第14話「擦れ違って往く」
――オルセイア。
人口が減少しつつあるこの世界、この大陸に置いて、あらゆるジャンルで一を誇る大都市。
五十年前の戦争にて中心となった、とも言われているほどいつの時代でも賑わい、舞台となっていた。
そのオルセイアを束ねるは王族――サンドラ家である。
『空の一族』とも言われる彼らは、オルセイアが国では無くなったとしても領主として民を支え導いて来た。
――しかし。
美しいバラに刺があるように、豊かな都市には裏がある。今はそれが、裏都市の住人である。
彼らは影での生活を強いられ、陽の光を浴びることを全てに否定された憐れな民だ。
「私は今の社会の現状に納得ができない。詳しく知らなければ、反抗すら許されないでしょうから」
エミリアは暗い路地の中を、迷い無い歩みで進んでいく。
しかしセティがストップを掛けた。首を傾げる。
「待ってください。今の話だと、その、まるでエミリアさんが王族だということに――」
「? あら、何故バレたのでしょう」
不思議そうにきょとんとするエミリアに対し、ああ、この人天然だ、と理解する。
「――って、えっ!? 本当に王族なんです!?」
「ええ」
「あっ、そう言えば授業でやった事ありました! オルセイア王族サンドラ家!」
顔を一切見たことが無いので気が付かなかった。
確かに、思い返せばその品格、品性、佇まい、その他諸々どれを取っても常人には程遠い。
加えてその髪色はまるで真昼の空。空の一族の名に相応しい。
「姉が夜空のような漆黒の髪、瞬く星のような金の瞳なのです。父――今の領主、ルイザットも昔は夕日そのものでした」
エミリアは遠い日を見るように目を細め、彼の偉大なる王に思いを馳せた。
「ギラギラと輝きを放つ太陽のような瞳はご健在で居られますが、ただ――夕日のように真っ赤に染まった髪は見るものを圧倒させていたのですが……」
そこで、ふ、と目を伏せた。
「――今は、確かにご高齢のせいでもあるのでしょう。しかし、まるで曇天のよう。心さえ、曇ってしまわれたのです」
冷たい隙間風が吹く。
日陰の中を往く二つの光は、沈黙を認めた。だがそれも終わりを告げよう。
「着きましたよ」
「……ほぅ。これが貴方の言う、」
沈む夕陽はあの日と同じ。セティはこの時間帯の、この場所が好きなのだ。即ち――
「――この都市の光、ですか」
――裏都市の高台である。
☆
老人は訝しげに目の前の夜空を見詰め、顎鬚を触りながら問うた。
「――エミリアが、近頃外出していると言うのは真か?」
嗄れた芯のある声、この都市を背負う老翁――ルイザット・サンドラは何時もの定位置である玉座に座り、険しい顔を浮かべていた。
対して玉座の前に礼儀正しく凛と立つ女性は優しく微笑む。
「ええ、お父様。……そうでしたね、ルミナ?」
窓から差し込む光が星のように反射し輝く漆黒の髪は、正に夜空と呼ぶに値する。
女性――ウルク・サンドラは振り向き、後ろに立つ少年に確認を取った。少年は愛らしく軽快に笑い、首を縦に振る。
「はい。あってますよ、第一皇女サマ。その通りだ」
その態度に、半ば苛立たしげにルイザットは唸る。
この少年――ルミナ、と言ったか。流石はディーオ・ファミリアが勧める情報屋である。確かに、持ってくる情報の正確性、貴重性等、評価に値する仕事ぶりだ。が、何より態度が気に入らないのだ。この少年の、全てを知った上で他人を弄ぶような、まるで全てを見透しているかのような笑みが。
ウルクはまるで弟のようだ、と慕っているようだった。だがルイザットにとってその笑みはおぞましく、向けられることが何よりの恐怖。
しかし情報を必要とする以上、この少年より優れた情報屋など皆無に等しい。付き合いを続ける他無いのだ。
ルイザットは苦虫を噛み潰したかのような顔をして、問う。
「では、エミリアは何を?」
第二皇女、エミリア・サンドラの行動は最近目に余る。
度々姿を消しては身体を汚して帰ってくるし、何があったかと問えばいそいそと立ち去ってしまう。
年頃の娘だ。親には言えない事の一つや二つあることとは思うが、そういう問題ではない。
ルイザットも王だ。馬鹿ではない。即ち推測するに、
「エミリアさまはこの都市を変えようとして居られますよ。王位継承戦やウルクさまを殺しでもしない限り、自分に王位が回ってくることは無いんですがね」
「本当よねぇ。我が妹ながら、天晴れだわ。その仮説が正しければ、そうね、近々戦争でも起こるかしら」
くすくすと笑うウルクを見やって、ルイザットは気付かれぬよう溜め息を吐いた。
娘共に王位を譲るのが不安になってきた。しかし生憎男児が産まれなかった為、婿を貰うという選択肢もあるのだが、何しろ三大都市の一つは滅び、一つは治安が安定していない。
世界も廃れつつある今、自分に出来るのは、とルイザットは頭を抱えた。
「そろそろ本格的に掃除を始めねばならぬか……」
ウルクとルミナに下がっていいと合図を出す。
すぐにウルクは淑女らしくドレスの端をつまみ、右足を一歩引いて軽く礼をした。ルミナもペコリと頭を下げ、謁見間から出ていく。
