始まりは終わりを見つけた。
「すまない、月葉。」
それは、自分の主が今際の際に言い残した言葉。
「私は先に逝く。ともにいるという約束を果たせなくて、すまない。」
最後に残していった願いだ。
「もしも、今際の私の願いを聞いてくれるなら、友よ。」
そして、自分がかなえられなかった約束だ。
「安倍家を、支えてやってくれないか……?」
過去の記憶。――――現在の後悔。
★
「つ……月葉様、『除名の義』を行いたいと思いますので、ご同行願います……!」
おそらく次の日。
目を閉じ、訪れるわけのない睡魔を待っていると、下働きの少年がやって来た。恐らく押し付けられたのだろう。目を閉じたままでも、その少年が怯えているのが分かるほど彼は怯えていた。
(昔は僕も、子供受けがよかったんですが……)
そう思い、ため息をつく。その昔がほんの数日前でしかないところが寂しいと思う。そして、思いながら月葉は体を起こす。四本足で立ちあがり体を伸ばして、琥珀色の瞳で下働きの少年を見て、
「ひっ……」
怯えられてしまった。その事実に少し泣きたくなる。
月葉の目つきは鋭く、妖狐としての外見はよく晴明に「研ぎ澄まされ、月に照らされた刃物のようだ」と言われていたが、それもかつては憧れの眼差しとともにみられたもので、
(今までの心地よい環境は全て『式神』だったからこそ、なんですね……)
自分が陰陽師にとっては倒すべき『式神』でしかないことを思い出し、月葉はため息をつく。自由を代償に手に入れていた居心地の良い場所は、思いのほか限定された状況の上でのみ成り立っていたものらしい。『除名の義』は陰陽師が大罪を犯した『式神』に対し罰を課し、『番殺し』という大罪を犯さないようにするための儀式だ。妖怪を『式神』の任から解き、その上で罰を課す―――殺す。
『式神』の任から解いたときは死者が出やすく、危険なのだが、それを知ったうえで『除名の義』を行うということは、月葉をまだ中途半端に信じているからだろう。信じていなければ永久に閉じ込めておけばいいのだから。
(まぁ、僕にお世話になった人を殺すことはできませんが……)
何せ、安倍家にいる人たちは全て、赤子の時から成長を見守ってきたのだ。殺すことなどできないし、相手をけがさせずここから逃げることなどできない、ということも知っている。理解されなかった時点ですべてを諦め、安倍家の『式神』でなくなることを受け入れ、死を覚悟していた。
(でもまぁ……このままじゃ、物事がスムーズにいきませんし。)
月葉は怯える下働きの少年を見て溜息をつき、
「――――――、」
意識を集中する。イメージを膨らませ、それを自分だと思い込み……
化けた。どろん、とかいう煙は発生しない。あれはフィクションであり、妖狐は普通あんな分かりやすい化け方はしない。
化けると同時に、一瞬己から全ての万物の視線を外す。一瞬すべての死角に入り、その一瞬のすきに化ける。この時間が短ければ短いほど妖狐としてとりあえずは優秀とされ、その中でも『鏡月』と謳われた月葉のその一瞬は短い。相手に自分の姿を一瞬見失ったことすら気づかせないスピードだ。
だから、怯えた少年の視界には、狐ではなく一人の青年の姿があった。黒い黒髪に藍色の着流し。深衣漆黒の瞳は和らげで、かなりの長身なのにその威圧感を全く感じさせなかった。
「……!」
下働きの少年が、その神業ともいえる化かしの技に瞳を輝かせ、けれどすぐ曇らせる。
(僕が敵であることを……敵となってしまったことを思い出したからでしょうか……?)
青年―――月葉はそう考えながら、不安げにこちらを窺う下働きの少年を見る。
本来なら、落ち着かせてあげてから次の行動に移りたいのだけれど、
(それではこの少年が起こられてしまいますし……)
だから、月葉は少年を誘導する。
これ以上怖がらせないように、言葉を選んで、物腰を柔らかくして、微笑みとともに
「行きましょう?『除名の義』を遅らせてしまっては怒られてしまいますよ?」
誘導する。
自分の死の場所へ。
自分の数千年を、否定する儀式へ。
★
(迷った……!)
セアは地図を睨むのをやめ、内心でそう呟いて空を見上げた。
周囲は昔ながらの日本家屋が並んでいて、高いビルなどがない。噂に聞く京都ではないか、と思われる。ここも後々来るつもりではいたけれど、日本観光の権利を得るためにまず秋葉原に行かなければいけないし、それに今は昼だ。首にかけたペンダントで日光の量を減らし、セア自身にもある程度の耐久はあるが完全ではない。今もじりじりと冬の日差しが肌を焼く。夏になったらどうしよう、と若干不安になりながらも、セアはとりあえずの避難場所を探す。
(京都って観光地多いらしいし、大丈夫だよねー。)
楽観的な思考でもしそんな場所から離れていたらどうする気かは知らないが、セアのいたそこも観光客向けの店が並ぶ道の近くだったらしい。
セアは今、お土産店のおまけのように置かれた日陰のベンチで、近所のおばちゃんと並んでお団子をかじっていた。
「お姉ちゃんは外国の人かい?」
「はい。ちょっと観光に来ました。」
周りがまったりしているようでまったりできていない中で、セアとおばちゃんの周辺だけ時間が止まっているみたいだった。観光客も決められた時間の中で、と頭にあるからかゆっくりしているようで出来てないし。
「でも日本語上手ねー。」
「はい。今まで何度か来たことありますし。」
セアはみたらし団子の残りを一気に口に放り込み、
「――――――。」
その匂いに鼻をひくつかせ、セアはの祖匂いの根本へと視線を向ける。その匂いは、
(血の匂い。……しかも、人じゃなくて妖怪……?)
セアはそこまで嗅覚が敏感な訳ではない。が、血だけは別だ。場合にもよるが、血の匂いなら吸血鬼は水中の鮫よりずっと鼻が利く。もちろん日々の生活の中でちょっとした出血は珍しいことではなくて、人の生活する場所に入って、嗅覚がうっすらとした血の匂いに若干支配されていた。けれど、その匂いはそれらすべてに打ち勝って、セアの嗅覚を刺激した。そのせいできゅるるる……とお腹が鳴り、おばちゃんが楽しそうに笑って、さらに追加購入したお団子の皿を差し出した。
セアはそれを笑顔で受け取り、自然な流れで妖怪の血の匂いが漂ってくる大きな神社を指差した。
「あそこって、神社ですか?」
「ああ、あそこね――――。」
その質問におばちゃんの顔がわずかに曇る。
「安倍家?っていったかしら?よくわからないけど、陰陽師とかいう家系らしいわ。妖怪なんて、いるわけないのにねぇ。」
そうですねー。とセアは笑って返しながら、セアは思う。
(安倍家というと、陰陽師の名門だけど、今安倍家には『式神』は多くないはず……。)
確か、『鏡月』とかいう強い妖狐がいて、それで力の大半を補っているらしい。
そんな安倍家から妖怪の血の匂いがするということは、
(何か、ある。)
理由はないけど、そう思った。
セアは笑顔でおばちゃんとの会話を続行しながら、セアは今晩の予定を決意した。
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