第16話 帝国からの帰還
春が来たはずなのに、まだ少し肌寒いこの日、僕はサザランド城の南側にあるアリシアの執務室をノックした。
この部屋、懐かしい。ざっと1年半ぶり。
一昨年の夏、アリシアの姉シルビアの帝国貴族へ輿入れ準備を行う使節団に同行するため、暇乞いの挨拶をした時以来だ。
侍女のローザが扉を開け、招き入れられた部屋は以前とほとんど変わらなかった。
窓際に大きな執務机と肘掛椅子、簡素な会議テーブル、それに無造作に紐で括られた書類が詰まった棚……。
僕が帝国に行っている間に、アリシアは次期公王である公王太子に即位したはずだが、表向きの待遇はあまり変わらないらしい。
「おお、久しいな。帝国の様子はどうであった?」
アリシアは執務机に足を載せながら肘掛椅子に身を預け、手元の書類から目を離さない。
この横柄な態度も以前と同じ。
「はい……正直驚きました。てっきり文明レベルはこの国と同じようなものかと思っていましたが、帝国ではとっくに産業革命が起こっており工業化が進んで……。」
僕が言いかけたところでアリシアが椅子から立ち上がった。
「革命?ぜひ詳しく聞きたいところじゃが、この後、閣議がある。歩きながら話を聞こうか」
アリシアは一方的にそう言って早足で執務室を出たので、僕も慌てて後を追いかける。
「革命というのは政治的な意味ではなく国全体の工業化が革命的に進んでいるという意味です。剣や槍のような武器から、庶民が普段着る服までもが工場で大量生産されていました。生産が充実することで商業も成長し、帝国国民の生活はたいそう豊かになっています。」
サザランド公国では、あらゆる商品は家内手工業か輸入に頼っており、しかも流通網も整備されていないので、ちょっとした日用品ですら入手することは容易じゃない。
帝国では、一般庶民でも、お店に行けば衣服でも食品でも日用品でも簡単に買うことができるくらい物にあふれていた。
昔、社会の教科書で見た基準に従えば、サザランド公国は15世紀くらいの中世にとどまっているのに対し、帝国は19世紀から20世紀初めくらいの近代の水準には達しているという印象だ。
「ふむ……、わらわは帝国に行ったことはないが、国力に大きな差があることはうすうす感じていた。」
「ただ機械を動かすための動力やエネルギーについてはまだ開発されてないようで、そこが課題のようです。でも、国を挙げて開発が試みられていますし、これが成功すれば、生産力が飛躍的に向上し、いずれは馬が曳かなくても自分で走る車や風に頼らない船、いえ、それどころか飛行機のような空を飛べる機械が大量生産されるのも時間の問題かと‥‥。」
「ハッ!自分で走る車?空を飛ぶだと?わらわをからかっておるのか?そんなことあるはずがない!」
アリシアの鼻で笑って小馬鹿にするような顔を見ながら、この話をするのは少し早かったかと反省する。
「僕が言いたかったのは、帝国の成長のスピードが思っているよりもずっと速く、公国も対抗して富国強兵を進めないと差を付けられる一方だということで……。」
「そんなことはわかっておる!しかし、なかなかわらわの思う通りに行かぬのじゃ。新しく帝国から送られてきた宰相がやり手でのう…。貴様もすぐにわかるであろう。」眉をひそめるアリシア。
約2年前の十一月の政変において、アリシアは、王位継承争いのライバルである帝国派のシルビアと、その後ろ盾の宰相ピットを失脚させ、輿入れを名目に帝国へ追い返すことに成功した。
ただ、影響力を削がれた形になった帝国が、そのまま指をくわえて黙っているはずがない。
数か月前に新しい宰相を派遣してきた。
しかも、僕がよく知るその宰相は、あっという間に公国の実権を握ったと聞いている。
まあ、やり手の彼女だったら、そのくらい簡単だっただろうな……。
「まあよい。ところで貴様。前に会ってから1年半も経つのに、まったく背が伸びていないのう。いや初めて会った時からもほとんど変わらぬ。ずっとチビッ子のままじゃな。」
アリシアが憎たらし気な顔でニヤリと笑いかけて来る。
僕も背が伸びないことは気にしていたので少しムッとした。
「アリシア様は確実に年を重ねておられますけどね」
そう口に出してしまってから、失言に気づきあわてて手で口を覆ったが遅かった。
