デスルーラー番外編【巣立ちのとき】
「ッ!?」
あまりの夢見の悪さに、がバッとベッドに起き上がったリュクサ。
しかし、次の瞬間酷い頭痛を感じて頭を抱えた。
「おはようございます、リュクサ。お加減はいかがです?」
ベッドサイドでリュクサの体内に点滴を流していたノエルが、事もなげに問うてくる。
常々思っていることだが、この専属医はいつ寝ているのだろう。
朝はリュクサよりも早く起きており、リュクサが寝ている間に、一通りのヘルスチェックを済ませている。
夜は夜で医学書や魔術書を読むのに忙しくしており、リュクサが就寝する時間にノエルの部屋の電気が消えていたことはない。
「俺は今、どういう状況だ?」
この頭痛には、何か理由があるのだろうか。
「少し発熱しています。まあ、あなたであれば、二時間もすれば平熱に戻るでしょうね」
ノエルはリュクサが熱を出したくらいでは、驚かなくなった。
専属医になって間もない頃は、「リュクサが死んでしまう!」と大騒ぎをし、兄のアステルに相談を持ちかけたこともあるくらいだったのに、もうそんなことはなくなっている。
「俺の治療に慣れたんだな、ノエルは?」
「慣れたとは言い切れません。まだまだあなたの体は未知数ですから」
それはそうだろうと、リュクサはベッドの上に仰向けになった。
ノエルは普通の人間を診ていた期間の方が長いのだから、特殊な特級魔術師の体内構造に通じていないのは、致し方のないことだ。
「それでも、俺は気楽になれてる。風邪をひいても、ノエルが治してくれるからな」
以前は風邪をひこうものなら、どんなに喉が痛かろうが、体の節々に鈍痛を感じようが、医師に診てもらうことは叶わなかった。
でも、今は違う。
風邪をひいても、ただの体調不良を訴えても、ノエルに診てもらえる。
特に、リュクサはルミアの魂を取り込んでからというもの、体調不良の日が多い。
だからこそノエルの存在を、殊更ありがたいと感じるのである。
「ノエル…手…」
請われるままにノエルが手を差し出すと、リュクサがそっと握ってきた。
そして、そのまま深い眠りに落ちていく。
最近のリュクサは、すっかりノエルに心を許している。
少なくとも、彼の手を握りながら眠りに落ちるくらいには。
この時、ノエルはリュクサの魔力の異常に、まだ気づいていなかった。
さっきまでリュクサの夢に登場していたのは、アネモネだった。
彼女はとても一途だ。
それはとても好ましいことである反面、リュクサにとっては危険なことでもある。
『リュクサ、アステル様のことは私がもらったわ!あんたは邪魔、消えなさいよ!』
夢の中で、あたかもアステルの恋人のように振る舞い、兄を奪い去っていく彼女。
リュクサは敢えて他言はしないが、自分が極度のブラコンであることを自覚している。
アステルのいうことは絶対だと思っているし、その通りにしていれば万事うまくいく。
「モネ…お前の方が、兄上に相応しくない…」
アネモネの家は、特に裕福というわけでもなく、かと言って貧しいというわけでもない。
名家の娘ではないから、アステルとアネモネの仲を認められないと言うつもりもない。
ただ、あの二人がもしも恋人同士になってしまったら、リュクサが「何となく」嫌なのである。
「やめろ、モネ…どうしても兄上をと言うなら…生まれ変わって、出直してこい」
「ブッ!」
ノエルはたまらず吹いてしまい、慌てて口元を押さえた。
ただの寝言だとわかっていても、「そんなにアネモネが気に入らないのか」と思ってしまう。
初対面の時こそ見抜けなかったが、アネモネがアステルの話をするたび、リュクサは表情を曇らせている。
ずっとなぜだろうと思っていたのだが、今のリュクサの寝言で全てが把握できた。
「兄上大好きなリュクサだからこそ、アネモネにアステル様を奪われると、つらいのですね?」
その時、入口に気配を感じて、ノエルはそちらに視線を向ける。
そこに立っていたのは、アステルだった。
「アステル様、おはようございま…」
「リュクサはどうしたと言うんだ?ずっと待っていたのに、『朝の魔力』が伝わってこなくて、驚愕しているんだ」
「『朝の魔力』…?何ですか、それは?」
話を聞いてみると、リュクサは毎朝アステルに「おはようございます」という魔力を送っているのだそうだ。
それ自体は微弱な魔力ではあるのだが、いつも同じ時刻に魔力を送ってくるリュクサが、今日はいつまでたっても送ってこないので、アステルは急に心配になったのだという。
「ノエル医師…その、なぜあなたはリュクサの手を握っているのです?」
「ああ、これは、リュクサの癖のようなものですよ。熱が出ると必ず…」
