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AWATSU-4-

※※※漆




 波が岩に打ちつける。雲は垂れ込め、空を黒く覆いながら迫っていた。

風が不気味なうなりをあげ、少年の衣の裾がはためいた。

「むん」

組み合わされた指を気合とともに沖に向って突きつける。

くぐもったしわがれ声が梵語を紡ぎ、それはだんだん激しさを増していく。

やがて沖合いの海面が泡立ちはじめ、ぐっと盛り上がった。海面の丘は大きくなりつつこちらに向ってくる。

そして、しぶきを上げて現れたのは白銀の竜だった。

その瞳は陽光に照らされた海の色のように蒼く、きらめきを宿し、妖術に反応して怒りをもって少年を見つめた。

「再び会えて嬉しいぞ、竜よ。この少年を覚えておるか? ぬしの力を気合一つで跳ね返した子供じゃ」

海竜王の瞳がくるめいた。それを楽しそうに見やった妖術師はさらに挑戦的に言った。

「わしはこの子供を手に入れた。そなたの負けぞ、竜よ。大人しゅう我の言うことを聞くのじゃ」

竜の蒼い瞳に輝きが増し、風が逆巻く。波がうねるように立ちはじめ、雲が天空を走りはじめた。

稲妻が走り、その黄金の剣を地へ向けて放ちはじめる。

カッ! と吐き出された青い炎をヒョイとよけた少年は、妖術師のしわがれた声で嘲笑した。

「負けじゃ、負けじゃ! 観念せい!」

海竜王の炎は次々に放たれ、爆音をあげて津のあちこちに大穴をあけていく。

嘲笑しつつ、その炎を軽々とよけながら妖術師が再び呪文を唱え始める。

「我に従え、輝煌よ!」

印を結んだ指をつきつけ、術を放った。

放たれた黒い呪いが触手のように竜に巻きついた。

すさまじい咆哮をあげ、身を翻して逃れようとした海竜王に飛び移り、更に呪いをあびせかける。

白銀の竜は徐々に抵抗の力を弱め、完全に屈してしまった。

「はーっはっはは!」

妖術師はカイの体を操り、そして今また海竜王を手に入れ、一気に空に駆け上がった。




 重傷を負ったリキは、手当てを受けたものの意識不明であった。

意識を失う寸前、彼は駆けつけた姫巫女にカイが何者かに憑依されていること、都を目指すらしいことを告げた。

 いま、姫巫女たちの必死の祈りが続いている。カイの身も案じられるが、今追ったところでどうすることもできなかった。

リキならば、妖物や妖術師に対抗する術を出してくれるのではないか――そんな確証もない思いが水夫たちにはあった。

その頼みである彼が瀕死の重傷で倒れたのだ。

致命的な一撃は少年の手によるものだろう。だが、あの子供がリキに対して剣を向けることは、絶対にありえない。それは水夫たちの誰もが知っていることだ。

そして、それを裏付けるかのように落ちていた、見事な装飾の短剣。

姫巫女によれば、昨日カイが放った青龍刀によって、海竜は妖術師の術から開放されたはずだという。そして、海竜王から叩き落された妖術師は憑依の対象を竜王から少年へと変えたのだ。


 一方、水夫たちの数人が、大伯の郷へと発った。

カイに憑依した妖術師がリキを害し、そして都に向うことを阿伽具に伝えるよう指示されたのである。

いま、姫巫女の要請を受け、伊都岐嶋に渡ってきた安芸津の巫女たちの祈りの声が弥山に響き渡っていった。



 先刻から、耳を打つ音が消えない。

頭をふってみるのだが、”うわあん”という響きは頭の中からしているようだった。

(…なんの音だ…?)

男は呟いた。裸足に砂利を感じる。見れば、擦り切れて血が出ていた。

痛みを感じているのか、自分でもよくわからなかった。目を転じると、砂利はずっと先まで続いている。

――今までずっと歩いてきたような気もするし、そうでないような気もする。

振り返っても同じような景色だった。空はどんよりと曇って、霧が出ていた。どこからか水の匂いがする。川があるのだろうか…?

人影が見えた。ぼろぼろの衣をまとった老人がブツブツと呟きながら歩いてくる。

男は声をかけた。

(もし、ちょっとお尋ねしたい)

しかし、老人はまったく気づかぬ様子でブツブツ言いながら男の前を通り過ぎていった。

(―――?)

