やってやろうじゃんっ! 付いてこれなくても知らないからねッ!」
「それはこっちのセリフだ牛乳女!」
「うっせぇ鳥頭!」
「間違っちゃいないな」
「ロイてめぇッ!?」
やっと自分たちらしくなってきた、と言ったところか。やり取りを楽しみながらも歩き出す。
この足を進ませるのは簡単だ。ならこの街だって、きっと変えるのは簡単なのだろう。フラムは周りに付いてきてくれた大人達とハイタッチを交わす。たまにグッと堅い握手を交わす。ロイとそれをして、最後にトレノともした。
「行ってらっしゃい、おにーちゃんたち」
「無事で帰ってくるんだよ! 傷一つ付けて帰ってきてごらん、どうなるか分かってるね!?」
「はは、おばちゃんこえー」
後ろから今回参加しない女性陣の声に苦笑しながら、一行は領主の家へと向かった。
「さあ、兄弟を助けに行こうぜ――ッ!」
月はまだ昇ったばかりだ。