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第1話 見知らぬ森

この日、僕は見知らぬ森の中で遭難しかけていた。


「困った……。ここはどこだろう?」


僕の名前は加賀美丈博。

これでもかつては神童と呼ばれ、将棋界では天才と呼ばれていた。


親の話によると生まれた頃から記憶力が良く、幼稚園に上がる前にひらがな、カタカナはおろか漢字もマスターしていたらしい。


小学校に上がってからも、教科書や参考書を丸覚えすればいい学校の勉強なんて楽勝でつまらない。そんな中、僕がはまったのが将棋だった。


抜群の記憶力を生かし、プロ棋士やAIが示す序盤の最善手、そして終盤の詰め将棋も丸暗記した。

そしたら、友達や近所のおじさんには全く負けなくなった。


驚いた親に連れて行ってもらった将棋道場ではアマチュア強豪達から神童と絶賛された。

そのままプロ棋士になることを勧められ、師匠を紹介され、あれよあれよと日本将棋連盟の奨励会に入会することになった。


そこでも、とんとん拍子に昇級・昇段し、あっという間に三段になった。

四段からプロだからあと一歩だ。


このまま中学生でプロ棋士になるのは当たり前、将来は名人・竜王か?この頃の僕は有頂天だった。


ただ、その勢いもここまでだった。


AIと記憶力のおかげで序盤と終盤は最強。

だけど、それに頼ってばかりだから中盤の先例のない場面での判断力や構想力が追い付いていない。

ライバルにそれを見抜かれ、徹底的に弱点を突かれた。


気づけば負けが込み、昇段どころか降段し、浮上のきっかけもないまま、天才は元天才になり、奨励会を退会した。


ただ、ここまではまだ挫折とも言えない。

ここからが本当の地獄の始まりだった。


それまで周囲に将棋の天才とおだてられ、将棋だけやって、天狗になって人生を渡ってきた僕は、人間性やコミュニケーション能力など社会で生きるために必要な能力が欠けていた。

それなのにプライドだけはやけに高いまま。


だから、普通にあきらめて大学に入学して卒業し、就職した後も、最初の職場では上司に疎まれ、パワハラを受けた挙句、つまらないミスの責任を押し付けられ退職させられた。

次の転職先でも職場に馴染めなかった。

一発逆転を狙って大学の先輩に誘われて一緒に起業したベンチャー企業は2年で倒産した。


こうして転職を繰り返すたびに勤める会社のランクも待遇もジリ貧状態。

ついでに家庭を築くことにも失敗してしまった。


いったい自分はどうすればよかったのか?


生きづらさの原因を探るため自問自答を繰り返していた時、さらなる転落をしたのは奨励会時代の友人から誘われ、気まぐれに参加したトレッキングの最中だった。


今回は比喩としての転落ではない。

本当に転げ落ちた。考え事をしながら歩いていたら傾斜に足を滑らせてしまい、気づけば崖下まで落ちていた。


必死で這い上がり何とか山道を見つけたけど、そこは滑り落ちた場所とはまったく別の場所だった。

歩いていた場所はブナの森で、山道もきちんと整備されていた。

しかし今の僕がいるのは見たことのない針葉樹の森。しかも道らしきものはあるけど、明らかにけもの道だ。


自慢の記憶力に頼るまでもなく、まったく未知の場所に着いてしまったことは間違いない。


しかもさっきから体の具合がおかしい。

どこか痛むわけじゃないから怪我はしていないはずだ。だけど、手足の動きに違和感がある。

歩いてもなかなか前に進まない。まるで体が縮んでしまったみたいに……。


「これは遭難しかけているわけじゃなく、本当に遭難してる……。助けを呼ばないと。」


ポケットを探ったけど、崖下に転落したはずみでスマホを落としてしまったらしい。

手元に残ったのは着替えや水筒が入っているリュック1個。食料もない。これはまずい……。


遭難した時はどうしたらいいのか?

頭の中で過去に読んだ本のページをめくってみた。


下手に動いたら、かえって森の奥に迷い込む危険があるから、山道まで出たら体力を温存して助けを待つ方が助かる確率が高いと書いてあるな。


よしっ!ここで助けを待とう!


