終わりの理由は。
そこは、板張りの部屋だ。
広さは30畳ほどで、無駄に広い。その部屋の中に、十数人の人がいた。
全員が白く、顔を隠した衣装に身を纏う中で、一人、明人だけが普段より少し高価な布が用いられているだけであとは全く同じ公家服を着ていた。明人は白布たちが準備をするためあくせく働いているのをぼんやり眺め、突っ立っていた。邪魔にはなっているだろうが、安倍家の当主である明人に逆らえる者はいない。
だから、突っ立ったまま、
(何で、月兄ぃは……)
思う。
(何で、父上を殺したんでしょう……?)
納得した。父上を殺した……『主殺し』をした妖怪を自分が殺さねばいけない、ということは。
けれど、使命と感情は違う。
大罪を犯しても明人にとって月葉は頼れる兄貴分で、尊敬できる存在だ。すぐにその認識を変えることはできない。
(何で、月兄ぃを殺さなくては……)
いやだと思う。
殺したくないし、いなくなってほしくない。陰陽師の術を使えるようになったとしても、自分はまだ、
(まだ、子供なんでしょう、月兄ぃ……。)
まだ二十歳だ。人としては大人でも、妖怪から見れば子供でしかない。
だから、まだ支えてほしいとも思う。
(私を支えてくれるという約束は、どうなるのですか……)
「と、頭首様っ!」
そんな、弱音で染まりあがった思考は、かけられた声に反応し、胸の内にしまいこまれる。
「何だ?」
明人は視線を声のしたほうに向ける。そこにいたのは下働きの少年一人と、一人の見慣れない青年だ。なんとなくの勘で答えを導き出すならば、
「月に……月葉。」
「おや。もう兄と慕うのは終了ですか?」
「……黙れ、罪人。」
「人ではないですがね。」
その青年は月葉だった。妖気を周囲に漏らさず、陰陽道を学んだ人たちを騙し、完全に人の姿を模した月葉を見て、白装束の人たちが動揺を漏らす。
―――自分たちは何てものを敵に回してしまったのか、と。
(私も月兄ぃが答えなくては分かりませんでしたし。)
「何故何の対策もせず連れてきた。」
「すっすみません!自然な流れで、つい……」
「言い訳するな。」
「許してあげたらどうですか?彼もわざとじゃないですし、僕は逃げませんし……陰陽師ごときの束縛術など、僕には意味を持ちませんよ?」
明人が月葉を束縛せず、自由な状態で連れてきた下働きの少年を叱咤するとそれをフォローするように月葉が笑顔で言った。声も普段とは違い、外見に会う穏やかな声だ。
……けれど、人々が驚愕したのはその声までも作り変える技術ではなく。
(確かに、陰陽師の術の大半は『鏡月』と謳われる月兄ぃに対して意味を持ちませんが……)
月葉の『鏡月』という二つ名の由来。それは、鏡に写った月には触ることができないというところからきている。つまり、月葉の力は自分たちにとっては手の届かない高みのものであり、近づくことすら不可能という自虐的な意味を持った二つ名だ。
(けれど、陰陽師にもプライドがあります。)
だから、言う。
「しかし、私どもの陰陽術も日々進化している。いつまでも月に手が届かないわけではない。」
「その陰陽術の進化も、僕は見てきたんですがね。」
その言葉に明人は悔しげに眉をひそめる。
確かに月葉は陰陽道の歴史を誰より知っている。陰陽術の発展にも力を貸していて、陰陽師が廃れていないのは月葉の助力があってこそだとも言われている。
そしてそれを知り、彼の性格を知っているからこそ
「何故、父上を殺した?父上とは取り立ててそりが合わなかったということもないだろう?」
そう。明と月葉はそれほど仲良くなかった。悪い、というわけではなかったがそこまでよくなかった。
(思い返せば、祖父上様とも仲が良くなかったですし……)
月葉は、明人があこがれた任務をこなす陰陽師たちをあまり好んでいなかった。
(なのに、助力はする……どういうことでしょう?)
嫌っている感じはない。けれど好いている感じもないのに、助力する理由。それは、明人がずっと不思議に思っていたことの一つ。
「明人は、己の任務を誇りに思っていますか?」
そんな昔からの疑問を込めた問いに、返ってきた言葉は問いだった。
明人はその質問に訝しげに眉を顰め、月葉を見る。
月葉の、―――青年の姿に化けた月葉の目は細く細められ、色合いも造形も違うのに、妖狐としての彼の面影を匂わせていた。雰囲気も、何もかもすべてが研ぎ澄まされ、鋭く、冷たく明人に答えを迫る。
―――まるで、月明かりに照らされた刃のような―――
(本気、で聞いているのですか……)
明人は月葉の放つ抑え込まれていた妖気に臆する気持ちを、右手を握りこむことで抑え、頷き
「当然だ。私どもはかつてこの任を任され、以後ずっと果たしてきた。だから、私の任務は堂々と誇れるものだ。」
そう答えた。月葉は暫く妖気を周囲に放ったまま明人の目をその答えの審議を図るように見つめ、
「―――そう、ですか。」
ふっ……と鋭い瞳を和らげて、今まで刃を突き付けているかのように周囲の空気を張りつめさせていた妖気を再び仕舞い込む。腰が抜けたのか、白装束の数人がしりもちをつく音が場違いになる中で、月葉は厳かな声で―――なぜか偽らない、己本来の声で、告げた。
「ならば僕たちはもう理解しあえません。安倍家は、時を重ねすぎました。」
「はっ……反抗するとっ!?」
「いえ。何もしませんよ?」
焦って、外聞を忘れてそう聞いた明人に、月葉が静かに返す。全てを諦めたような後悔の色に染まる瞳で明人を見つめ、諦め、けれど迷いなく
「だから『除名の義』を行いましょう。僕は、懺悔も抵抗もしませんから。」
己の滅びへ足を進める。
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