戸惑ったように見送ったが、男もその老人の歩いていくほうに進みはじめた。なぜか一歩ごとに体が軽くなるような気がする。

水の流れる音が聞こえはじめた。やはり川があるらしい。砂利のあちこちに草や花が現れはじめた。

(ここは、どこまで続いているのか…)

しばらく歩いていると川が現れた。

さらさらと流れる水は澄んで気持ちよさそうだ。

見れば難なく渡って行けそうなほど浅く、陽光に輝く清流に魅せられたように彼は一歩を踏み出した。

(戻りなさい、リキ!)

突然の厳しい叱責の声に、彼は夢から覚めるようにハッと顔をあげた。

(だ、誰だ…!)

男は辺りを見回し、川の向こう岸に人影を見つけた。

目を凝らすと高貴な身なりの青年が厳しい表情で立っていた。

そして、その人物が誰であるのか解ったとき、

(み、皇子様っ…!)

男は仰天して叫び、とっさに跪いた。

まぎれもなく、十数年前、彼に息子を預け非業の死を遂げた大津皇子そのひとだったのだ。

(リキ、ここで何をしておる?)

(何を…?)

(そなたが今まであれを育て、護ってきてくれたことには感謝している)

(はっ)

(しかし、今、この時そなたに去られたら、あれはどんなに己が罪を苛み、つらい人生を送るだろう…そう思うといても立ってもおられなんだ…。リキよ、親の甘さだ。解ってはいるが、今ひとたび…ひとたびだけ、あれの元へ戻ってはくれぬか)

(皇子様…)

(妖術師に名を支配されたあれは己が身体の奥底に閉じ込められ、必死に逃れようともがいておる。しかし、私にはそれを救うことすら許されぬ…)

(―――)

(名とは、個を支配するものだ。海竜にせよ、あれにせよ。私とて大津という名の支配する宿命に従わざるをえなんだ。――そなたの名は?)

(――? リキです)

(そうだ。どんな意味を持つ?)

(”ちから”です)

(うむ。”ちから”とはそなたの持つすべてのものを言うのだ。そなたには大いなるちからがある。それを忘れてはならぬ)

(はい)

(いま一つ。そなたはあれに”カイ”という名を与えた。何故に?)

(あ、は…)

(申してみよ)

(は。恐れながら。海のように強く大きくお育ちあそばすよう願いを込めて…。また、澄んでおられましたがゆえ…)

男は珍しくしどろもどろで答えた。大津皇子の面にはあたたかな笑顔が浮かんだ。

(海か…。よい名だ。力、海の名を持つ我が子は、たかが年経た妖術師に屈してしまうほど弱い子供か)

(いいえ! 決して!)

反射的に振り仰いだリキの目に映ったのは、あの時と同じ、莞爾と笑った大津皇子の顔だった。

皇子はゆっくりと頷いた。

(あれが好きな名を、そなたの全身全霊で呼んでおくれ。さすれば、あれは呪縛を解くだろう)

(粟津王さまのお好きな名…?)

リキは困惑したように大津皇子を見つめたが、しかし、皇子はそれ以上何も言わなかった。

(さあ。急ぎ戻るのだ。そなたが人生を終えた後にまた会おうぞ! 忘れるな、力! 名とは己が現す一番のちからぞ!)

突き飛ばされるように、リキは後方へと引き戻されていく。

(必ず…!)

