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第17話「青」

 朝は爽快そのものだった。

 周りは白くて青い。ベッド脇の窓を見れば大きな雲がもくもくと上り、青いキャンバスに色を塗っている。カモメが海の上で鳴いて、白い帆の上に泊まった。

 セティはその寝ぼけ眼で起き上がり、周りを確認して再度布団に潜り込もうとして目が覚めた。


「あれ、ここどこでしたっけ……」


 ロスト協会じゃない。

 青いベッドテーブルの上に置かれた黄色の花を見詰めて、そういえば、と思考を巡らす。

 昨日のうちにアクアエリクサーに着き、それから昼を歓迎と共にご馳走してもらい。そして宿に来て一息ついたのだ。もちろん午後にはどこを回ろうかなどと考えてもいたが、馬車に乗っただけなのに旅の疲れが尋常じゃなかったので断念。そのまま倒れ込むようにしてベッドに入ったのだった。

 折角来たのだから、一日も早く遊びたいという気持ちがあった。セティは焦るようにベッドから抜け出そうとする。

 ――と、そこへ。ばたばたと廊下を駆ける音がした次の瞬間。ばたんっと勢い良く部屋の扉が開き、元気な少女がまるで風のように姿を現した。

 キャミソールにショートパンツ、とラフで動きやすい格好をした彼女はぴっかぴかの笑顔で、


「セティ朝だよお出掛けしよ!!」


 一息つく暇もなく言い放った。


「…………………………ほえ」


 セティが目をぱちくりさせながら気の抜けた返事をすると、トレノの顔がむすっと歪む。今日は一段と機嫌がいいようだ。

 トレノはズンズンと歩を進めると、セティの布団をむんずと掴んで声を張り上げた。


「ほえ、じゃないよセティ! ほら、さっさと起きる!」

「もう起きてますよ! って、わ、わ!」


 がばーっと布団を取られ行き場を失った少女がベッドから逃げ出すと、トレノに首根っこを掴まれる。

 飛びっきりの笑顔が眼前に現れた。


「は・や・く!」

「き、着替えますから離してくださいー!」


 すぐにトレノは『下で待ってんねー』と上機嫌でぱたぱたと駆けていった。風と言うより嵐だ、と呆然としてため息を吐く。

 セティは朝から忙しい人だ、と寝間着のボタンに手を掛けながら呟いた。


 ☆


「で、お出掛けってどこに行くんです?」


 仁王立ちする彼女の後ろから声を掛ける。

 宿屋で食事を済ませ、準備は一応万端だ。

 今日は男性陣は居ないようで、この二人でのお出掛けとなると……と考えはしたが、セティの頭では特に思い当たることも無かった。そもそも何があるのかを知らない。トレノだったらどこに行ってもらしいな(、、、、)、と思ってしまう。

 トレノは得意気に振り返って人差し指を立てた。


「あたしの故郷!」

「ここではなく?」


 セティが地面を指差し首を傾げ、違うよー! とトレノが反論。


「スラムの方!」


 一度見せておきたくて! と彼女は笑った。

 聞けば、本当はフラムとブレーヴも一緒に行きたかったんだけど、男性陣はロイに連れてかれちゃった、とのこと。それならばこちらもスラムで遊んでやろう、とセティを誘ったようだった。

 この街の上層は、一番下。所謂港近くであり、下層は丘の上となる。セティたちが入ってきた門周辺が丁度下層となり、更に隅っこに追いやられた場所がスラム。雨風に晒され灰色になった白壁の家々が建ち並んでいる。家の形はほぼ四角。上層や下層で良く見られる青い屋根は見当たらなかった。


「ここがスラムですか?」


 下層の街並みは人通りが多くとても賑わっていたが、少し道が入り組み始めると途端に人が少なくなった。灰色の建物が見え始めると聞こえるのはゴミを漁る鳥の声やどこからかはしゃぐ子供の笑い声。朝から頬を紅潮させ酒瓶を手に集う大人達を横目で見ながらセティはトレノの後を着いて行った。

 なんだかあんまり裏都市の住人(ヴィクタム)が住む場所と変わらない。しかし――人々は笑っている。静かだが、それでいて暖かい場所だ。

 トレノが満足気に頷く。


「うん、あたしの出身地」


 一息。


「強く生きることに誇りを持つ場所だ」


 その横顔は確かに、誇らしそうだ。

 セティはトレノを見ると、感心した。みんながみんな、強く生きている。

 トレノはにっこり笑って、こっち、と走り出した。慌ててセティもそれに着いて行く。

 裏路地ではないからオルセイア程ではないが、ここもそれなりに入り組んでいた。家と家がブロックのように積み上げられ、足場はたまに階段を使っている訳でもないのに屋上になる。かと思えば地に着いて、まるでアスレチックだ。