一人になった所でゆっくりと、背もたれに身体を預けながら息を吐く。しん、となった部屋に自分の息遣いだけが聞こえるようだったが――刹那、ノックの音が響いた。
先程の二人と入れ違いのように入ってきた人物は、黒のコートに身を包み顔が一切見えない。王の前にして有るまじき姿だが、ルイザットはそれを拒まず、寧ろ誰かと言い当てることができる。
「――ディーオか。お前の所の情報屋、態度はどうにかならんのか」
「ああ、申し訳御座いません。きつく言っておきます」
若い、青年の声。
フードから覗く一部だけでも整った顔立ちだと分かる。
彼が来た理由も察せる。いつもの事だ。
「地下、だな」
「察しが早くて助かります」
「ふん、好きに使うといい。お前に記憶があろうと何も出来やせんだろう」
青年は許可を得るとすぐに礼をし、踵を返した。
ルイザットが部下に監視を命令すると、慌てて側近が走り去って行く。
――もう五十年。当時十歳だった自分の記憶は、いつの間にか居なくなっていた両親の顔と、なし崩し的に座る事になった高過ぎる玉座から見た景色のみだ。
記憶があるお前には分からんだろうな、とルイザットは虚無感を抱えながら、ぽつりと言葉を零した。
☆
「セティ、そいつは?」
「ああ、紹介します。この方は――」
「知ってる。エミリア・サンドラ――何故連れてきたと聞いてる」
裏都市の高台は何時もの少年が座っていた。
それを見た途端、今日の仕事は休みなのか、と嬉しく思ったが、振り返った彼の視線は夕陽の中に浮かぶ真昼の空を見て瞬時に変わった。
まるで汚物を見るような目だ。
「え、と……」
漂う空気はピリッとしていて、無意識に唾を飲む。冷や汗が頬を伝って、ものすごく居づらい。
刹那、エミリアがセティを庇うようにサッと前へ出た。
「エミリアさん?」
「彼女に裏都市の案内を頼んだのは私です。攻めるべき相手は私であるかと」
「ああそうかい、王族サマが何の用だ。出てけ」
「御断りします。貴方にとってはとても残念ながら、私はここを知りたく思っております故」
シンザは軽く舌打ちをした。
何時もはどんな人物にも優しい彼だ。こんな姿は見たことがなかった。セティは驚くも、思い返す。――訂正、彼は表には何時も嫌悪の視線を向けるばかりだ。
エミリアは一切表情を変えない。淡々と落ち着き、繰り返した。
「私は知るまでここを離れる訳にはいきません。という訳で、何処か食事と休める場所を最低限確保したいのですが」
「………………は? ちょっと待て、ここに住むのか?」
「はい。先ず手始めに、裏都市の生活を知りたいのです」
「ちょ、ちょっと待ってください」
セティは急展開に呆気に取られるシンザと問答無用で話を進めていくエミリアに待ったを掛ける。
本当に急展開過ぎて頭の整理に時間が掛かったが、落ち着いて話を続けた。
「えと、つまりエミリアさんはここに短期間の居住を求める、と」
「はい」
「ご家族には……」
「はい。いえ、手紙は置いてきたんですよ? 暫く帰らないので探さないでください、と」
「それダメなやつでは? 完全に家出の手紙では??」
「家出とはあまり違いが無いでしょうし、尚更問題はありません」
そういう問題じゃない。セティは目の前の天然に頭を抱え、シンザの方を向いた。
彼は思いの外この王族が、強情で勝手で天然な為自分の調子が狂っているのだろう、半眼で汗を垂らしながらエミリアを見ている。
「そんな理由なんですが、シンザさんは構いませんか?」
ちょっと自分でもどんな理由か分からないが、と思いながら問いかける。
シンザは軽く頭を横に振った。
「さあ、女子の面倒は俺は見ない。カトレアに見てもらえ」
「それは好きにしろ、と取っても構わないのですね?」
「知らん」
シンザが立ち上がる。陽の当たらない路地裏に足を踏み入れて、振り返った。
――どうした、来ないのか、と。
途端にセティは嬉しくなる。よくよく考えてみればこれは、表と裏が分かり合うチャンスではないか。
「行きましょう、エミリアさん!」
「はい。ありがとうございます、セティ」
軽く微笑んだ彼女は、やはり美しい。セティも負けじと満面の笑みを見せ、エミリアの手を引っ張った。
ふと、気になったことを問うてみる。
「そういえばエミリアさんは幾つなんですか?」
「今年で十九になります」
「ひえっ――!」
思ったよりも断然年上だった。
☆
父の政治は至ってシンプルだ。
――汚い部分を無くせばいい。
潔癖症な彼にとって、裏都市は何よりも汚いものだ。例え出来た理由がロストによるものだとしても、元々貧民街だったこの場所が更に荒れただけで別段変わりはしない。
父は優しい。偉大だ、聡明である。
しかしそれは身内から見た視点。彼の敵、もしくは排除するべき対象から見るならば、とてもじゃないが狂っている。
裏都市の八割方は盗賊、売春、人身売買、etc……。そんなものを生業とする大人ばかり。弾圧すべき対象だ。それは分かる。
――でも子供は?
