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第10話「勇気の鈴音」

「現在行っている第一工程ですが……」


 ロゼは何枚かの書類を持ちながら口を開いた。

 その書類には、ロスト達のプロフィールと今までの成績やその他諸々。所謂評定表と言っても過言ではない。


「まず、教会孤児院出身のブレーヴ。彼は育った環境が豊かであったのか、比較的知能があり、都市で過ごすには申し分ありません。次にフラム・ハーシー並びにトレノ・セイクレッド。彼等の出身はアクアエリクサースラム街ですが、彼等の動体視力は非常に優れており良く人を見ています。金銭面や文字においては優秀と言えましょう」


 息を整える為に一度切ってから、次の資料に目を通す為ぱらりと紙を捲る。

『セティ・モンド』

 そう書かれた資料はやはり、成績は目を瞑りたくなるほど悪く、――しかし驚くべき成果もあげていた。


「彼女は秘境の出ですから、世間知らずな所が目立ちます。が、七番目、仮に『エンドロスト(、、、、、、)』と名付けた通り、そうですね――期待は、できると思います」


 全ての生徒の資料を読み上げ終え、ロゼは目の前に悠然と座る男を真っ直ぐに見た。


「全員、吸収率はそこそこ良いですので、第一工程は七月中には終わるかと。並びにスパリーレ強化。年を通して行いますが、非常に良くなっております。報告は以上です。――陛下(、、)