小さくなっていく大津皇子の姿に、リキは叫び返した。




 リキが負傷して、まる一昼夜がたっていた。

急使は船を止めることなく、全速力で牛窓の津へ向った。そして、津から早馬を駆り、一気に大伯郷へと入ったのであった。

阿伽具のいる屋敷が見えたとき、遣いの水夫たちは言い知れない懐かしさを感じた。つい先日出たばかりだというのに、だ。

「阿伽具さま!」

「おやじどの!」

若い水夫たちは喉も裂けよとばかりに叫んで、屋敷に駆け込んだのだった。


 「都をな…」

阿伽具はひと通りの話を聞き終わり、しばらく考え込んだあと、呟いた。その声は苦々しく、重いものだった。

リキの負傷に関しては一言、

「その傷で命を落とすなら、あれにはそれだけの命しかなかったのだ」

そう言ったのみだった。

血気盛んな、リキを慕う若衆である。阿伽具の言葉に口々に反論を申し立てた。だが。

「甘ったれるな! 船に乗ることはすでに命がけだぞ! 一度海に出たからにはいつなんどき命を落とすかわからん、そのことを肝に銘じて腹ァ据えてかか!!」

厳しい一喝に、若い水夫たちは一斉にしょげかえってしまった。

「カイを何とかせねばならんな…」

老人の眉間に深い皺が刻まれた。

阿伽具とて、妖術を使う者の対処を知っているわけではない。術者に関しては、伊都岐嶋の媛巫女に任せるしかないのだ。

問題は、帝のおわす京の都だった。

彼が仕える主人より都へ進言してもらうほかない。しかし、その前に妖術師に憑依されたカイが帝の前に現れたらどうなるのか。

カイ自身は知らずとも、カイの相貌をみれば大津皇子の忘れ形見であることがわかる者もいるのだ。

そう…あれからまだ十数年しかたっていないのだ。帝はカイを亡き者にしようとするだろう。逆に、勢力をのばそうと虎視眈々と伺っている者たちには格好の餌食となるだろう。

 阿伽具は、権力争いの泥沼を嫌というほど知り尽くしていた。彼もまた、一族と息子を護るために国を捨てた一族の長だったからだ。


 長い沈黙の後、阿伽具は腹を決めた。

「秦様に、使いを。そして、大和の大伯姫皇子様にもだ」








※※※捌




 雲の中を駆け巡る海竜は、安芸津、伊予をまたぎ海と陸に炎を撒き散らしていた。

「はっはっはっ! よい眺めじゃ!」

少年に憑いた妖術師は哄笑し、狂ったように海竜を上へ下へと走らせた。尾鰭を切り取られたままの海竜は均衡が保てず、ヨロヨロと体勢を崩してしまう。

「こりゃ! しゃんと飛ばぬか!」

妖術師は叱責し、海竜の首を蹴りつけた。

「帝に取り入れば京はわしのものじゃ! 粟津王よ、そなたの父の仇もとれるぞ! 倭国の帝となるのはこのわしじゃ! はっはっは…そうれ、あの島を壊してやろうぞ!」

(やめろっ!)

妖術師が伊都岐嶋を指差したとたん、少年が妖術師の縛を揺るがすほどの力で制止した。少年の顔が苦痛にゆがむ。

「くっ…まだ抗うとは…」

(許さんぞ! リキを刺して、あの島まで手を出すことは絶対に許さん!)

「ぬっ…」

妖術師が少年の身体からはじき出されそうになる。それを渾身のちからでもって押さえつけようと妖力を強めた。

一瞬、海竜の首に巻きついていた術師の術にゆるみができた。海竜は高く強く咆哮し、凄まじい神力を発して妖術師を振り落とした。

「わ…っ!」

海竜を縛っていた妖術師の術は完全に破壊され、一度伸び上がった海竜は海に落ちていく術師を捕らえるため方向を転換した。

急降下してきた海竜の爪が少年を掠め、衣が引き裂かれ皮膚を切りつけた。

思わず身をよじったその懐から大津皇子の笛が滑り落ちた。

「ちちうえっ…!」

カイは咄嗟に手を伸ばしたが、笛は海中に飲み込まれてしまった。

落下しながら、自分を覆った影にはっとして上空を見、そして、目に飛び込んできたのは鮮やかな青だった。

「……」

一瞬、見惚れてしまった。

それは、海竜の目だった。

なんという青! 澄んでいて、しかも深い。懐かしい、優しい、あつい…その諸々の思いが詰まったような…。

少年は思い当たった。

(海だ…。晴れの日のきらきらする海…ああ、そうか…)

「俺と同じ…」

微笑んで呟いたのもつかの間、再び少年に憑依した妖術師はすかさず印を結ぶ。

「むん!」

カッと目を見開き、間近に迫った海竜に向けて気合もろとも妖術を叩きつけた。

バシッという音ともに黒い触手が竜の首に巻きつき、再び制したかに思えた。だが、妖術師の呪いはもろくも跳ね返されてしまったのである。

「なんじゃとっ…!?」

信じられない事態に妖術師が呆然とする。

海竜はふと首をもたげると、いきなり伊都岐嶋へ向って身を翻した。

「っ! しまった!姫巫女め…っ!」



 姫巫女の奥宮では巫女たちが祈りを強め、祭壇には海竜の尾鰭が祀られている。

(こちらです、海竜王よ。こちらへいらっしゃれば御体をお返しできます)

