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第12話「試験です」

 初夏から一転、じりじりと己を主張する太陽が一日の大半を占めるようになった頃。しかし今日は疲れたと言わんばかりに雲に隠れ、生温い雨が降っていた。


「夏休み、ですか?」


 セティの雨にも負けない好奇心旺盛な声が響き、きょとん、とその首が傾げられた。

 彼女自身単語自体は聞いたことがないが、夏に休むとはつまり――


「長期休暇。第二段階用のカリキュラム考えるから、私らも休みが欲しいのよ」


 ロゼが淡々と答える。少し疲れが伺える表情だが、今のセティ達にはそれに気付くほどの余裕はない。

 休みだ。休みなのだ。しかも長期休暇。つまり土日がたくさん。


「マジで!? ドッキリじゃなくて!?」

「私そんな質の悪いこと言わないけど」

「やった!!」


 トレノとフラムが安定のテンションで騒ぎ出す。セティの脳内は既にしたい事リストを作り始めていて、ブレーヴも満更ではなかった。

 ――しかし次の瞬間である。上げて落とす、とはこういうことか、と正に全員が肩を落としたのは。


「あ、でも」


 ふと、思い付いたようにロゼが声を上げた。

 頭上にハテナマークを浮かべた一同を見回して、頷く。


「その前に行うんだけど、テストで満点取れなかったら、分かるわね?」

「――え?」


 誰かが声を上げた。先程まで舞い上がっていたテンションが急に引きずり落とされた。

 即ち、


「補習もあるかもの話よ」

「え――――――――!!!」


 教室内に悲痛な叫び声が響き渡ったのは、七月下旬の正午のこと。


 ☆


「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!!!」

「フラム、うるさいんだけど」

「ヤバいんだよッ!!!」


 ドンッと勢いよく机を叩く音と共に、鬼の形相をしたフラムの顔が近付いた。

 対するブレーヴはもう慣れっこな様で、教科書から目を離さない。


「お願いします勉強教えてください神様仏様ブレーヴ様ぁ!」

「はぁ……そう来ると思ったんだよ」


 漸く教科書から顔を上げたブレーヴは嘆息し、涙目なフラムを前に諦めたように首を縦に振った。

 こういう時のフラムは執拗に煩い。断ったところで無駄に等しいだろう。

 ブレーヴは了承の言葉と共に、地獄の一言を付けておく。


「分かった。ただし、休みはないと思え」

「やった!!!」


 ブレーヴの『休みはない』の言葉は文字通り現実に出るのだが、フラムは気付いていないのか、はたまた気にしていないのか、素直に喜んでいた。

 一方その隣では。

 先ほどのフラムと同じようにどんよりムードのセティが机に突っ伏していた。


「いっそ全てを消してしまえば……」

「ちょいちょい、物騒なこと言い始めてるんですけど」

「うわーんトレノさん勉強―――っ!!」

「わかったわかった教える教える」


 成績で言えばブレーヴが一番に勝っているのだが、彼女も負けてはいない。

 適当に相槌を打ったトレノはふ、と思い付いたように人差し指を立てセティに向き直った。


「その代わり」

「?」


 一息。


「終わったら夏休み、ちゃんと遊んでよね♪」


 可憐な夏の笑みは正に太陽に等しく輝き、曇り空のセティの心を照らす。

 即ち、――ここをくぐり抜けることが出来たならば、後は遊び放題である、と。

 はっとしたようにセティは勢い良く立ってガッツポーズをする。


「わたし頑張りますね!!!」

「その意気だー!」


 おーっと教室内に響き渡る威勢のいい声は、ロゼの大人気ない悪戯心を燃やすのには丁度良かった。


「少しくらい難しい問題入れてもいいわよねぇ」


 ぽつりと言い放った不穏な言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。


 ☆


 もうすっかり夏なのか、じりじりと絡みつくような日差しは、彼の肌をゆっくりと焦がしていく。


「うん、確かに」

「毎度ありがとうございました! ――っと、次!」


 オルセイア商業地区ユークランド通り。

 中年男性に小箱を渡して、忙しなく駆けていく。


「ここの近くが……――セイヴン通り。ざっと五分かな」


 カラフルな店の裏を器用に通って行く。

 裏路地に慣れた裏都市の住人(ヴィクタム)だからこその業であり、その辺が人の役に立つと言うのは正直嬉しかった。

 セイヴン通りの面へ出て、位置を確認しようとして、――知った声に呼び止められた。


「シンザさん!」


 金の髪は割と珍しくて目立つのだ。

 まるで太陽と黄金の穂を体現したような少女を、しかしシンザは呆れたように半眼で出迎える。


「セティ……こんな所で油売ってて良いのか?」

「な、なんのことでしょう……!?」


 駆け寄ってきた少女――セティは見事に痛い所を突かれたようで、冷や汗を流していた。

 ――セティと仲直りをした後の話である。

 ロスト協会に足を運んだ時に出会った友人達は、皆ロストであった。生憎ロゼとカルトは不在だったようだが、フラム、トレノ、ブレーヴの三人は人当たりもよく仲を深めるのにそれほど時間は掛からなかった。

