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第1話「オルセイア」

 心地よいそよ風が頬を撫でる。


『セティ』


 優しい声が聞こえた気がして、うっすらと目を開けた。

 ぼやけた視界の端に誰かが居る。


 ――誰だろう。


「おかあ、さま……?」

「ん、って、うぉっ! どうした、どっか痛かったか!?」

「――へ?」


 顔をのぞき込んだのは優しい母ではなく。

 全く別で、しかも知らない白髪の男性。

 セティは驚いて目を見開いた。


「!! っだ、だれ……!? ハッ! もしかしてこれが噂の……!」

「?」

「変態さん!?」

「誰がだぁぁ!!」


 反応からしてなんだ、違うのか。

 ん? 違くていいのか。

 目の前の白髪の青年は、割と幼い顔をしている。

 悪そうな人にはとても見えなかった。

 青年はこめかみに手を当ててため息を吐いた。


「ったく、人が心配してるっつうのに……」

「はぁ」

「で、なんで泣いてたんだ?」

「は?」


 手を目元に当ててみた。


 ――ああ本当だ。言われるまで気付かなかった。


 はて。理由がさっぱり見当たらない。

 無意識に首を傾げていたのか、青年はその行動で聞いても無駄だと理解したようだった。


「さて、自己紹介がまだだった。お前の母さんにお前のことを頼まれたんだよ。俺はブレーヴだ、よろしくな」

「あっ、はい! わたしはセティ・モンドです! あのっ」

「ん?」

「お、お母様は……それにここは一体……」


 記憶が途中で途切れているのだ。

 確か――怖そうな女の人がやってきて、というところまでだろうか。

 あの後何があったのか。母に頼まれたというこの人なら、何か知っているだろう。


「ここはベル森だよ」

「へ?」

「正確には、ベル森から少し離れた場所だけどな」

「え、だって」


 セティは反論の意を示す。

 それもそのはず。ここには何も無い。

 森と呼べるような木々も。

 ――セティの住むベルスーズスの村は、ベル森に囲まれていた。

 森の結構奥の方にひっそりとあって、誰も立ち入ることが無かった。――少なくとも、セティが生きた三十年間は。

 だから、この森は広いはずなんだ。

 それが全て、跡形も無くなるなんて、ありえない。


「それでもここはベル森だった場所だ」


 ブレーヴが至って真面目に告げる。嘘をついているようには見えなかった。


「お前、ロストだろ?」

「え、ええ。そうですが……」


 言いながら、ちらりと肩を見た。

 そして気づいて、ぱっと顔を上げる。


「もしかして、スパリーレが?」

「それなら良いんだけどな」


 ブレーヴの顔は悲しそうだ。

 スパリーレじゃない?

 それなら一体何が――


「――アレスロストだ」

「あれす、ろすと……?」


『彼女は叫びました。

 再び誰も居なくなった世界で、彼女はただ一人、嘆きました。

 それは彼女にとって絶望。

 その想いを汲み取るように、そして世界は消え去りました。』


 まるでそう、これはあの本のように。


「本人の意思に関係なく、全てを飲み込み消してしまう。言わばスパリーレの暴走だ」

「そんな……」


 彼の言ったことは正しかったのだ。全て。

 あの溢れ出るような力も、弾ける音も――目の前で消えていく母も。

 夢ではなく、確かに感触が残っている。


 ベルスーズスの村は消えた。


 跡形もなく。


 他の誰でもない。


 ――セティの手によって(、、、、、、、、、)


