第23話 王子の推し
王国に来てから3か月が経ち、季節も春から夏に進んだ。
この頃の僕の1日は憂鬱から始まる。
1日の始まりがアリシアの剣術の稽古の相手だからだ。しかも毎日乱取り稽古で、手加減なし。朝ご飯前からさんざん打ち込まれる。
それから宮廷に行って外交部と交渉の調整。これも憂鬱な仕事だ。アリシアは王国から支援を取り付けようと必死で交渉しているけど、なかなかうまくいっていない。
だから、アリシアは交渉の後はいつもイライラして僕に当たり散らしてくるし、外交部の方々も、僕が交渉の調整のために訪問するとあからさまに嫌な顔をするようになった。
きっと、王国としては公国への支援には乗り気じゃなく、しかも交渉相手のアリシアが獰猛な性格でいつも嚙みついてくるので、持て余されているのだろう。
今日もついさっきまで外交部を訪問し、困惑顔のシモーネと、仏頂面のその上司に土下座せんばかりの勢いで頼み込み、なんとか次の交渉の約束を取り付けることができた。
「あ~あっ、疲れたな……。あっ、そうだ。今日もあそこに寄って行こっと。」
こんな憂鬱な仕事の中にも一つだけ楽しみなことがある。
女官詰め所に寄って、ジャンヌと他愛もないおしゃべりをすることだ。
ジャンヌは美人で明るくて気立てがいいし、優しいからよくお菓子を分けてくれる。
だから、宮廷に来たら用もないのに、口実を作ってついついジャンヌの所に寄ってしまう。
思わずソーニャの顔が頭に浮かび、心の中で「ごめん。浮気じゃないから」と手を合わせる。
そんなことを思いながら鼻歌まじりに女官の詰め所に入ると、すぐにジャンヌを見つけることができた。
「やった~!」と思いながら軽い足取りで近寄ると今日は様子が少し違う。
ジャンヌは、いつになく険しい顔をして頬杖をつき、何か思い悩んでいるようだった。
「あら、オチビの秘書官さん。いらっしゃい…。」
ジャンヌの深刻そうな顔を見て声を掛けるのを躊躇っていると、彼女の方から声を掛けてくれた。
「あ、あの……アンリ殿下からアリシア様へのお手紙がないかと思って…。」
僕は、いつもアンリ王子からの手紙をジャンヌに会いに来る口実にしている。
アンリ王子は、アリシアに3日と空けずに手紙を書いてジャンヌに預けるので、僕が頻繁にジャンヌの所を訪問しても怪しまれることはない。
「……ちょうどアンリ殿下からお手紙を預かったところよ。アリシア殿下にお渡しいただける?」
ジャンヌはいつものように笑顔で手紙を差し出してきた。だけどどことなく顔に暗い翳が差したような気がする。
あれかな?アリシアが面倒くさがって全然返事を書かないからかな?
「わかりました!ごめんなさい、前回も、前々回のお手紙へのお返事もまだ持ってこれなくて……。」
「気にしないで。アンリ殿下の方が、勝手に頻繁にお手紙をお送りされているだけだから……。」
ジャンヌは微笑んでくれたけど、その微笑みには力がなく、ため息すらついている。
やっぱり今日は元気がない。いつもみたいに明るくおしゃべりすることは難しいかな…。
そう思って、僕が立ち去ろうとした時、ジャンヌがあらぬ方向を見ながら小さくつぶやいた。
「アリシア様…、アンリのことをどう思ってるのかな…?」
「えっ?」
僕が反射的に大きな声をあげてジャンヌを見つめると、彼女はハッとして焦ったように両手を振った。
「ち、違うの。今のは何でもなくて…。」
「もしかして……ジャンヌさんはアンリ殿下のことを…それでアリシア様との関係を心配して…。」
ジャンヌは僕の肩を掴み、グイッと顔を寄せてきた。
「今の話は忘れてちょうだい!女官の分際でそんな身分違いなことを考えているなんて知られたら、もうお側にお仕えすることもできなくなるから…。わかった?」
顔の近くに迫ったジャンヌの必死な表情に圧倒され、僕は黙ってうなずくことしかできなかった。
◇
宮廷から大使館に戻り、アリシアに報告をすると、やっと憂鬱な仕事から解放される。
午後からはジャコバン商会が用意してくれた研究所に移り、楽しい楽しい魔道具の研究の時間である。
