始まりに行く勇気を。
その声を月葉は聞いた。
「お前、そのまま死ぬつもりか?」
そこには誰もいなかったはずだ。月葉はコンクリート張りの部屋の中で飛び上がり、九本の尾をその動きの残像として残しながら、琥珀の瞳で声の主を見る。
それは女性だった。外見で見た年齢は十代後半だろうか。銀色の髪は長く、おそらく背を覆うほどあるだろう。瞳は毒毒しいまでに赤く、鋭いが、その顔立ちは美人と言えるようなものだった。
(十代に見えますけど……違うんでしょうね……)
思う。この女性は、恐らく、
「私は人ではないよ。」
月葉の考えを察したのか、女性が微笑んで
「私は、君と同類だ。種族は違うがね?私は―――吸血鬼だよ。」
「吸血鬼……?」
セアは警戒を少しだけ解き、問う。セアは頷いて、
「ああ。吸血鬼、セア・マリリネーラだ。お前は『鏡月』……だよね?」
(セア、というと……)
その名前には聞き覚えがあった。確か、
「その呼び名はあまり好きじゃないですね……。『闇の王』?」
「私もその呼び名は好きではないな。このような極東に届くほど私が有名だったとは知らなかったが。」
「それは僕もそうですね。所詮は日本の妖狐の中で、という話ですし。」
二人はそう言葉を交わし、しばらくにらみ合いを続けた後、根負けした月葉が沈黙を破る。
「……それで?何の用です?」
「ふふふ。私の勝ちだね?」
「……あなた本当に吸血鬼なんですか?」
月葉はため息交じりにセアを見る。睨み合いに勝って、それを喜んでガッツポーズする姿はまるで幼い人間の子だ。
(長い時を生きる上で些細なことを喜べるのはいいことなのかもしれませんが……)
「吸血鬼だよ。長い人生を楽しめているのはこの性格だからだと思っているね。」
セアは得意げに笑い、
「それで、本題だけど……それより先に、人に化けないか?見下される趣味はなくてね。」
語り合うために、そう言った。
★
人に化けろ、と言って、『鏡月』―――月葉がセアを待たせた時間は皆無だった。気がついたら、そこには二十代前半の青年が立っていた。
(一瞬妖気は感じたが……これが妖狐の頂点か。)
思わず頬が笑みの形をとる。それは気まぐれの観光旅行でやって来た日本で、自分と同等の存在に会えたことによる喜びからくるものだった。
「―――さて。」
(こいつをどう動かそうか?)
セアは『闇の王』と謳われる存在で、最強の吸血鬼とされている。セア的にはまだ母や祖母には追い付いてないと思うのだが、周囲はセアを最強だと謳う。
敬れはすれど、友達になれた存在は少ない中で、同等の力量の存在は貴重だ。孤独には慣れているが、孤独が好きな訳じゃないし。
セアは月葉を説得するため、言の葉を紡ぐ。
「それで、月葉。お前は何をしたんだ?」
「『主殺し』です。」
「……『主殺し』?」
聞きなれない言葉にセアは首を傾げ、問う。
月葉は幻術で作り出した椅子を本物と偽り、セアに進め、自分は床に正座する。『騙し』といわれる妖狐の力の最高レベルの技にテンションを上げるセアに問う。
「僕が安倍家の『式神』だったことは知っているでしょう?」
「あぁ。安倍家の主戦力とされた……んだったっけか。」
月葉は頷き、続ける。
「僕が安倍家の『式神』となったのは数千年前―――安倍晴明様が頭首を務めておられたころです。だから、僕の契約者はもういないことになりますね。」
(いない……?)
それはどういうことだろう、とセアは首を傾げる。妖怪に関してあまり詳しくないのでよくは知らないが、『式神』の契約は一対一で行われるもので、
(契約者が死亡したらその契約は消えるものじゃないのか……?)
「じゃあ、今―――さっきまでか。お前は何と契約していたんだ?」
「契約はしていません。晴明様の契約を晴明様の血脈との契約と解釈していただけです。」
「つまり、お前は今の人間とは契約していないってことなのか?」
「ですね。僕の契約者はあくまで晴明様で、数千年たってなお安倍家に残っていたのは―――約束、ですかね?」
「……約束?」
昔を懐かしむように黒い瞳に柔らかい光を灯した月葉が頷き、
「はい。約束です。遺言とでも言いましょうか?『安倍家を支えてやってくれ』というのが晴明様のお願いでしたから。」
「遺言、かぁ。義務はないのにそれを果たそうとするってことは仲良かったんだな?」
赤い瞳を細め、微笑とともに言ったセアに、月葉は頷き、
「はい。契約者というよりは、晴明様とは友人というような関係でした。」
そう言った。
(見つけた……)
セアはそれを聞き、にやりと内心でほくそ笑む。晴明と月葉の関係は望んだとおりに物事を動かすのに使えそうだと思いながら、
「じゃあ、月葉。」
尋ねる。その声を弾ませ、頬を笑みの形にさせたのは、きっと同じ『最強』と謳われる存在としての立場を持つ仲間を得れる、という喜びだ。
「お前は安倍晴明が無意味に死ぬとしたら、どう思う?」
★
(死ぬとしたら……って、晴明様はもう亡くなっておられるのですが……)
月葉はそう思いつつも、考える。
晴明が無意味に死ぬとしたら、自分はどうするだろうか、と。
……答えはすぐに出た。
「止めます。」
月葉は椅子に座るせいで自分より高い位置にあるセアの瞳に視線を合わせ、凛と言い放つ。
「晴明様はもうご存命ではあられませんが……もし、晴明様が無意味に死のうとするならば、僕は止めます。それが恐らく、友としての務めですから。」
それは月葉が本心で思った言葉だった。偽りなく、偽造なく、ただ一人認めた主を想った言葉。
「だよな。」
だからこそ、セアの言葉が胸に来た。
「きっとそれは、安倍晴明も同じだと思うんだよ。」
(それは……そうだと思われますが……)
真実だろうと、そう思う。
けれど、その言葉に素直にうなずくことはできなかった。何故なら頷いてしまえば自分の死が―――罪を償うことに意味がない、月葉の罪は償う価値もない、と認めてしまう事だからだ。
だから、否定する。
「しかし、僕の死は無意味ではありません。『主殺し』を犯した戒めで―――」
「私は、」
しかし、その言葉を遮るようにセアが言う。
「『鏡月』は無意味な殺しをするような妖怪だとは聞いていないが?逆に生真面目な奴だと聞いていたが。」
「……、」
その言葉に何も返せず言いよどむ。
『主殺し』をしたのには……安倍明を殺したのには理由がある。けれど殺したという事実は揺らがなくて……
「私はその理由は聞かないよ。けどさ、月葉が止めたかったことは今回の『主殺し』で終わるものなのかい?」
終わらないだろう、と思う。なぜなら、
(明人は明を尊敬し、陰陽師としての誇りを持っていましたし……)
何も言わず、何の反応も見せない月葉を見て、セアは自分の考えが当たっていると悟ったのだろう。椅子を立ち、視線を合わせ、手のひらを差し出し、
「何か果たしたいことが―――果たせねばならぬことがあるんだろう?だったら、ここで死んではいけない。」
そう言った。それに月葉は―――
★
「頭首様っ!」
それは、月葉を除名した日の夜中だった。
明人がこまごまとした雑務を終え、そろそろ床に入ろうか、とした時だ。
障子の向こう側から、下働きの少年の焦った声がこちらの返事も待たず、続く。
「妖狐が―――月葉が逃げましたっ!」
お付き合いいただきありがとうございました。
感想等書き込んでいただけると幸いです。