「そんな、うそ……」


 愕然とした。

 俯いて、目を見開く。視界が歪んで大粒の涙が零れた。同時に嗚咽が漏れる。

 涙は生い茂った草を濡らすのではなく、何も残らない地面を濡らしている。

 それがまた悔しくて、穴が開くほどその場所を見つめた。


「ああ、えっと、泣かせるつもりなんじゃなくって……いやでも泣くような話だな。ううん、えっと……」


 ブレーヴが焦ったように声を出した。

 ――そういえば、一人じゃないんだった。

 少しだけ涙を止め、赤く腫れた目で虚ろに見上げた。

 思った通り、彼はものすごく困った顔をしている。


「いえ、すみません……」

「別に謝ることじゃ!  こっちこそごめんな」


 ブレーヴは申し訳なさそうに頭を下げると、ポケットから一枚のハンカチを取り出した。

 それをセティに差し出すと、安心させるように微笑んでみせる。

 セティはそれを受け取ると、涙を拭って、彼に返すように笑った。


「えっと、ありがとうございます」

「いえいえ。お前はこれからどうするんだ?」

「……」

「決まってないなら着いてくるか?」

「? ……どこか行かれるんですか?」

「ああ。オルセイアって大都市でな。ロスト協会からロストに招集がかかってるんだ。セティは違うのか?」


 はて、とセティは首を傾げる。

 生まれてこの方、ロスト協会の名前すら聞いたことがない。

 その様子で察したのか、ブレーヴは納得したように口を開いた。


「そうか。でも多分来た方がいいだろうな。どうする?」

「行きます」


 即答だった。

 セティには、まだ目標も、目的も何一つ無い。

 だからこそ、まずは手始めに。

 何かを見ておきたかった。世界を見たかった。

 ずっと出られなかった、外交を絶ってきた村という箱の外へ。


「わたしは行きたいです。世界を見たいです」

「決まりだな」


 ブレーヴはフッと笑って立ち上がる。

 そしてセティに手を差し伸べた。


「さあ、出発だ」


 この手を取ったら、村と別れなければならない。

 この手を取れば、何かが始まる。

 迷いはない。


「はい!」


 もう泣きたくない。きっとこれ以上の悲しみはない。

 世界の全てを見尽くすまで、私は生きてみせると。

 村のあった場所を見て、心の中でそう呟いた。


 ☆


 そして二日が経った。


「ほえぇ……」


 セティはそれを見上げて、歓声と驚きの声を上げていた。

 大都市オルセイア前、巨大な門がそびえ立っている。

 ここは昔、世界で一番の王国だったらしい。

 その名残が、今でも消えずに残っているのだそうだ。

 と、入国手続きを終えたブレーヴが駆け足で戻ってきた。


「セティ、待たせたな」

「いえ、大丈夫です。それにしても、大きい門ですね」

「ああ、ここは昔、軍を持っていたから」

「軍、ですか?」


 首を傾げる。


「王国と王国が戦うための兵隊の集まり」

「へえ」


 セティはまた巨大な門を見上げた。

 確かに、よく見れば所々傷が付いている。


「さあ、行こうか。はぐれるなよ」

「は、はい!」


 門が大きな音をたてて開く。

 一体何人の人が稼働するのに必要なんだろうか。

 ――謎だ。

 そもそも裏はどうなっていて、どういう風に作られていて、


「セティ?」

「はい!」

「どうした、考え事か?」

「あ、いえ、なんでもないです」


 謎に浸っている間、既にブレーヴは門をくぐり終えていて、セティは慌ててそれに付いていった。

 門をくぐり終えると、街があった。

 ――当たり前なのだが。

 セティの住んでいた村の数倍、いや、数十倍にものぼる土地の広さ、だと思う。

 どこを見ても人、人、人だらけ。

 カラフルな家や店が軒を連ね、遠くの方には大きな時計塔が見える。

 時計塔を囲うように作られた建物は多分、アレが城というやつだろう。


「どうだ? 俺は何回も来たことあるけど、いつ見てもすげぇよな」

「わ、わけわかりません……!」


 村では見たことのないものばかりで、本当にわけがわからない。

 こんなに多くの人を見たのも初めてで、少し酔ってしまいそうだった。


「さてと、まずは飯かなぁ」


 ブレーヴが頭をかきながら呟く。

 確かに、もうここ二日も食べていない。

 ロストは最高で三日間食べなくてもいい体なのだが、流石に腹は減った。

 ブレーヴは縫うように人を上手く避けてスタスタと行ってしまう。

 それに必死になって付いていこうとするのだが。


「あたっ」

「おいおい気をつけろよ」


 ぶつかる。


「うっ」

「あら、ごめんなさいねぇ」

「あっいえ、こちらこそ」


 ぶつかる。


 何回か人にぶつかっているうちに、とうとうブレーヴの姿が消えた。


「薄情者ですね……!」


 セティはぷんすかと腹を立てながら、端っこに寄る。

 というか、あの人が居ないとここがどこか分からないのだ。

 丁度パン屋の軒下に来ていて、パンのいい匂いが漂ってくる。

 しかしお金を持っていない。


「困りました……」

「お嬢ちゃん、何かお困り事かい?」


 途方に暮れていると、どこから現れたのか。

 傍らに中年の男が立っていた。


 ――いつの間に。


「人とはぐれてしまったんです。白髪の、背の高い男性で」

「ほう、それはそれは。なに、おじさんが一緒に探してあげよう」

「良いんですか! ありがとうございます!」


 セティの沈んだ膨れっ面は途端に明るくなり、輝かせた瞳で男に頭を下げた。

 男はにこやかな笑みを崩さずに、


「さあ、ついておいで」


 と手招きする。

 セティは助かった、と思いつつそれに付いて行った。

 パン屋の前から出発し、路地裏を抜け、住宅街を抜け、また大通りに出たかと思いきや、今度は人気のない場所。

 流石に工場が見えてきた辺りで「……ん?」となった。


「あ、あの……」

「ああ、もうすぐだから」


 はて、何がだろう。

 ブレーヴを探しているだけだったはずだが、目的地があるという。

 いつの間にか連絡をとってこちらに待ち合わせでもしていたのだろうか。

 と、男はやはり笑みを崩さずに一つの工場の中へ入っていった。

 中は廃工場らしく、屋根には度々穴が開いていて、陽の光を呼び込んでいた。

 使われていない機材が埃を被っている。何を作っていたのか検討も付かなかった。

 男が向かった先には数人の男性が居て、何やら話し込んでいる様子だ。


 ――ちょっと流石に本当にこれはやばい気がしてきた。


 ここまで気付かなかった自分を恨みつつ、どうしようと考える。

 とりあえず男達を観察しておく。

 笑みを浮かべていた男が、数人のうちの一人から小さな封筒を受け取っている。


「さあお嬢ちゃん、この人に付いていってごらん」


 ――この人、流石に自分のことを馬鹿にしすぎではないだろうか。


 明らかにやばい雰囲気を漂わせておいて。

 脳内思考は何故か冷静に働くくせに、足がガタガタの震えて動かない。

 賊ほどでは無かったが、こちらもこちらで怖さはあるのだ。

 逃げなければ。


「どうしたんだい」

「い、いえ、あの……」

「早くしないとッ――」


 瞬間、倒れた(、、、)