「お疲れ様、簡単にお昼ご飯を用意してあるから一緒に食べようか。」
「わ~いっ!やった~!」
ユーキが研究所で待っていてくれた。
研究所の休憩スペースに備え付けられたテーブルには薄い牛カツとトマトを挟んだサンドイッチ、キュウリと玉ねぎのピクルス、リンゴやみかんといったフルーツ、それにブドウジュースが並べられている。
王国は美食の国。こんな簡単な料理でもほっぺたが落ちそうになるくらいおいしい。
「宮廷の方はどうだった?アリシア様の交渉はうまくいってる?」
「いや~なかなか難しいな~。今日も本当に疲れたよ~。外交部のお役人さんにも嫌な顔をされて…。」
ユーキと向かい合ってテーブルに着く。ジャコバン商会の研究所で魔道具の研究をするようになってからユーキとの心の距離が急速に縮み、彼からも打ち解けた態度を示してくれるようになった。今ではこうやって心を開いて仕事の愚痴もこぼせる仲だ。
「王国と公国で正式に条約を結んでもらえれば、ジャコバン商会も公国への援助をやりやすくなるんだけど……。」
「うん。でも、公国から王国に支援をお願いするだけじゃ、なかなか乗り気になってもらえないよね。何か交渉材料になるようなものがあればいいんだけど、なにせ貧乏な小国だから…。ハハッ…。」
僕が自嘲気味に力なく笑うと、ユーキは同情するようにうなずいてくれた。
「宮廷では何か他に変わったことはあった?」
「いや、他は特に…、ああ大した話じゃないけど、お世話になっているジャンヌっていう女官がいて、彼女がアンリ王子に恋焦がれてる様子なんだ。だけどアンリ王子がアリシアに毎日のように熱烈な手紙を送っているから、それが気になってしょうがないみたいで深刻な顔をしていて……。」
「えっ?アンリ王子、そんなにアリシア様にご執心なの?それでアリシア様のお気持ちはどうなんです?」
ユーキが目を見開いて身を乗り出してきた。クールに見えてこういったゴシップネタが好きなのかもしれない。それに僕の話に関心を示してくれたのが少し嬉しい。
「アリシア様は全然相手にしてないよ。『ついこの間、おむつが取れたような子どもが一時の熱に浮かれておるだけじゃ。わらわの美貌に夢中になってしまう気持ちはわかるがのう』なんて調子に乗ったこと言ってたけどね。ハハハッ…。」
僕は笑い飛ばそうとしたけど、ユーキはゴシップ話には似合わない真剣な表情で見つめ返してきた。
「いえ……アンリ様はずっと前からアリシア様推しとして有名だったし意外にあるかも。」
「まさか!王妃様とか周りが許さないでしょっ…?」
「それが、王妃様も地方貴族の、それも養女出身だからか、家柄や政治的価値よりも、アンリ王子ご本人のお気持ちを優先される方針らしいよ。実はさっき話が出たジャンヌ様、クロード男爵家のお嬢様のことだと思うけど、ちょっと前までは下馬評ではお相手の有力候補だったんだよ。お二人は幼馴染みで、今でも私的な場所では仲睦まじくされているともっぱらの噂だし…。」
「いや…それでもアリシア様がお妃候補なんて、まさか…。」
「考えてみなよ!」
ユーキが顔を近づけて来る。今日はやたらと色んな人に顔を近づけられるな…。
「このままだったら、王国と条約を締結することは絶望的。だって、王国の誰もサザランド公国に関心ないんだよ。だけど、アリシア様が、次の王妃となったら、いや、その最有力候補になるだけでも交渉の立場は大きく変わるよ。次期王妃の出身国からの要請を断れる官吏なんていないし。」
興奮し、フンスッと鼻息荒く迫るユーキを「わ、わかったから…」となだめ、「アリシア様にも話してみるよ、でもあのアリシア様だよ。期待しない方がいいと思うけど…」と話すと、ようやくユーキも落ち着いてくれた。
「出過ぎたことを言っちゃったね。ごめん。そういえば、話は変わるけど、今日は面白い魔道具が手に入ったんだよ。ぜひカガミに見てもらいたくて…。」
「えっ!本当?楽しみだな~!」
まだ見ぬ未知の魔道具への興味に居ても立っても居られなくなって、急いでサンドイッチの残りを口に詰め込んだ。