「あなたがエミリアさん?」
少女は無垢で汚れのない表情を見せた。エミリアは突然現れたこのポニーテールの少女にきょとん、としながらセティを見る。
こくこくっと頭を上下に振って、セティは肯定の意を示した。察するに――
「――はい。では貴方がカトレアですね。宜しくお願いします」
深々と頭を下げる。
これからここでの生活を教えてもらう先輩だ。確かセティより一つ下だったか。歳などはまあ、関係ないだろうが。
少女――カトレアは嬉しそうに微笑んでぴょんぴょん跳ねた。
「やった、お姉さん兼後輩が出来た! シェールドもシンザも下のちびっ子二人も男でしょ? ただでさえセティ、アホだけど女の子の友達増えたの、嬉しかったんだぁ。また増えるなんて! しかも超キレイ!」
「今のは褒められたんですか? 貶されたんですか?」
「? どちらもでは」
「ひどい!」
セティが涙目で訴える。しかしエミリア自身は今の何が悪かったのか分からない様で、首を傾げながら何の誠意も篭っていない謝罪を述べていた。
そんな光景を見てカトレアが笑う。
――彼女は心のどこかで怯えていた。否、彼女だけではなく、裏都市の住人の子供たち皆が。世界は何より残酷で、生きにくいことを知っているから。幼いながらも強いられた、『生きること』が何より怖かったのだ。
シェールドも、フィノも、ハシェも、シンザでさえ。
支えあって生きてきたからこそ分かる。彼らの浮かべる笑顔は本物で、同時に虚構である、と。
セティと最初に会った時、――訂正、今もそう思ってる。
――あなたには分からないでしょうね。
ようやく機嫌を直したセティが振り返った。
「ではカトレアさん、エミリアさんをよろしくお願いしますね」
ふかぶかーと頭を下げるセティを前に、カトレアはまた、本物と嘘の混じった笑顔を浮かべた。
「あはは、任せて!」
ガッツポーズも添えて、意気込みを全身で表した。セティは満足気に頷いて、今度はエミリアに視線を向ける。
「ところでエミリアさんは、持ち物とか無いんです?」
「はい。この身一つで十分かと」
「そ、そうですか……?」
「しかし問題が一つあるのですが」
エミリアはピンと人差し指を立て、二人は同時に首を傾げる。
「皆さんと過ごすにあたって、私分のスペースを一つお借りすることになるかと思います」
「ふんふん」
「当然食事なども含まれる訳ですから、代償として金銭が発生します。働かざる者食うべからず、です」
「ふんふん」
「ですが私の身分が身分ですから、なんと、街で働くことが出来ないのです――!」
顔の表情何一つ変わらないが、『どうしよう』という気持ちがとても伝わってくる口調で喋るエミリアに、
「あ、そこは大丈夫」
即答だった。
「女子は大体家事だから。家事とあとフィノハシェの相手しとけば一日なんてあっという間だから」
「あら、そうですか。良かったです」
「そういえば今はどこに住んでらっしゃるんですか?」
セティはこの間自分が消してしまった屋根を思い出した。半分しか無かったとはいえ、屋根がある生活は大分楽だろう。となると、今のあの廃墟はもう使えない筈だ。
セティが疑問を投げかけると、カトレアは得意気に鼻を鳴らした。
「――今日はもう遅いから、明日おいで?」