 暫く駆けて、トレノが急に止まった。不敵に笑い、一軒の家の前で仁王立ち。セティがどうしたのかと声を掛けると、明るく元気な声で言う。


「これがあたしのお家!」


 トレノがびしっと指さしたそこは他と同様、こじんまりとした真四角の家だった。

 金色の瞳を爛々と輝かせて彼女は続けた。


「そんでフラムとロイの家でもあるよ」

「へ?」


 この家の下がミゼリアおばさん、向こうがシェリーであっちがコナー。その上がラミアとナシェニアの双子。そういえばイルメは今は下層だっけ。

 トレノの指は次々と家を指差していく。詰め込まれたブロックはセティにはとても見分けがつかなかった。

 トレノの家、と呼ばれたブロックの扉を開けると、中は太陽が出ているにも関わらず闇が蔓延っていた。窓が一切無いのである。家具は小さなオイルランプ以外には何も置かれておらず、小汚い布切れ一枚が乱雑に床に投げ出されている。

 幼い子供三人がやっとくらいの広さ。セティは驚き、出かかった言葉を飲み込んだ。


「ああ、もちろん十二歳くらいから下のミゼリアおばさんのところで寝てたよ?」

「そ、それにしたって狭いじゃないですか?」

「前領主の時は上層ばっかに目を向けられてたから、ひもじかったよぉ」


 懐かしい思い出を語るようにトレノは頷いた。


「今の領主はどうなんです?」

「まだマシ」

「そうですかー」


 ほっとして周りを見渡す。点々と子供たちの姿が確認できた。彼らは無邪気に笑いながらブロックの家を踏み場にして走り回っている。

 セティはオルセイアよりは平和なのかな、と無意識のうちにそんなことを思った。


「ところで何故ここへ連れてきたんです?」

「うーんそうだなぁ、……自慢したかったんだよ。多分」

「自慢、ですか?」

「うん」


 高台となったこのスラム街は、上層に負けないくらいの景色を持っている。即ち、水平線が見渡せる絶好の場所。

 午前の風は変わらず潮の香りを連れてきて、ぽつりと呟いたトレノの言葉をかき消した。


「――そうして同情を得たいんだ」


「? 何か言いました?」

「いや、なんでも! さ、スラムのみんなを紹介するよ。着いて来て!」

「はーい」


 二人はこの白い家を後にして、梯子を伝って下に降りる。今は誰も住んでいないこの家は寂しそうにトレノの背中を見送った。


 ☆


 ロゼは頭を抱えながら溜息を吐いていた。何せ教師などやったことが無いから、普通の座学ですらかなり頭を捻り授業内容を考えたものだ。相方は仕事で忙しいせいか手伝ってはくれないし、馬鹿は二人も居る。分かりやすく伝えること、は結構難しい。増して次のカリキュラムは失われた技術。御伽噺の産物。分かっていないところも多く、上手く伝えられるか正直言って不安である。

 紅茶を一気に飲み干して、一度書類から目を離し伸びをする。何か糖分を求めようと席を立った――刹那、呼び鈴の鳴る音がした。


「……誰かしら?」


 すぐ様玄関に向かい扉を開ける。と、目の前に広がったのは真昼の空だった。


「朝早くに申し訳ございません、ロゼ」

「あら、珍しいわね。お姫様?」


 ロゼは特に驚きもしない様子で彼女を見た。

 エミリア・サンドラはその凛としたサファイアの瞳を向けると、一礼をする。


「お願いがあって参りました」

「分かってるわよ、今更あなた達の援助を辞めるつもりはないわ」

「助かります」

「さ、上がんなさい。お茶くらいは出すから」


 エミリアは、今度は軽く会釈をすると中へと足を踏み入れた。ロゼの案内で応接室へ通され、椅子に腰掛ける。暫くすると、ロゼが紅茶を片手に入ってきた。ちょっとした砂糖菓子付きである。