山道の脇に座り込み、どれくらい経っただろう。

腕時計も壊れてしまったので時間がわからない。

体感で1時間以上は経っただろうか……。

徐々に日が傾いてきた。これは本格的にまずい…。


焦り始めたその時、山道からこちらに登ってくる二人組の姿が見えた。


一人は乗馬服にブーツを履いてハンチング帽子をかぶった背の低い人。

腰に差しているのは杖?いや、剣?

もう一人は中世風のキュロットに質素なブラウスの長身の女性。


何だ?この山でコスプレ大会でも開かれているのか?


近づいてくるにつれて、二人の容貌もはっきり見えた。

乗馬服の方は青い瞳に白い肌、欧州系の白人女性か?長身の女性の方も青い色の瞳に栗色の髪、こちらも欧米人のように見える。


「ヘ、ヘルプミ~! アイ、ロストマイウェイ!」


英語で助けを求めながら駆け寄ると、長身の女性が前に出て、僕の前に立ちはだかり険しい視線を向けてきた。


「無礼者!このお方が、サザランド公国の公王女アリシア・サザランド様と知っての狼藉か!?」


その女性のあまりの剣幕、いや、それ以上に流暢な日本語に驚いた!


何か失礼なことをしただろうか?

足を止めて様子をうかがっていると、もう一人のアリシア・サザランドと呼ばれた乗馬服の女性が、連れの長身の女性を手で制しながら、前に出た。


「ローザ!よく見ろ、まだほんの子どもじゃないか!少年よ、名前は何と言う?どこから来た?」


少年?誰のことだ?訝しく思いながらも、確かに話しかける前に名乗るべきだったと思い直す。


「僕は、加賀美と言います。東京から来ました……。」


「おう、カガミというのか。いい名前だな。ところでトーキョーというのはどこだ?サザランド公国にはない地名だな。帝国か?王国か?知っているか?」とアリシアが顔を向けると、「聞いたことがありません」とローザと呼ばれた長身の女性は首を横に振る。


「東京は日本国の首都で……。」


「ニホンという国から来たのか?それは東か?西か?」


「えっと…どちらかというと東の方で…。」


なに言ってるんだ?外国人観光客だから日本も東京も知らないのか?いや、それでもさすがに東京を知らないことはないだろう。こんなに日本語を流暢にしゃべってるのに…。


「アリシア様、昨日見た旅芸人の一座に、こいつのように黒髪で浅黒い肌の少年がいました。その仲間ではないでしょうか?」


「おお、そうだな!たしかにこんな感じのやつがいた気がする。なんだ?仲間とはぐれたのか?それとも捨てられたのか?」


「あっ、あの仲間と一緒だったんですけど、足を滑らして崖下に落ちてしまって、仲間ともはぐれてしまって…。」


二人組はようやく得心がいったかのようにうなずきあった。


「なるほどわかった。つまり落伍して捨てられたのだな!かわいそうに!強く生きろよ!じゃあな!」


二人は目を見合わせ納得したような表情を見せると僕に背を向けて、そのまま先に歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待ってください!あの、僕は道に迷ってしまって…。街まで出られる道を教えてもらえませんでしょうか?」とあわてて追い縋り、ローザと呼ばれた長身の女性のスカートのすそを掴むと、「何をするかこの無礼者!」と突き飛ばされた。


だけど僕はあきらめるわけにはいかない。

次の人がいつ通りかかるかわからない。

いや、誰も通らないかもしれない。

このチャンスを逃したらこのまま森の中で死んでしまうかもしれない。


「お願いします。帰り道がわからないんです。助けてください!」


「うるさい不埒者め!」


ローザと揉み合っていると、アリシアがうんざりしたような表情で「やめろ!」と吐き捨てた。


「捨て置け。そいつが勝手に付いて来るのはかまわん。」


「しかし、もしかしたら刺客かもしれません。」


「そんな子どもが刺客なわけないだろっ!それに剣技の達人であるこのわらわを殺せるような刺客がいると思うか?」


「しかしアリシア様…。」


それでも不服顔のローザに、アリシアが顔を近づけた。


「山賊や熊が襲ってきたらあいつを盾にして生贄にすればいい。役に立つなら何でも使え…。」


おそらくアリシアは声を潜めたつもりだったのだろう。

だけど僕には、その凄みのある低い声が丸聞こえだった。

付いて行ったら生贄にされるかもしれない。

ただ、僕が助かるにはこの二人に付いて行くしかない。そう観念して二人の後を黙って追いかけた。



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