頭の上にアリシアのゲンコツが落ちて来て目から火花が出る。
痛む頭を押さえようとしたところだった。フワッとラベンダーのようないい香りがして、殴られた僕の頭が、何か温かく、柔らかいものに包まれた。
「ちょっと!わたしのカガミきゅんに何するのよ!大丈夫だった?カガミきゅ~ん、よしよし♡」
頭を抱きしめられているから、彼女の顔を見ることはできない。
だけどその声と甘い匂いから、すぐに誰であるかわかった。
腰まである長い銀髪にキラキラと輝くつぶらなエメラルド色の瞳。
豊満な胸と対照的な柳腰。
この人は間違いない。ソーニャだ。僕の帰国に先だって、帝国から公国へ派遣されたと聞いていたが、こんな唐突に再会するとは……。
「宰相殿!何をしておられる!それはわらわの秘書官じゃ!離さぬか!」アリシアが目を丸くしている。
「えっ?カガミきゅん、こんな凶暴な人の下で秘書官として働いてるの?かわいそ~う。」
「う、うるさい!誰が凶暴じゃ!おぬしこそ、城中でショタコン趣味を見せるとは何たる不謹慎!控えられよ!」
アリシアの言葉に、ソーニャが頬を膨らませる。
「違うもん。ショタコンじゃなくて、ちゃんとカガミきゅんの婚約者なんだもん!カガミきゅんが16歳になって成人したら結婚する約束だもんね~。」
「な、なに~?どういうことじゃ?」
戸惑いを隠せないアリシアに、ソーニャはえへんと胸を張る。
「帝国のチェス選手権で、グランドマスターとしてカガミきゅんの挑戦を受けた時に約束したのよ!もしカガミきゅんが勝ったら結婚してあげるって。そしたらカガミきゅんがわたしを完膚なきまでに叩きのめして、解らせてくれて…。だからわたしはカガミきゅんの婚約者なのよ。」
あれは本気だったのか……と頭を抱える。
シルビアの輿入れ準備のため派遣された使節団の一人として帝国の国情を探っていた時、帝国ではチェスが盛んで、国技として位置づけられていることを知った。
チェスは奨励会時代に趣味で指していたことがある。しかも帝国では、僕がいた現世と比べて戦法の研究が遅れているらしい。
自慢の記憶力と将棋の奨励会三段まで上がった棋力を応用して、現世の最新戦法をぶつけると簡単に無双することができた。
それで片っ端からチェスの大会で優勝して賞金稼ぎをしていた僕の前に立ちはだかったのがソーニャである。
ソーニャは大学を出て行政官として働く傍ら、チェス界でも4年に1度開かれる帝国チェスの全国選手権を3連覇するなど絶対王者として君臨していた。
僕がソーニャへ挑戦することが決まった時、ソーニャは自分へプレッシャーをかけるためなのか、マスコミへのリップサービスなのか、もし僕に負けたら僕の望みを何でも聞いてやると記者の前で発表した。
僕もそれを受けて、じゃあ僕が勝ったら結婚して欲しいと発表した。そう言えば選手権が盛り上がるだろうと思ったからだ。
目論見通り、去年のチェス選手権は、名誉だけではなく結婚を賭けた大勝負として、帝国中の注目を集めることに成功した。
そして決戦の11番勝負。僕はソーニャと死闘を演じたものの、何とか4勝3敗4分で勝利することに成功した。
「……そういった経緯で、わたしとカガミきゅんは婚約したの。それに、そもそもこの国に赴任したのだって、カガミきゅんが公国へ帰国しなきゃいけないって言うから、妻であるわたしも付き従うべきだと思って願い出たからなのよ。」
「な、なに…?じゃあ、この宰相が送り込まれてきたのは、カガミのせいなのか?」
アリシアの頬を引き攣らせながら眉をぴくぴくと痙攣させ始めた。
まずい。これはアリシアの頭に血が昇っているサインだ。
「あ、あの、もう閣議の時間ですよ。公王様もお待ちのはずです。早く部屋に入ってください!」
火花をバチバチと散らせる二人を何とか閣議室に押し込み、扉を閉めると僕はその場にへたりこんでしまった。
まさか本当に結婚することになっているとは……。
チェス選手権なんか出るんじゃなかった。いや、マスコミに踊らされて変なことを発表したのがダメだったのか?
頭の中ではそんなことを考えていたけど、体は正直で口元が思わず緩むのは押さえきれなかった。
あの美人で優しいソーニャと結婚できるのは悪くないと心の片隅で思いながら。




