第13話「真昼の空」
「では、ありがとうございました」
「おう、また使ってくれな」
馬車の運転手は初老の顔でにこりと常連客に笑いかけ、去っていった。
対する青年は頭を下げた後、門の中へと入っていく。
都市外に出ることが多いせいか、最早顔パスとなった現状、門番にも軽い挨拶だけで入ることが出来る為、面倒臭がりの彼にとっては好都合だ。
いつもの道を進む度、疲れた身体が悲鳴をあげ、睡眠を欲している。
さっさと帰って寝よう、そう思った矢先だった。
――ハイヒールが飛んできたのは。
「カールートーくーん?」
「げっ、ロゼ……」
尻餅をつきながら前頭部を擦り、目の前に立ちはだかった女性を見上げる。
満面の笑みを浮かべたまま両手を腰に当てた彼女はどうやら、相当ご立腹なようだ。
「えーーーっと……た、ただいま?」
「ええおかえり」
一切崩すことのない笑顔がまた恐怖を煽り、カルトの顔からサーっと血の気が引いていく。
今すぐにでも寝たいものだが、これは当分寝られそうもなく、割とキツイ。
「ろ、ロゼ? 俺さっさと部屋戻りたいんだけど、ダメかな?」
「構わないわよ? ええ、構わないの。ただ――」
「ただ?」
笑顔が崩れた。しかしその地鳴りさえ聞こえそうな程の鬼の形相も、安心とは程遠い。
ぶっちゃけ死を覚悟するも同然で、目の前の彼女の言葉を待つ。ごくり、と喉を鳴らしながら唾を飲み込んだ。冷や汗が流れる。
やがて口を開いた彼女は――
「――おッそいのよあんた!!」
「………………、あー」
――これ愚痴ルートだ。
瞬時に察する。
寝る暇さえ与えず愚痴に付き合わされるのは今に始まったことではなく。
愚痴られるのはいつもカルトの前だけのようなので、それはそれで信頼されているのかな、と嬉しかったりもするのだが、流石に今は眠気が強い。
カルトはどうしたもんかな、と半ば引きずられるように連行されながら諦める結論に至った。――正直、抵抗するのも面倒臭い。
「……俺数日間ずっと働き詰めで疲れてんだけどなぁ」
「問答無用よ、知ったこっちゃないわ」
「ひでぇ……」
目尻に涙をためながら欠伸を噛み殺し、カルトは仕方なくロゼに付き合うのだった。
その後、愚痴途中で寝てしまい、更に面倒事が増えたことはまた別の話である。
☆
「と、言うことで来ちゃいました!」
「ハッハー僕らに任せときな!」
真昼間からハイテンションの少年少女は腰に手を当てて胸を張った。
そんな彼らを目の前にし、彼らと同い年か年端も行かない子供達は不安げに眉をひそめて声を揃える。
「「正直超不安」」
「ひどくないですッ!? 流石に読み書きはできますよ!?」
と、セティは辺りを見回し、指折りで数えながらいつもの面子の中で一人足りないことに気が付く。
「――あれ、シンザさんはどうしました?」
「ああ、シンザはお仕事。あの子毎日バイト入れててね、私たちもちょっと心配なんだけど……セティからも何か言ってくれないかな?」
「ふむ……働き過ぎもダメですよね」
軽く頷く。
確かシンザがやっていた仕事は配達だったか。他にもやっているとなればかなり働き詰めだろう。今度会う時にはブレーヴを召喚でもすべきか。
取り敢えず、とセティは両手を合わせた。
「文字と計算なら、一通り教えることができますので」
「あとからシンザにも教えてやれ! ドヤ顔でな!」
「あはは、二人共ありがとう。んじゃ、お言葉に甘えて教えてもらおうかな」
カトレアが笑う。
その横からフィノとハシェが瞳を爛々と輝かせながら身を乗り出した。
「なあなあ文字ってむずかしい?」
「ぼくらにもできる? よめる?」
「基本的には簡単ですよ」
「おお、セティが言うとせっとくりょく? があるな!」
「失礼ですねっ!?」