「放すんだ」
「は…?」
熱が出ると必ずノエルの手を握る──。
なぜそういう発想になるんだと、アステルは内心穏やかではなかった。
モテるのに異性に関心がないリュクサ。
適齢期なのに妻のいないノエル。
医師と患者という結びつきについては許容できるが、親友だとか友人だとかいう立ち位置をそう簡単にノエルに与える気はない。
「あの、アステル様?」
「なんだい?」
「いくら手を放しても、リュクサが魔力で引き寄せてしまうのですが?」
ノエルとしては、アステルの機嫌を損ねたくはない。
怖いからという理由ではなく、怒らせた時にどういうキレ方をするのかがわからないからだ。
なまじ普段穏やかで、常に弟を見ている兄だからこそ、ノエルとしても戸惑ってしまう。
「本当だ…リュクサが、あなたの手を求めているかのように、魔力を放っている…」
目の前の光景が、信じられないアステル。
まさかリュクサがアステル以外の人間に、心を開くときが来てしまうなんて。
しかも、こんなに急に兄を必要としなくなるなんて。
「リュクサ…なぜなんだ…?お前が熱を出した時、いつも傍で手を握っていたのは僕だったのに…これからも、それは変わらないはずだったのに…」
その時、ノエルの記憶が数日前まで巻き戻され、彼の視界にはリュクサとアステルではなく、アネモネの可憐な姿が映し出されていた。
「え…リュクサとアステル様の仲?」
いきなり「あの兄弟の仲はどうなっている?」と切り出したノエルに対し、アネモネはくりっとした瞳を微かに動かした。
「なんだか、普通の兄弟よりも絆が深いように見えるのです」
思うところを正直に口にすると、アネモネは苦笑した。
「そうだよねぇ…まぁ、元はリュクサが病弱だったから、ってのもあるかな」
「病弱、ですか?」
「病弱というか、風邪をひきやすい子だったの。だから、しょっちゅう熱出してたんだけど…」
なるほど、だから自分を専属医にと言い出したのかと、ノエルはようやく納得した。
また、風邪の度にアステルが傍にいたのであれば、さぞかし自分は邪魔な存在に見えたことだろうとも思う。
「私の恋の最大の障害は、リュクサなんだ」
「障害、ですか?」
「そうだよ。リュクサがしっかりすれば、アステル様は役目を果たしたことになる。そうしたら今度こそ私の出番よ!ノエル、しっかりね!」
一体何をしっかりすればいいのかはよくわからないが、アネモネが嫉妬するほど兄弟仲がいいということだけは理解した。
ノエルが意識を戻すと、部屋の中がとんでもないことになっていた。
手は握られたままだが、室内がなぜだかとても寒くなっていたのである。
ベッドサイドのティーカップの中身は凍り、リュクサの体内に流れるはずの点滴も凍ってしまった。
しかし、何より驚いたのは、アステルが足元から凍っており、徐々に氷が上へ上がっているということだ。
「リュクサ、リュクサ!起きてください!」
咄嗟に魔力の暴走だと判断したノエルは、リュクサの体を揺り動かす。
「どういうことなんだ、リュクサ!?なぜ僕の体を凍らせる?」
絶叫にも近いアステルの声を聞いたリュクサが、ゆっくりと目を開ける。
「兄上…なぜ凍っているのです?」
「いいから、早く魔術を…!」
そこでリュクサはハッとした。
兄を凍らせているのが、自分の魔力だとわかったからだ。
「兄上、今すぐに…あれ?」
「どうした?」
「すみません、ちょっと魔力切れみたいで…」
「はぁ!?」
慌てるアステル、戸惑うリュクサ。
兄弟の会話に割って入っていいものかと迷うノエルだが、リュクサの手の上に、そっと小さな瓶を乗せる。
「ノエル、これは…?」
「栄養剤です。あなたの魔力の源でしょう?」
「ああ、確かに。兄上、少々お待ちください」
「早くしてくれ、リュクサ!寒いんだ!!!」
アステルが凍り始めてから三十分後──。
なけなしの魔力しか残っていなかったリュクサの体に、魔力が戻った。
「ふぅ、とんだ魔力トラブルだったな…」
大きく伸びをするリュクサ。
ノエルの看病のお陰で、熱もすっかり下がっている。
「ただのトラブルじゃないだろう!?僕は危うく死ぬところだった!」
「え、兄上は死にませんよ」
「どうしてそう言い切れる!?」
「俺に何かあれば、ノエルが何とかしますから」
それは、リュクサなりの巣立ちの言葉だった。
自分はもう兄ばかりを頼る、風邪をひいてばかりの子供ではない。
ノエルという専属医を見つけ、信頼できる人間だと知るからこそ、もうアステルの手を煩わせることはない。
そう告げているかのようだった。
(了)