強い祈りを込め、姫巫女は竜王を呼んだ。

「姫巫女様! あれを…!」

少女巫女が叫んで上空を指差した。

奥宮のすぐ上に、白銀の竜がとぐろを巻くように浮いていた。

安芸津から来た巫女たちも息をつめてその美しい姿を見上げていた。

姫巫女が尾鰭の木箱を奉げ持ち、表へ出てきた。そして、彼女もまた、輝くようなその姿に見惚れてしまった。

「海竜王よ、お返しします」

海竜に呼応するように、切られた尾鰭が輝きを増し、きらきらと光を放ち始めた。

「おのれ! させるか! 無駄じゃと何度言わせれば気がすむのじゃ、?煌!」

空中から鳥のように飛んできた少年――妖術師――は、しかし、またしても海竜の神力に跳ね飛ばされ地面へ叩きつけられた。

尾鰭は母のもとへ帰る子供のように勢いよく木箱から飛び出すと、海竜の切断された尾へくっついた。

ひときわ輝きを放ったあと、まるでケガなどなかったかのようにゆったりと尾が揺れた。竜王は満足げにもとに戻った体をゆるゆると動かした。

一方、地に叩きつけられた妖術師は己の手を見つめていた。

「わ…わしの術が衰えてきたのか…?! 急がねば…!」

愕然と呟くと慌てたように身を翻し、もう海竜にも伊都岐嶋の姫巫女にも目もくれずに本島へ飛び立った。

「待て!」

「どこへ行く!」

数人の水夫が怒声をあげ、妖術師を追って駆け出した。

鳥のように逃げ去った少年の背を不安げに送った姫巫女は、思い切って海の神に尋ねてみた。

「竜王よ、あの少年にとり憑いた妖術師を払う術はありませぬか…どうぞ、お教えください」

海竜は、その巨大な頭をゆっくりと振った。

「――では、あの子はあのまま…?」

(あれはあの子供自身の力でなければ落ちぬ。しかし、我にかけられた術が解けたのもあの子供が縛を揺るがしたがゆえ…。鍵は…)

海竜の青い目が、庵の中に横たわる瀕死の男をさした。

「…リキさま…?」

(冥土の手前で引き戻されたようじゃ)

海竜が巨体をゆるやかに流して、室の中のリキへ近寄った。

「わっ…」

リキのそばに座っていた水夫たちは、ぬっと入ってきた巨大な竜の頭に驚いて腰を浮かせたが、悲鳴をあげて逃げ出すような者がなかったのはさすがというべきだったかもしれない。

(起きよ)

リキの体がふわりと宙に浮き、すうっと海竜の目前まで移動した。

(起きるのだ。あの子供が京へ行ったぞ)

「う…」

苦痛の声を洩らして、男はうっすらと目をあけた。

「リキさま!」

「リキ!」

驚きに声をあげる人々の前を、竜王が外に出るのに導かれるように、リキの身体も宙を流れた。

ゆっくりと開かれた彼の目に映ったのは、垂れこめた黒雲が方々に散り行く空だった。

(リキとやら、あの子供を助けたいか?)

「カイ…!」

誰かの声に、男は反射的に頷いた。ふと、訝って視線を転じたとき、痛みも忘れて唖然とした。

(…その傷では剣も持てまい)

海竜の目が輝きを増したような気がした。

あっと思ったときにはリキの傷は完全にふさがれていた。

「こ、これは…」

宙に浮いたまま上体を起こし、傷のあったところを触ってみる。あんなに深かった傷はきれいに癒え、痛みが無くなっていた。リキは問いかけるように海竜を見つめた。

(………。我の力は善にも悪にも染まりうる。我らは”界”に属するものゆえ)

海竜が呟き、そして、男が寝ていたそばに置いてあった鏡と、リキを傷つけた長剣をついと浮かせて男の前に並べてやった。

(子供を追うぞ。我の背に乗るがいい)