こういう年頃は吸収が良い方だ。一先ず糞ガキ共の頭を両拳でぐりぐりしておこう。セティが頷くと、後方からシェールドが人数分の木の棒を持って現れた。
「読めるようになるのは正直有難いな。これでカトレアも少しは仕事できるようになるんじゃないか? はい」
「ありがと。そうだね、それくらいになれると嬉しいかなー。よろしくね、セティ先生、フラム先生」
「いいね、先生って響き!」
「ふふーん、お任せ下さい!」
先生、と呼ばれて少しむず痒さもあるが、満更でもないセティは張り切って声を出した。
そうしてセティとフラムを囲んで、定期的に行われる夏の青空教室が始まったのだ。
☆
運命の日がやってきた。――やってきたというのに。
「見事、皆補修回避ね。――あ、フラムとセティだけはちょっとあるけども。ちょっとで済むんだからブレーヴとトレノに感謝なさいな」
あっという間に、流れるように結論を告げられ、右耳から入って右耳から出たような状態に陥っているのが現状である。
セティは固まった脳をフル回転させて、今告げられた言葉をもう一度ゆっくりと噛み砕いて理解していく。
――つまり。
「――補修回避成功なんですね!?」
「やった……やったよ僕達……! 運命に抗ったんだ……!!」
「ちょっとあるって言ってるでしょうが。そこだけ聞こえなかったフリすんじゃないわよ」
「「わーいなつやすみだー!!」」
「聞けッ!」
ロゼは頭が痛いと言うように首を振って、もういいわ、とボヤきながら右手をひらひらさせ持っていた資料に目を落とす。
セティは取り敢えず涙を目の端に浮かべてトレノに九十度の手本レベルなお辞儀と懇切丁寧な感謝の言葉を並べていく。
「本当に一時はどうなるかと……。これもトレノさんのおかげですありがとうございます感謝してもし切れないくらいで……!」
「本当に逃亡も間に入ったから一時はどうなるかと思ったよね」
「耳が痛いです」
セティにクリティカルヒットが入ったところでトレノはあはは、と笑ってにこりと微笑んだ。
まるで天使のような笑みである。
「ま、頑張ったんだからご褒美だね。どっか遊びに行こっか!」
「ひゃートレノさんまじてんしです」
「褒めても何も出んぞー」
「――はいはいっ! それだったらさ!」
横から何やらフラムが手を挙げて楽しげにしている。
トレノは『お前には聞いていない』という意味を込めて横に首を振ったが、あまりにもフラムの瞳が輝いている為やがて嘆息して続きを促した。
「お城行こうぜ! 僕あそこ行ったことない!」
「ああ、確かに。俺も興味ある。城の歴史考察は気になるところだよな」
「フラム……あんたがまさか勉強しに行こうだなんて……!」
「単なる好奇心であり知的好奇心は一切ございませんが!!」
「ですよね」
それは以前、セティがシンザに連れられて一目見たオルセイア城だ。
現在も王族が住んでいるという。
盛り上がっていく話をセティが心を踊らせながら聞いていると、ふと、ロゼが顔を上げた。
「――あそこあんま面白いもんじゃないわよ?」
本気で行くの? と言ったニュアンスの目だ。
セティは小首をかしげながら問う。
「ロゼさんは行ったことあるんです?」
「だって王族はロスト協会のスポンサーよ? 定期報告になら毎回行ってるわよ」
「そうなんですか!?」
ではロゼさんは王族という方にお会いしたことがあるんですねー、とセティが感心したように呟くと、あからさまにロゼが嫌なものを思い出したかのような顔をしたので深く聞かないで置くことにした。
ともあれ城はかなり好奇心の働く場所である。行ってみて損は無いだろう。
「では明日にでも行きましょうか!」
「あ、言っとくけど午前は補修だからね」
「「何も聞こえなかった!」」
☆
みっちり勉強三昧な午前のお陰で頭がぐわんぐわんする午後のこと。
「あれ……『ちょっと』って何でしたっけ……?」