 一瞬何が起こったか分からなかったが、確かに『スコーン』と小気味よい音が鳴ったと同時に目の前で手を伸ばしていた大の男が地に倒れたのだ。

 吃驚して腰を抜かして座り込みながら、まじまじと男を見る。

 おでこの辺りが赤くなっていて、近くには黒いハイヒールが転がっていた。


「あらあら、まだこんな商売してる人が居たのねぇ」


 後ろから声が響いた。

 慌てて振り返ると、入口付近に女性が立っている。


「こんにちは、オジサマ方」


 女性が不敵に笑う。

 ちっ。

 どこからか舌打ちが聞こえてきた。


「いや、相手は一人だ!」

「今のうちに逃げるぞ!」


 男達は皆、荷物を乱暴に持って、入口とは反対側へ逃げていく。

 女性はその行動を見てから、読んでいたようにくるくると持っていた長い棒を回した。よく見ると槍のようだ。


「逃がさないわよ」


 トン。

 槍の柄の先が地面に触れる。

 その瞬間だった。


「うわあ!」


 床をぶち抜いて、巨大な木の根が出現する。

 木の根はまるで意思を持ったようにうねうねと動き、男達を拘束していく。


「クソッ、ロストか……!」


 ――ロスト?


「一応、自治団体に引き渡さないといけなくてね」


 女性はため息を吐き、『めんどくさ……』と口にしたあと、セティにつかつかと寄ってくる。


「大丈夫?」


 そして声をかけ、手を差し伸べた。

 その手を取り、セティは慌ててお礼を言う。


「あ、ありがとうございます」

「いいのよ」

「あの、あの人たちって……」

「ああ、人身売買の商人よ」

「じんしんばいばい?」


 セティは小首を傾げた。

 知らないのね、と女性は呟いてから、


「人を売る人の事よ。最近は出生率が激減しているから、子供が欲しい人がたくさん居るのよね」


 と説明する。

 ほーとセティは納得して、あっと声を上げた。


「わたし売られちゃうんですか!?」

「え、今? 今気付いたのもしかして」

「セティ!」


 女性が呆れと驚きの声を上げる中、男性の声が響いた。

 声のした方を見ると、ブレーヴが駆け寄ってきていた。


「無事か!?」

「あ、はい。ピンピンしてます。この方が助けてくれて――」

「遅かったわねブレーヴ」


 ――はて。

 知り合いだったのだろうか。


 ブレーヴは息が整うのを待ってから、女性に声をかけた。


「ありがとう、ロゼ」

「ロゼ『さん』でしょうが」

「いや本当、たまたまトレノが通りかかってくれて良かった……」

「あの子見ないようで周りをよく見ているからね」

「あ、あの」


 親しげに話している二人を見上げ、首を傾げながらセティは問う。


「お二人って……」

「ああ、紹介が遅れたな」


 ブレーヴがロゼと呼んだ女性を紹介する。


「こちら、ロゼ・クローチェ。ロスト協会創設者の一人だ」

「よろしく、お嬢さん」


 ロゼは腰に手を当てて、挨拶した。

 胸元の木製の十字架のネックレスが揺れる。

 長いスカートから覗かせたスラリとした脚の太腿には、ロストの印である痣が付いていた。

 間違いなく、ロゼはロストのようだ。


「セティ・モンドです、よろしくお願いします!」


 セティはぺこりとお辞儀した。

 その時、遠くの方から数名の足音が聞こえた。

 すぐに扉から顔を見せ、


「密業者はここか!?」


 男性の罵声が響いた。


「あ、自治団体さんじゃないですか」

「ロ、ロゼさん! 現状は?」

「見ての通りよ。捕まえといたわ」

「ご協力、感謝致します!」


 自治団体の一人が頭を下げ、それから拘束された犯人達を引っ張って連れて行ってしまった。


「さあ、私達も行きましょうか」


 ロゼが声を上げたその瞬間。


 ぐきゅるるる。


 セティの腹が鳴った。

 途端に彼女は赤面する。自分でも耳の先まで真っ赤なことが分かった。

 廃工場は割と響くから、余計に恥ずかしい。

 ロゼは口元に手を当てて笑った。


「……ぷっ、いいわ。まずはご飯ね」

「ううぅぅ……すみません」

「気にしないで、さあ行きましょう?」


 今度こそ、逸れないようにとセティは用心しつつ着いて行った。

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