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第9話「ハーブティーと踊る人形」

 コトリ。

 透明なティーポットと金の縁取りが施された花柄のティーカップが湯気と同時に柑橘類の様な香りを吐いている。


「レモンバームです。どうぞ」

「ありがとうございます」


 セティは両手でカップを持ち、口に運ぶ。

 熱くてちょびちょび飲む羽目になったが、スッキリとしていてかなり美味しい。

 エビルの部屋は観葉植物が多くナチュラルな感じだが、女の子らしさもあって居心地が良かった。


「さて、セティさんは何故あのようなところに?」


 きょろきょろと周りを見ていたセティに、エビルは椅子に腰掛けながらそんなことを聞いた。

 途端にセティの顔が強ばる。

 誰しもあの様な場所に人が居たら、何故か、と聞くのは当然だが、しかしセティには触れては欲しくない話題である。

 一拍。

 セティはそれだけを置いて、口を開いた。


「喧嘩を。喧嘩をしたんです……」


 生まれて初めての友達との喧嘩である。

 本来ならば喜びたいところではあるのだが、状況は軽くない。

 重々しい感情が心を支配して、自然と顔を歪めさせる。

 ――しかしエビルはきょとんとした顔で言い放った。


「へえ、正義を擬人化したような貴方でも喧嘩はするのですか。はて、どういった状況で喧嘩などと?」

「あなた、結構ズバッとモノを言うんですね……」


 セティは呆れを半眼に宿してエビルを見る。

 一方エビルは、ふふ、と笑ってセティを見返した。


「驚かないで聞いてくれると、こちらとしてはありがたいんですけれど」

「あら、カミングアウトですの? 受けて立ちましょう」


 相変わらずエビルの顔は笑っている。

 それはそれで可愛らしいのだが、話の内容がセティにとっては笑えるような内容ではない為、少しだけムッとする。

 セティは深呼吸をして、それからあの、皆が恐怖に顔を染らせた、自分の正体を言い放つ。

 胸がドキドキと鼓動をうるさく繰り返す。

 また嫌われたらどうしよう。

 そんな思考を振り切ってセティは、


「わたしは、――ロストなんです」

それで(、、、)?」


「…………………………………………は?」


 それで、というのはどういう意味だったか。

 会話を促す時に使うものだが、こういう時ではない気がする。

 セティは呆気に取られて口をパクパクさせた。

 エビルの顔は特に変わりはないし、それこそ恐怖なんて一文字も伺えない。


「その程度で驚くと思ったのかしら。心外だわ」

「な、何でです? てっきりみんな怖くなるものかとばかり……」

「そりゃ、王室からロストがこの街に揃っている事は聞かされていますし何より、ですわ。うちには優秀な情報屋が居りまして」

「情報屋……?」

「ええ。弟みたいなものですわ」


 そう言えば、二ヶ月前に会ったとき彼女に駆け寄ったもう一人の少年。なるほど、そういうことか。

 顔を上げ、セティは真っ直ぐエビルを見た。


「それでは、最初からわたしの正体が?」

「ええまあ、そういうことですわね」


 ――なんだ。

 ほう、と息を吐いて、それまでどうやら強ばっていたらしい体を椅子の背もたれに預けた。

 次いでに少し冷めた、温かいハーブティーを一気に喉に押し込む。


「ふふ、おかわりは?」

「いただきます」


 透明のポットから液体が再びカップを潤す。

 エビルは楽しそうにそれを見て、満足げに頷いた。

 彼女の動きはまるでダンスパーティを開いてるかのような振る舞いをする。優美な音楽が自然と耳に聴こえてくるような、そんな振る舞い。見ているこちらまで楽しくなりそうだ。