 そのうちトレノとは、つい先日街中で会ったばかりであり、セティの勉強に付き合っていると言う話を聞いていたのだ。


「少しだけ……! 少しだけ息抜きをですね……?」


 慌てて弁明し始めるセティを諦念の目で見始めた辺りで、シンザは向こうから駆け寄る影を一つ見つける。


「あ―――――ッ!」

「あっ」

「セティ発見! もう逃がさないんだからね!!」


 ズンズン歩み寄ってくるトレノを前に、既に逃げ腰なセティは後ずさりをする。

 シンザは心底『情ねぇー……』と思いながら少しだけ避難。


「いやです! 難しいことは苦手なんです!!」

「さほど難しくもないし! ってか逃げるとかフラムと同じレベルなんですけどッ!!」

「それはもっといやですッ!!」

「フラムかわいそー……」


 ボソッ呟くも二人の耳には届かず。一先ず心の中で同情しておく。

 トレノに首根っこを猫のように捕まえられたセティはズルズルと諦めた様子で引きずられながらふ、とシンザに問うた。


「そういえばシンザさん、こんな所で何してたんです?」

「ん? ああ、仕事だよ」

「お仕事、ですか?」

「そう。どうせ俺もこっちだし付いてくよ」


 言いながら親指、人差し指と順々に折っていく。肩にかけた大きなカバンには小箱が幾つも詰め込まれており、察するに、


「――配達ですか?」

「うん、正解」


 一息。


「『裏都市の住人(ヴィクタム)』しか知らない近道が使えるって雇い主が。――最近裏都市の住人(ヴィクタム)の働き口が増えてんだってさ。……景気いいのかねぇ」

「ほへ〜〜」


 南東の住宅地区に入った。

 ここの外れにあるロスト協会は、目の前の坂を登る。その手前、分かれ道を前に足を止めた。


「んじゃ、俺こっちだから」


 シンザはしたっ、と片手を上げて別れを告げる。

 トレノとセティも軽く手を振った。が、直後駆けようとして立ち止まったシンザが振り返る。


「そだ、よかったら今度俺たちにも読み書き教えてくんね?」

「構わんよー」

「あんがと。んじゃな!」


 そのままタッタッタッ、と駆けていく。完全に見えなくなった辺りで、セティはところで、と前置きを入れた。


「…………トレノさん」

「ん?」


 ――既に諦めてはいるが、それでも叶うならば抵抗させてもらおう。


「……いい加減引っ張るのやめてもらっていいですか……?」


 ☆


 試験当日。

 あっという間に日が過ぎているから恐怖すら覚えるのはとても簡単だ。

 時間が迫り来るのを確認して、溜息をつくしか道がなくなってくる。

 延々と計算式だの諺だのを頭の中で繰り返し、段々混ざってきたところで頭を振った。


「危ない危ない…………これ絶対世の中で必要ないですよね……」

「おはよ、セティ」

「あ、ブレーヴさん。おはようございます」


 ふわぁ、と欠伸をしながら歩み寄ってくる彼に挨拶を返す。

 余裕があるような態度に若干腹が立つも、こちらはいっぱいいっぱいなので腹を立てている余裕が無い。

 ブツブツと忘れてはいけない様々なことを呪文のように唱えるのに、それでも頭から抜けていくのは本当に、掴めない空気のようでもどかしい。


「はいはい、席ついてー」


 ロゼが気だるそうに声を出した。

 素直に従って席につく。筆記用具を取り出して机に置いた。

 頭の中は既に真っ白になっていて、割ともうぶっちゃけどうにでもなれ。


「それじゃ、始め」


 トレノには世話になった。何度も何度も間違える自分に、諦めずに(半ば諦めたような目をしていたが)接してくれた。

 それは大袈裟だが、セティにとってはとっても重要なことで。

 そしてセティの残りの人生全てを賭けた戦いが始まった。


 ☆


「――終わっっっっっっっッた」