 微動だにしない起立の姿勢を保ちながら、ロゼは資料を横脇に抱え追いやった。

 夕陽が差し込み室内が赤く染まる王城最上階、謁見の間。

 六十代ほどの男は赤と金で彩られた椅子に背を預け、ふむ、と頷きながらその髭を弄んだ。


最後の一人(、、、、、)――確か名をディーオ・ファミリアと言ったか。彼はまだ見つからんのか」

「残念ながら」

「まあ『闇のロスト』だ。手中に収めておけば安泰だが……まあ、放っておいても構わん。どうせ都市の為にはならんだろう」


 渋い声は聴き取りづらいが、しかし芯のある威圧感を纏わせ、真っ直ぐにロゼの耳に届いた。

 だが当のロゼは皮肉ばかりだと心の中であしらった。


 ――それよりも大事なのは情報源(、、、)だ。


 この男の言っていることは全て正しい。

 だが、なぜ知っている(、、、、、、、)のか。

 もちろんロゼに報告したような覚えなど一切無い。書類には書いたこともなかった。

 だとするのであれば――。

 第三者かあるいは。

 そこで気付かれぬように頭を振って、考えることをやめた。

 今は仮にもオルセイア大都市領主である王族家当主、ルイザット・サンドラの前である。


「それでロゼ」

「はい」

「第二工程、書類に纏めて出しておけ。いいな」

「承知致しました」


 ――正直なところ、ロゼはこの男が嫌いである。

 まとわりつく様な威圧を含む声、下を見ない態度、あと最後。必ず『下がって良い』と示すように手をひらひらさせる様。――早く死ねこのクソジジイ。

 舌打ちしそうにもなりながら、したくもない敬語を何とか並べて、殴りかかりたい衝動を抑えつつ、あくまで平然と優雅に振る舞いながら謁見の間を出る。

 厳重で重苦しい扉が背後で閉まったのを確認したあと、即座に階段へ足を向けて、踊り場付近で糸を切った。――即ち、我慢の糸である。


「はぁ〜〜〜〜〜」


 今にもキレそうだった頭を抑えながら長いため息をめいいっぱい吐き出して、新しい空気を肺に入れる。

 凝った肩を回し、強ばった体を解していく。


「今日は帰ったら好きなもの作ろ」


 たまにはステーキも悪くない。

 こくりと頷きながら、そして彼女は城を出るのであった。


 ☆


 ぱちり、と目を覚まして非常に珍しく、セティは覚醒した。

 それは日曜日の朝。

 昨日に引き続き、何とも心地の良い晴れ間が広がる午前七時。

 隣のトレノはまだ寝ている。この少女は平日は早起きだが、最近休日になると意地でも起きない。多分疲れているのだろう。――最も、遊び疲れだろうが。

 休日ばかりはトレノがこれだから、セティもぐっすり眠れるのだが、今日は目が覚めてしまったようだ。

 このまま、ぼうっとしていてもつまらないと、セティは早々に起き上がり、着替えを始める。


 ――今日は行かねばならない場所があるから。


「あれ、ロゼさん早起きですね」


 落ち着いた若苗のトップスとベージュの短パンを履いて、リビングに出た。

 そこには何時もの女性が立っている。

 彼女はセティが眠る頃には起きているし、起きる頃にも起きている。――一体何時に寝て何時に起きたのか。


「それはこっちの台詞よ。私はいつも通りだわ。珍しいわね」

「起きちゃったので」


 ところで、とセティは思い付いたように切り出す。


「昨日、ロゼさん何かいい事でもあったんですか?」

「なんで?」


 ロゼは不思議そうに首を傾げた。

 セティは、ほら、と人差し指を立て、昨日の夕飯を思い出す。


「昨日はステーキでした」


 世界人口が減りつつある今、肉はあまり手の届かない高級品だ。

 それを贅沢にステーキにする辺り、いい事があったとしか思えない。

 が、ロゼは首を横に振って、


「むしろ逆ね」

「と、言うと?」

「ヤケ食いよ。胸糞悪い嫌いな人と喋ったから」


 と言って、セティの前に朝食を置いた。

 パンとスクランブルエッグ。それからサラダに牛乳。

 朝のパンを手に取って頬張りつつ、セティは頷いた。


「ほぅ、以外です。ロゼさんにも嫌いな人っているんですね」

「当たり前よ」


 ロゼは嘆息した。

 その『胸糞悪く』なるほど嫌いな人が気になりつつも、聞かないでおこうと早々に食べ終わったセティは、食器を片付けるために立ち上がる。


「ごちそうさまでした」

「お粗末様。今日もどこかへ行くの?」


 セティの余所行きの格好に気付き、しかし普段よりもだいぶ落ち着いた格好だ。

 ロゼは不思議そうに小首をかしげて聞いた。

 しかしあくまでセティは、


「はい、遊びに」


 と答えておく。

 もちろん遊びに行く訳ではないのだが、心配は掛けたくないという配慮だ。

 ロゼもあまり踏み込まないように、『そう』とだけ言った。


「では」


 椅子の上に置いたショルダーバッグを手に取る。玄関に向かう扉を開けて、セティは振り返った。


「夕方には、帰りますね」


 ☆


「あとこれ。それと、これですわ」

「あ、あの」


 大量の薬瓶を抱えさせられ、セティは多大な困惑を持っていた。

 それぞれ片手分の大きさの瓶は、中に赤や青といったカラフルながらも毒々しい色をした液体が入れられており、――正直言って怖い。


「これ、なんですか……?」


 聞くのも恐ろしいが、聞かないのもそれはそれで怖い。恐る恐る問い、セティは目の前の少女を見た。

 きょとんと首を傾げて見せた少女は、その桃色のツインテールを揺らして何ともただのジュースを扱う様に、けろりと答える。


「万物を溶かす薬ですね」

「物騒!」

「こっちは幻覚を見せるもの」

「なんてもの持たせてるんですか!?」


 少女――エビルは全く手元の薬物が毒だとは思わないくらいに愛らしく笑って、楽しげに瓶を弄ぶ。

 それがセティにはヒヤヒヤして仕方がない。


「大丈夫ですわ。相手にかけるだけで効きます」

「そういう問題じゃなくてですね……!」


 もはや手遅れだ、と諦念を込めた半眼でエビルを見る。


 ――少し前、外に出た後の話。

 早く仲直りがしたくて、起きてしまったものは仕方が無いことと、昼までうだうだと待っていることが嫌で出てきてしまったものはいいが、朝早くというのは向こうにも迷惑がかかる。

 そこで、仲直りの品を用意しようとエビルの店へ立ち寄ってみたのだ。

 ハーブティーを買うつもりだったのだが、何故か『貴方はよく絡まれがちです』とか言われ、現状武器の一本でもと選定されているところ。

 セティは小さなため息をつくと、腕いっぱいに抱えられた薬瓶をエビルに向かって差し出した。


「やっぱり武器はいいです。向いてないので」

「あら、そうですわね。貴方は途中で中身をぶちまけそうですもの」

「……それどういう意味ですか」

「そのままの意味ですわ♡」


 ――彼女のこういう所、嫌いである。

 地味に心を抉り、傷を残していく彼女はセティの腕から華麗に薬瓶をかっさらって、手品のように元の棚に戻していく。


「そうねぇ。では、これなんかいかがかしら?」


 ふ、と思い付いたように壁際の棚から何かを取り出して、エビルはセティの前に戻ってくる。

 差し出されたのは小さな紙切れ。

 真っ白の正方形に切られた手のひらサイズの小さな紙には、中心に鮮やかな赤一色で描かれた花がある。

 セティはそれをじっと見つめ、エビルに問うた。


「なんです? これ」

「所謂魔法の紙切れ〜〜みたいな物です」

「まほう?」


 セティが顔を上げる。

 エビルは態とらしく笑って、


「鋼鉄虫を溶かしてからまた固め、粉々に砕いたあと紙に練りこみまして――」

「行程では無く使用方法の方を聞いてますッ!!」


 既に可愛らしい花の絵はセティからめいいっぱい遠のいた場所にある。

 腕を伸ばして完全ドン引きアピールだ。

 ただ、折角の商品なので無下に扱うこともできず、捨てるようなことなど以ての外である。

 そんな葛藤に苛まれたセティを面白おかしく笑って、エビルは『失礼』と奥へ向かって行く。


「どうしたんです?」

「実践した方が早いです。セティさん、それ、ちゃんと握り締めててくださいね」

「え、えぇ……」


 明らかに嫌そうな顔を浮かべながらエビルの背を見る。

 エビルはすぐに帰ってきて、セティの目の前に立つといきなり腕を突きつけた。


「ッ!?」


 その鋭利な、先の光る物――包丁を持って、エビルは不敵に妖しく笑う。

 喉元に突き付けられたそれは恐ろしく、一歩でも動けば刺されてしまうような位置。

 冷や汗が自然と頬を伝って落ちていくのが分かる。


「な、」

「――いきますわよ」


 急に振りかざされたその手に思わず目を瞑って、セティは次にくる衝撃に備えた。

 刹那。


 ――キイィィンッ!