 つい、多分いいとこのお嬢様とかそんな出生なのかな、と、どうでもいい思考まで持っていってしまう。


「――さて、落ち着きましたか?」

「へ?」

「レモンバーム。気持ちを落ち着かせる効果があるんですの。セティさん、前に会った時より随分落ち込んでいらしたから」

「……」

「良かったら喧嘩の内容、お聞かせ願えるかしら?」


 ――彼女は、最初から自分のことを考えて行動をしていたのか。

 セティの目頭が少し熱くなって、顔を伏せる。


「その、」

「はい?」

「こちらこそ、聞いて、もらえますか……?」

「ええ、もちろん」


 にこりと笑ったエビルはやはり、人形のようだった。


 ☆


 あの時の全てが、まるで映画のように瞼から焼き付いて離れない。

 一週間の間、これまで一度も崩れたことのないらしいあの建物は、やはり既に悲鳴を上げながら一週間を繰り返していた。

 本来ならば無事に一週間を過ごせる筈だったのだが、偶然が重なり、遂に屋根が崩れ落ちたのだ。

 それをセティは咄嗟に消した。

 今まで成功したことのないスパリーレは見事に成功して、セティも喜びたいところだったのだが、後に残ったのは。


「後に残ったのは、屋根の無いあの家と、皆さんの怯えた表情だけです」


 セティの声は暗く、重かった。

 中々手を付けていない二杯目は既に冷めきっている。


「それで、貴方は無我夢中でここまで逃げてきたんですの?」

「……はい、そうなりますね」


 エビルは一言一言を慎重に選ぶように、だがそんなことも諦めて、ため息を吐いた。

 その行動にセティの眉根が寄る。


「セティさん貴方、」

「はい」

「残念ですけどそれ、喧嘩でも何でも無いですね」

「――へ?」


 素っ頓狂な声が出て、自分でも驚いた。

 重かった心が、声が、一気に軽くなる。

 それどころじゃなく、ただただ目を丸くして目の前の少女をまじまじと見た。

 ――彼女は何を言っているんだろう。


「むしろ貴方、何を基準にして喧嘩と称しているんです?」

「へ、えっと、その、世間一般では嫌な顔をされたらそれが嫌われてることだと、喧嘩だと聞きました……」

「誰ですそれを言ったのは」


 エビルが完全に呆れた目でこちらを見ていた。

 うう、と縮こまる。まるで叱られているよう。

 冷めたカップを持って、セティは少しだけ口に含んだ。

 香りは既に抜けてしまっているが、美味しさは変わらない。


「では、喧嘩ではないことも分かりましたし、さっさと謝りに行っては?」

「喧嘩で無いのなら謝る必要あるんですか?」

「もちろん。貴方はロストであることを隠し続けていたんでしょう? それに対する謝罪ですわ」


 なるほど、と頷く。

 ハーブティーを飲み干して、セティは立ち上がった。


「ありがとうございます、エビルさん」

「いいえ。今日はもう遅いです。謝りに行くのは明日に」

「はい」


 素直に、高らかにそう言う。

 今のセティは先ほどとは打って変わって、気分が晴れやかだ。何とも単純である。

 丁寧にお辞儀をして、彼女に感謝の意を示す。

 それから廊下に出た。刹那、少年の声が掛かる。


「あ、話し合いは終わり?」

「ええ」


 闇のように暗く、艶やかな紫色の髪と瞳を持つ少年。確か、二か月前にエビルと共にいた。

 少年はにっこりと可愛らしい笑みを浮かべて、セティに向き直った。


「ルミナ・ディプラヴィティ。これでも情報屋なんだ」

「ああ、あなたが」

「ルミナ、セティさんを送って差し上げなさいな」

「うんオーケー。噴水広場まででいいよね?」

「あ、はい」


 こくりと首を縦に振って肯定の意を示す。

 それを受け取ったルミナは歩き出した。その途中、彼は振り返りざまに告げる。


「キミが迷わないように、ちゃんと案内するね」

「……すごく皮肉を言われているような気がします」

「気のせいだよ」


 にこりと笑う顔もまた、愛らしい。

 どこまでこの少年は知っているのか。

 というか、この二人は言葉に棘を含ませないと喋ることが出来ないのか。

 兎にも角にも、と。

 セティは置いていかれないようにしっかりと彼の歩の後を付いていった。


 ☆


 ――世界は広い。


 それは彼が生まれてからずっと思っていたことだった。


『シンザ、世界は広い。――だから、私は世界を見たい』


 幼い頃から姉の、その決意の籠った優しい声を聞いてきた。

 でも、とシンザは口の中で呟いた。


 世界は広い。だからこそ、――世界は狭い(、、、、、)


 これは今日思ったことだ。

 初めて会った時の彼女は、何の変哲もない外の人だった。

 世間知らずで、方向音痴で、馬鹿で、阿呆で――光をくれる。

 純粋故に庇おうとしてくれた。だから優しくした。――否、優しくせざるを得なかった。


「なんで、……なんで俺なんかを」


『ロストだから』嫌いになった。

 そんなはずはない。嫌いになれるわけない。――きっと彼女は特別だ。

『何の変哲もない外の人』なんかより到底遠い。特別な存在。

 眩しくて、道を示す存在。

 だから、だから。


 ――『自分だから』嫌いになった。


 底辺の人間は特別には相応しくない。

『お友達』で解決するような彼女とは違う、自分は明らかなる底辺の人間だ。

 裏都市の住人(ヴィクタム)は数人グループで小さな縄張りを作り、生きていく。

 貧乏故に大人達は皆自分を売って金を稼いだ。殆どが売春なり人身売買なりを生業とする。

 シンザはこれらを子供の頃からいつも軽蔑の眼差しを持って見ていた。

 決して生活が一日でも楽になるとは言いがたい給料を、問答無用で酒などに使っていく姿もまた、堕ちるところまで堕ちた人間の成れの果てと言えよう。


 ――しかし俺らは、とシンザは思う。


 子供五人グループのシンザ達には何も出来ることは無かった。

 まだ幼い歳下の子供たちを、シェールドと二人で養うだけの職も金も、一切持ち合わせてはいなかった。カトレアも働こうとはしているが、華奢で痩せ気味の彼女に職などある筈もなく。