「今までとあんまり変わらない気しかしない……」
「セティとフラムの目が死んでるよ!」
悲痛なトレノの叫びを聞き、ブレーヴは心配そうに二人の顔を覗き込む。
「休憩してから出発するか?」
「だ、大丈夫です! 人間切り替えが大事なんです!」
「勉強じゃないなら余裕でオッケーと言い張らせてもらおう……!」
「そ、そうか」
大丈夫なら構わないんだが、と半ば疑わしげな表情をする。
実際、勉強をするのは身体に拒否反応が出るレベルで嫌なのだが、この後遊ぶというなら全くの別問題だ。
つまり、出掛ける準備はとうに出来ている。
「それじゃ、早く行きましょ行きましょ」
うきうきしながら飛び跳ねるように歩いて玄関を出る。その横からトレノが顔を出した。
「一回大通りに出てから馬車を使うよ」
「馬車、ですか?」
セティが城の近くまで行ったことがあるのは、裏都市の住人の近道のお陰だ。
大通りを闊歩していく馬車を見たことはあっても、乗ったことまでは流石にない。
いつか乗ってみたいとは思っていたが、特に遠出する予定もなく使わず終いであったので、トレノが思った通り、セティは目を輝かせた。
「トレノさんは乗ったことあるんです!?」
「この街に来る時にね〜〜」
大通りに着くまでの間、結局乗り心地はどんなだとか、馬は蹴らないのだとかそんなような話ばかりであった。それは案の定、着いてからも変わらず、
「これが馬車ですか! 馬車ですね! わぁわたし初めて見ます!」
「セティは元気だね」
「ところでそんな所に突っ立ってると置いてくぞ」
「えっ、待ってくださいよ!」
セティが乗ると同時にパシンッと弾く音がして、馬が鳴き声と共に走り出した。
駆けていく馬のスピードに合わせて過ぎていく街並みを、窓に張り付いて見つめる。あそこはいつも行く服屋で、あそこはちょっと気になってたアクセサリー屋。あ、噴水に鳥がいる。跳ねる水しぶきがキラキラしてる。天気いいなー。
そんなセティを他所に、トレノは口を開いた。
「確か、行けるのは一般展示室だっけ」
「ああ、五十年前についての考察ばかりな筈だ。俺も考えたことあるし、気になるよな」
「五十年前に生きてた人ですら覚えてないんだもんなー」
――魔力大爆発。
戦争に終止符を打ったと言われる巨大な爆発。未だそこには大きなクレーターが出来ている。
その爆発を境に、人々の記憶は以前の出来事全てを忘れてしまった。自分の出生や家族、基本的なプロフィール以外の全てである。
例えばオルセイア城近くに建つ大きな建物。多くの人が居た、使用した形跡のある建物だったが、何人が調べても何の建物なのか、何を目的として使われていたのか全く分からなかった。
大きな鐘が鳴る。重く響くその音が耳に届き、セティは顔を上げた。
傷だらけの外壁が出迎え、馬車が止まる。
「着いたみたいだな」
「はい、ワクワクがドキドキになってきました!」
ふんす、と気合を入れる。
一般展示室と言えど、流石は今も王族の住む王城と言ったところか、門番の気迫がびしびしと伝わってくる。
きょろきょろと辺りを見回して、置いて行かれないよう走るの繰り返し。
「フラム、展示室では静かにね」
「言われなくても分かってるわ!」
「ほらほら、しぃー」
「うっざ……!」
前を歩くコンビの漫才を目印にしながら展示ケースを見た。
確かに五十年前の考察だ。書物ばかりである。
例えば入ってすぐ、右側の展示ケース。今居るこの城の内部と思わしき写真と共に、長々と文が連ねてある。城の構造を見たところ、軍を所有していた形跡だとかなんとか。
どれもこれもセティから見ると小難しいものばかりだ。しかしセティの目は考察にもそうだが、その城の装飾に目が行ってしまう。
超絶技巧の施されたそれは、とても白く美しく豪華で、だが何よりこう思うのだ。