海竜の言葉に、男は一瞬躊躇したが、腹を決めるとひらりと海竜に飛び乗った。それへ姫巫女が呼びかけた。

「わたくしも及ばずながらお手伝いいたします!」

「リキ、気をつけろよ!」

「ここはまかせておけ。カイ坊を連れて帰れよ!」

水夫達は室の縁に立ち、手を振った。

「よろしく頼む」

リキが頷き、海竜はふわりと高く舞い上がった。

人々の口から感嘆の声があがる。


 鱗の輝くこと、目を開いていられぬほどに眩しく、その背に乗った男は、まるで天より降り来る戦神のようであった。

――後に、少女巫女が年経たとき、そう昔語る。




 「何たることだ…」

伊都岐嶋を一旦離れた妖術師は、依然、カイのからだをのっとったまま、海岸の洞窟に身を潜ませていた。海を越えるまではなんとか飛べたが、それが限界だった。

相変わらず封印を突き破りかねない勢いで、カイは暴れている。

「えい、騒々しい!」

忌々しげに呟くと、口中で呪を唱え、印を切った。途端に、少年の魂が静かになった。

なぜ海竜に跳ね飛ばされたのか。何より、なぜ”?煌”の名を唱えても竜は反応しなかったのか…。あの名は、彼の本当の名であるはずだった。何かのきっかけで海竜が神力を取り戻したのか、あるいは自分の力が衰えたのか。

「…どのみち急がねばわしも持つまい…」

ぎりりと歯を軋らせ、妖術師は考え込んだ。



 一方、大伯郷の秦氏の屋敷では一騒動起きていた。

カイの笛を所望していたときでもある。それが、伊都岐嶋にて妖術師に操られ、竜神に乗って京を襲うというのだ。

秦氏も、京へ通達するか否かかなり迷っていた。この世に竜神などがいるのか、妖術師とはいかなる者なのか。

阿伽具のほうも秦氏のほうも、あまりの情報の少なさにイライラとしていたころ、海の民から不気味な話が流れてきたのである。

それは、まさしく一瞬のうちに白骨化してしまうというあれであった。

「うぬう! まったくあっちこっちからわけのわからぬことばかりを言ってきおって! だれぞ、阿伽具を呼べ!」


 秦氏の前に、ずしりとした重厚な老人が静かに座していた。彼にとってこの海の民の棟梁は決して敵に回してはいけない存在だった。

この老人がその手を南へさせば、この大伯、牛窓近辺の海の男たちがそれにならうことはよく承知している。ひょっとすれば、吉備、伊予、果ては半島まで、その号令は轟き渡るかもしれない。

――その、海の民が味方におればこそ、秦氏も繁栄できるのであると言っても過言ではなかっただろう。

「阿伽具よ、して、結局はどうなのだ?」

どうなのだ、とは阿伽具のほうこそ聞きたいことであった。

「…秦様のおっしゃるその妖物、ひょっとしたら、同じ物かもしれませぬ。報告を受けた限りでは、ここ最近、漁に出た者が妖物により一瞬にして骨の砂にされ、また、同じ児嶋でわたしの息子の船に乗る水夫もその犠牲になったと…。その妖物ははじめ竜神に憑いていたそうですが、カイに憑いてから再び竜神を制しようと考えたのかもしれませぬ。…当の妖術師が息子にそう申したと…」

秦氏の当主はじめ家人たちは呆然と聞いていたが、恐ろしいことに思い当たり、蒼白になった。

「そ…それで、今はどうなっておるのだ? まさか、もう京にいっているというのではなかろうな…?」

「さ…そこまでは。息子がいれば何らかのかたちで報告が入ったでしょうが、今はその妖術師に一刀を受け、意識をとりもどさぬとのこと」

老人のあまりにも淡々とした物言いに、当主はくらりとした。この老人の恐ろしいところは必要とあればどこまでも非情になれることであった。

秦氏は京におわす帝に状をしたため、急ぎ家人に使いに立たせた。

しかし、その眉一つ動かさずに報告をする阿伽具の心中で、致命傷を負った息子と、孫のようにかわいがっている少年の身の上を案ずる祈りがなされていたことに気づく者は、誰もいなかった。



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