 だが他のグループにも生活がある。子供を受け入れるほどの余裕はどこにもない。


 だからたまに物を盗むことも、仕方がなかった。

 金をひったくることも、仕方がなかった。


 この都市の表向きは、『潤っている』という言葉が似合うだろう。

 人が多く、活気に満ち溢れ、国の中心として位置する。

 最近ではロストが集まっており、都市をさらに豊かにしてくれるのではないか、という噂も流れていた。

 しかし一歩、裏側へ足を踏み入れれば都市が潤っていないことは明白だ。

 前まで路地裏は裏都市の住人(ヴィクタム)の住処として知られていた。だがどう歪んでしまったのか。無法者達が集まるようになり、力を持つ者が勝利を収める、まるで表と裏を挟んで世界が変わったかのように暗くなった。

 ――それでも王族は手を差し伸べず、しかし手を下そうともしない。

 子供が泣き喚こうが、大人が縋りつこうが構い無しに蹴飛ばして、ゴミ(、、)を寄せ付けないようにした。


(だから俺は王族が許せないし、この現状に見て見ぬ振りをする、自分だけが幸せになれば良いと思ってる表の奴らも大嫌いだ)


 それはどうしても、ロストも同じだった。

 聞いた話によれば王族から支援資金を受けてのうのうと生きているようではないか。

 現にセティは何も知らなかった。

 彼女の良い所は『知ろうとした』ことだろう。


 途端、くい、と服の裾が引っ張られる感触がした。

 振り返ってみると、そこには新緑の森をどこまででも進んだような黒髪があった。


「またここにいた」


 呆れを態度で表しながら、彼女は半眼でシンザを見つめる。


「いくら初夏とは言え、流石に夜は冷え込むよ? こんな所だと風邪を引くでしょう?」

「ま、確かに風通しは良いな」


 けらけらと笑ってみせる。

 カトレアは諦念を込めて短い溜息を吐き、次にこの場所に設置された一つだけのベンチに座る。

 シンザもそれに習って隣に座った。


 セティと初めて出会ったこの場所は、見晴らしが大変よく、大通り・ユークランド通りが一望できる。

 夜にも関わらず活気に満ち溢れた大通りは、星に同化するように提灯をぶら下げてキラキラと輝いていた。

 夕陽も負けず劣らず綺麗だが、星はまるで自分自身が発光しているかのように見える。


 ――やはりこの場所は大好きだ。


「ねぇ」


 カトレアが呟く。

 隣を見れば彼女は上ではなく下を向いていた。

 スカートの上で手を弄びながら、重い声を発する。


「――セティは……?」


 ――彼女もまた、気にしているのだろう。


 七年前のトラウマから、思わずあの現象を、行った人物を怯えた目で見てしまう気持ちは痛いほど分かる。

 カトレアは銀色のヘアピンを星明りに反射させた。セティに貰ってから、ずっと付けているそのヘアピンを。


「私、セティに酷いことしたって分かってるんだよ。友達を、あんな目で見てしまった。いつの間にか『怖い』って思ってたの……」


 震える彼女の声は今にも泣きそうだった。

 まだ十四歳。確か七年前に彼女が帰ってきた目の前で、家族と家を失ったんだったか。

 シンザは、ぽん、と頭に手を置いて撫でくりまわしてやる。


「ちょっ――!」

「大丈夫だ。謝ればいい話だろ?」

「ッ――でもっ!」


「お前はセティが嫌いか?」


 表情から笑みを消して、真剣に問いかけてやる。

 彼女は吃驚したように目を見開き、それから下を向いた。

 ぐしゃぐしゃになった髪の毛を整えるためにヘアピンを外して、付け直す。


「――大好きよ。世間知らずで純粋で、あんなに私達を見てくれる子、他にいないもの」

「そっか」


 じゃあ、後は謝るだけだ。


 その言葉を自分にも言い放って、シンザは立ち上がる。


「寝ようぜ?」

「……うん」


 もしあの時彼女が居なかったら、自分達は瓦礫の下敷きになって死んでいた。

 生に執着があるからこそ生きているのに、こんな所で死んでいられない。

 一週間に一度繰り返す再生の最中、今まで一度も崩れたことは無かった。

 だから油断していた。安心しきっていた。

 すっかり屋根の無くなった家に帰って、汚くなってしまった毛布をカトレアに被せてやる。

 それから自分も床に転がって目を閉じた。


 ――どうか明日も最高になりますように。


 毎晩唱える願い事は、いつも以上に星に届いた気がする。

 シンザは満足したように、夢に身を落としていった。

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