――わたしはここを知っている、と。
「……はて、わたしはここに来たことがない所か、こういう建物を見たことも無い筈なのですがね。赤ん坊の頃に連れてこられでもしたんでしょうか」
母はこの街を知っていた。ならば物心着く前に連れてこられた、とかだろう。――今のところ、真実を確かめようもないが。
ふわりふわりと霞がかった記憶のままに歩んでいく。豪勢な絵画が幾つも壁に掛けられて、花瓶には瑞々しい赤い花が挿さっている。黄色に光る電球は真紅のカーペットを照らして、時折掛けられた鏡が金の穂を写す。
――その時、蒼海の絵画は姿を現した。
不思議な魅力に取り憑かれるように、セティの足はぴたりと止まる。
――先ほどの予感はやはり当たりのようだ。
「やっぱり、わたしはここに来たことがありますね……?」
懐かしく感じる、どこまでも広がる空と海の絵画。真中で二つの蒼は交わって、終わることのない境界線を描いている。まるで鳥の声が聞こえそうな程、セティの目は釘付けになった。
瞬間。
――ガタッ
音がして、はた、と我に返る。辺りを見回して、気が付いた。
「……あ、どうしましょう。もしかしなくても迷子」
気が付いた頃にはもう遅いってやっぱり間違ってないな、と思いながら先程の音の主を探した。絵画の隣に真白の扉がある。
どうやらその中のようだ。
もし人がいるなら、帰り道を聞けるだろう、と思い恐る恐るドアノブに手を掛けた。
「失礼します……」
そっと開けた途端、目の前が真っ暗になった。直後、衝動と痛みがセティを襲う。
「ひゃあ!」
「きゃっ!」
ばったーん!
視界が横転し、一気に床に近くなった。何が起こったかと確認しようとして、隣に空がある事に気が付く。
――それは少女だった。
紛れもなく、真昼の空を表したかのような。
「いたた……すみません、大事無いでしょうか」
むくり、と少女は起き上がる。
サファイアのような瞳がきらりとライトの光を反射して、セティを捉えた。
じ、っと整った顔に見つめられる。歳は少し上くらいだろうか。かなりの美少女だ。
どうやら扉を開けた瞬間、同じく出ようとしていたこの少女とぶつかったようであった。
「あの……? もしかして衝撃のあまり声帯に異常を来たしましたか? お身体の弱い方でした?」
「あっ、いえ、ごめんなさい。あまりにもお綺麗でしたのでつい……」
「あらま」
少女は小首を傾げた。さらり、と真昼の空色をした髪が垂れ、顔にかかる。
「それは嬉しいお言葉ですね。素晴らしく美しい黄金の髪を持つお方に言って頂けるとは。さ、立てますか?」
「は、はい……!」
少女の手を借りながら慌てて立つ。ベレー帽の位置を整えて、改めて彼女を見た。
簡素なブラウスとショートパンツ。被り直した大きめのキャスケットは美しかった彼女の髪をすっぽりと覆ってしまい、あまり見えなくなってしまった。
「こんなようなところに一般人とは珍しいものですね」
「すみません、迷ってしまって……」
「いえ、問題ありません。……ところで貴方」
「はい?」
彼女は再び小首を傾げた。
「そのご様子ですと、私のことを知らない、とお見受けしますが」
「有名人なんですか?」
「いえ、知らないのなら結構です。それともう一つ、――お暇だったりはしますか?」
「えと、友人と来てますが、まあぶっちゃけ言えば暇ではあります」
「そうですか」
軽く頷いて彼女は人差し指を口元に当てた。
今度はセティが小首を傾げる番だ。一体さっきから何なのだろうか?
少女は、よし、と一言呟いてから、改めてセティを見据えた。
「では貴方にしましょう。迷い人なので不安ではありますが、仕方ありません」
「へ?」
「――案内を、頼めますか?」
少女は――エミリア・サンドラ、と名乗った。