 金属音が部屋中に鳴り響く。

 思っていたものと違う衝撃に、恐る恐る目を開けて、次に見開いた。


「は、……?」


 手の中から紙切れが赤い光輝を瞬かせている。

 それだけではなく、今もなお本気の力を込めているであろうエビルの、その手に握られた刃物を遮るように、花の絵が魔法陣のように具現化されて盾になっていた。

 もういいだろう、とエビルは大人しく刃を収めてセティに向き直る。


「――とまあこんな感じの盾です」

「え、は、ど、どういう原理ですか……!?」


 驚きと聞きたいことが色々混ざって最初に聞いたのがこれだ。

 カルチャーショックが凄まじい。


「この世界には二つの物質が魔力を持っていますわ。旧時代には一般人にもあったらしいですけど」


 人差し指と中指を立てて、エビルが急に突拍子もないことを言い始めた。

 更にカルチャーショック。


「一つはこの様に、秘境に住むと言われる幻想生物。なので今回の紙は応用して作ってみました。ついでに言えば私、薬学って言うよりかは魔法薬学専門です。世界に私以外居ないんですよ。それと、その紙。あと一度しか使えない不良品に成り下がったので、半額でいいですわ」

「お金取るんですか!?」


 何という強引な商業方法。

 一応、彼女は自分を心配してくれてのことだと信じてセティはしぶしぶ財布を取り出す。

 金銭と紙とを交換しながら、気になったことを問うた。


「もう一つはなんですか?」

「ああ。それは貴方達ですわよ」

「――は?」


『ロストが使う魔法属性』

 以前、ブレーヴと棚の資料を取り出した時に見かけたタイトルだ。

 セティはそれを思い出しながら確認する。


「ではロストは魔法が使えると?」

「そういうことです。――さて、セティさんはハーブティーが目的でしたね。ご用意して来ますわ」


 ぱん、と両の手のひらを合わせ、エビルは奥へと駆けていく。

 その間セティは何時ものショルダーバッグを開け、紙を大切にしまった。

 ハーブティーができるまで暇になってしまったので店内を物色することにする。

 この店は見ていて飽きない。その上木造という点が非常に良いのか、薬草と木の香りがマッチしていて落ち着く空間を生み出している。

 天井近くを浮遊する桃色の可愛らしい花も、足元を這う花虫もセティを楽しませてくれていた。

 先程エビルが寄越してきた薬瓶は物凄く物騒であったが、店内の薬のラインナップを見る限りはまともである。


(風邪薬、頭痛薬…………――夢薬?)


 ふと、気になった薬瓶。

 紺のような、桃色のような、しかし紫のような色をした液体が入った親指と人差し指で持てる程の小さな瓶だ。

 何とも女の子らしい字でポップも作ってあって、売れ筋が良いことを示している。


「『最近嫌なことばかりでお疲れのあなたへ、些細な願いを叶えましょう』……?」

「あら、夢薬ですか」


 丁度戻ってきたらしいエビルが声を上げる。

 彼女はセティの元へ寄ると、事前に預けていた水筒を手渡した。


「カモミールです。レモンバームと同じような効果ですが、甘く優しい味が成功をくれるでしょう」

「ありがとうございます!」


 エビルはにこりと微笑んで、次に瞳をキラキラと輝かせた。ずいっとセティへ本人が少し後退りする程度に顔を近づける。


「夢薬ですが……!」

「えっ、へっ?」

「こちらの薬、飲む者の願った夢を見せることができます。水に溶かすだけで甘くフルーティーな味わいを堪能していただくと同時に、飲む前にカップへ問いかけていただくと、その夜には忽ち素晴らしい夢心地へと誘ってくれる夢のような商品ですお一ついかがですか!?」


 途中から一切空気を吸わないで一言に言い切った彼女に引き気味になりつつ、今の自分には必要ないと断っておく。

 エビルは肩を落としながら、


「では幾らでも見て行ってよろしいですし、もしご希望の商品があればお作り致しますから、どうぞご贔屓に」


 と営業スマイルなのかデフォルトなのかよく分からない笑顔を浮かべて言い放った。

 あくまでも売ることを忘れない商人の精神は立派だと思う。


「ではこれ、ハーブティーのお代です」

「あら、ありがとうございますわ。……そうね、ハーブティーコーナーもいっそ作ろうかしら」

「それならわたし沢山来ますよ?」


 少女達の笑い声が響く中、時計は十二時を刺そうとしている。

 再び扉を開けて挨拶を交わし、退店の鈴音がまるで応援をしてくれるようにセティの背中に呼び掛けた。


 ――目指すはあの、空と街の境界線が見える高台である。

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