 まるで水中からやっと顔を出せたように、ぷはぁ、と息を大きく吐いて吸った。

 たった三時間の試験は、一日にも二日にも感じられて、頭が真っ白だったセティの首をじわじわと絞めていたのだ。

 漸く終わった地獄の時間は、後日のテスト返却という傷まで植え付けて、未だこの身体から離れようとはしない。

 虚ろな目で周りを見てみる。ブレーヴは満足そうに問題用紙を眺めては頷いているし、トレノは軽く伸びをしてから長期休暇に何をするかを指折りして考えている。フラムは死んだように机に突っ伏しているし、ロゼは答案を集めてさっさと出ていってしまった。


「セティ、大丈夫そう?」


 予定を立て終えたらしいトレノが気楽そうに話しかけてくる。

 その気楽さが羨ましく、また無性に腹が立ったが怒る気はとうに持っていかれているので、セティは疲れたように首を振った。


「分かりませんけど……不安しかないです」

「分からないならまだ良いじゃん。こいつは本当に補習ヤバそうよ?」


 親指で赤髪を指す。

 フラムの目尻は既に濡れており、哀れにさえ思えた。


「キツかった…………なんて言うかもう、そいつは悪魔だ……………………」

「言ったことを実行したまでだが?」


 文句あるか、と言わんばかりにブレーヴはにっこりと微笑んだ。瞬間ヒィ、とフラムの喉から悲鳴が漏れでる。

 トレノもセティもご愁傷様、と心の中で手を合わせた。


「お前本当に補習取ったら許さないからな」

「ううっ、それ終わった後に言う……?」

「問答無用」

「理不尽! ――ええい、うだうだ悩んでも結果は変わらん! ちょっと行ってきます!!」


 勢いよく立ち上がって、フラムは教室から出ていく。

 トレノはその後ろ姿を見送りながら、ふと、そういえば、と切り出した。


「一問だけすごく難しいのあったなぁ」

「ああ、最後のやつだろ? 俺も解けたけど、ちょっと不安かな」

「えっ、答え何にした?」


 トレノとブレーヴが問題用紙を広げ始める。

 ――ここは明らかに自分とは別次元の世界だ。

 セティの本能がそう煩く告げ、自然と足が出口へ向く。


「わ、わたしも少し街へ行ってきますね……!」

「てらー」

「おう、迷うなよ」

「迷いませんよっ!」


 たったっと駆けていく。

 特に目的がある訳でも無いのだが、確かに午後から暇ではあるし、何よりテストによる重苦しい気分も払ってしまいたい。

 そうだな、と顎に手を当てて考え出したところで、セティは目の前にいる人物に気が付いた。

 ――先程同じように出ていったフラムだ。


「フラムさん!」

「お、セティ。お前も頭いい奴らから逃げてきたクチ?」


 セティは全力でふるふると首を横に振った。


「あれはわたしたちの世界とは別の世界です」

「めっちゃわかる」


 フラムは全力で首を縦に振った。


「特に何も決めずに出てきたし、どーしよっかなぁー!」


 伸びをしながら太陽に照らされ、より一層赤く燃える髪を風に遊ばせた彼は、眼下の街を見据えて言った。

 同じようにセティも固まった身体を解すようにして伸び。不思議と太陽が直接心に差し込むような感じがして、気分が晴れ晴れとした。


「遊びに行きますかねぇ」

「どこへ?」

「消失地区です」


 ふんす、と自信満々に言い放って、少しだけ、フラムを煽るように見上げる。不敵の笑みを作って、空中に文字を書くジェスチャーをしてみせた。


「わたしも文字くらいは教えられますし」

「……いいね、それ、乗った!」


 フラムがお返しと言わんばかりに、にやりと笑って頷く。

 まるで駆けっこのように、二人は同時に飛び出して地を蹴り、そのままスピードを落とさずに駆けていった。

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