「待たせたわね。それで、お願いというのは?」


 カチャ、と音を立てて置かれた紅茶を手に取りエミリアはこくりと頷いた。ロゼが座るのを待って、口を開く。


「はい、武器の補充、それからロストの避難です」

「……戦争でも始めるつもり?」

「いいえ。これは革命(、、)、ですよ」


 既に裏都市の住人(ヴィクタム)の了解は得ている。エミリアは紅茶を啜りながら冷静に応えた。

 失ってはならない人材であるロストの必修授業が終わり次第、即座にこの街から追い出し革命を起こす、と。その瞳は本気そのもの。ロゼは唾を飲み込んだ。


「……あなたは革命をして何をするつもりかしら」

「オルセイアを首都とした王国の復活。それから、これはあなた方と同じになりますが」


 一息。


「この世界の謎解きですね」


 ロゼはふう、と息を吐いて背もたれに身体を預けた。紅茶を一気に煽り、砂糖菓子に口を付ける。


「謎、ね」

「ええ、これは別に今からでも構いません。わたしは知りたいだけですから。あなたもその立場です、知っているでしょう?」

「――濃霧のことかしら」

「はい」


 こくん、と頷く。

 再生世界はアクアエリクサーの向こう、海の彼方から一日三船を寄越す。毎日変わらない品揃えを携えた貿易船は貿易を一通り済ませるとまた濃霧へと帰っていく。


「あの濃霧はこちら側の船を外に出してはくれない。世界がこんなに狭いはずがないのです」

「そもそも、舵を切っていないのに知らず知らずにアクアエリクサーの港へ着いている。違和感を感じないわけがないでしょう」


 全く雑な世界創りだ。神さまは一体何を思ってこの大陸一帯を閉じ込めている?

 再生世界は人間には干渉しない筈なのだ。再生する時間が過ぎても腹は空くし眠くなる。もちろん一度死んだら生き返ることは無い。しかし彼ら貿易船の船員はこの五十年間、一度も歳を(、、、、、)とっていない(、、、、、、)のだ。

 ロゼは分かったわ、と呟いてエミリアの要望を受け入れた。


「そうね、ロストをこの街から追い出すんでしょう?」

「はい。流石にロゼは残ってもらうことになりますが」

「じゃ、その間。暇なロストは謎解きでもしましょうか」

「本当ですか? 感謝します」

「いいわ。この世界を知るのは目的のうちであり、それに――」


 遠い海。私は暫くあの場所には行っていないが。

 今頃は楽しんでいるだろうか。


「――あの子の願いでしょう」

「……セティ・モンド。彼女は不思議な子ですね」

「ええ、そうね」


 空っぽのカップに新しく注がれた紅茶は仄かに湯気を立てた。


 ☆


「大分遅くなってしまいましたね」


 辺りはすっかり暗くなり、この高台からは星が一面に広がる空を満遍なく見ることが出来た。

 隣に立つトレノはふふん、と得意気に鼻を鳴らす。


「いいとこでしょう」

「はい! ここの皆さんは優しいですね」


 オルセイアもそうだった。貧しい人は人らしい心を知っていると思う。と言っても、あまり金持ちの知り合いはいないのだが(エミリアは何を考えているのかよく分からないし)。

 スラムの人と接する度、裏都市の住人(ヴィクタム)を思い出す。まだこちらに来て間もないが、少し会いたくなった。帰ったら沢山のお土産話を聞かせてあげたい。セティは顔を上げ、周りを見回した。


「そろそろ帰った方がいいですよね。宿ってどこでしたっけ」

「ぷっ、流石方向音痴」

「なッ、失礼ですね! 方向音痴ではないです、スラムが入り組んでるのが悪いんです!」

「ふ、ふふ……! ごめんごめん」


 お腹を抱えて笑うトレノに向かって頬を膨らます。が、急に、何故か。――怒れなくなった。

 肩を震わせる彼女がまるで別人のように思えて仕方がない。

 違和感を覚えて、セティは首を傾げる。


「……トレノさん?」


 顔の見えない向こう側で、トレノの瞳から何かが溢れた気がした。セティの直感が告げている。

 逃げろ(、、、)、と。

 何故だろう、トレノさんは良い人なのに。何故、逃げなければならないんだろう。

 素朴な疑問は無駄に頭を駆け巡り、セティを混乱させた。


「うん、ふふ、だってセティはここから――」


 トレノが笑う。セティが後ずさる。

 今更もう遅い。逃げたところでここは彼女の、彼女たち(、、)の庭。だってセティは――


「――帰れないもんね?」


 刹那、強い衝撃が脳を駆け巡る。セティは急に手足の自由を失い、そのまま倒れ込んだ。

 欠ける視界の先で見た、彼女のその笑顔は今まで見たことがないほど、泣きそうな顔をしていて、こちらまで泣きたくなってくる。


「ごめんね、セティ」


 トレノの声はもう彼女には届かない。


「少しだけ、我慢してね」

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