第10話 宰相の部屋
「じゃあ、今日は宰相様のお部屋の掃除を手伝ってちょうだい……。」
少し疲れた様子のサンドラの一言に、「はいっ!」と元気よく答えながら、僕はとうとうこの日がやって来たと思い、胸が高鳴った。
ずっと温めてきたアリシアを大逆転で次期公王とするための作戦。
それはアリシアへの支持を広げるのではなく、唯一の競合候補であるシルビア、そしてシルビアの後ろ盾である宰相をスキャンダルで失脚させることだった。
宰相は帝国から派遣されたいわば出向者。
当然、帝国を利するためのスパイ行為を行っているはずだ。
むしろ秘密裏にそれを行っていなければとんだ無能ということになる。
だから、スパイの証拠を見つけ、それをネタに宰相を弾劾して失脚させること、それがアリシアを次期公王にする作戦の肝になる。
だけど、スパイの動かぬ証拠を見つけることが一番の難関だった。
宰相は小心で警戒心が強いらしく部屋を離れる時は厳重に鍵をかけていたし、掃除なども信頼しているサンドラ以外には任せない。
ただ、だからこそ宰相の部屋が怪しいのだ。
僕は、ことあるごとに「サンドラさんのお手伝いしたいな。だってサンドラさんと一緒に仕事すると勉強できることが多いし。それに大好きなサンドラさんの側にいられるから」とかなんとか言って甘え、サンドラの仕事のサポートを積極的に引き受けた。
サンドラは歩くのもしんどそうな巨体だし、あまり仕事熱心でないから僕の申出を喜んでくれた。
だけど、さすがに宰相の部屋の掃除は、なかなか手伝わせてくれなかった。どうやら宰相に厳しく言いつけられているらしい。
それが季節が進み、冬が近づくにつれてサンドラの膝が痛み始めた。そして特に冷え込んだこの日、歩くのもしんどそうなサンドラから、ようやく手伝いの許しが出たのだ。
お城の北側にある行政府の執務スペースは、じめじめしていてまるで古い雑居ビルのように暗い。しかも天井裏には蝙蝠が住みついているようで、時々鳴き声が聞こえる。
そんな北側のちょうど中央にある宰相の部屋は、アリシアの部屋よりもずっと狭かった。
家具は簡素な執務机と椅子があるだけ。絨毯も敷かれておらず装飾品もない。まるで役場の事務室のようだ。
だけど、部屋の端にある棚だけは重厚な鋼鉄製。
安っぽいこの部屋とは不自然なくらい不釣り合いだ。
「じゃあ、ごみは私が片付けるから、カガミは窓拭きをお願いできるかしら。」
いつものように元気よく返事をして窓に近づく。
幸いなことに宰相は不在だけど、机の上にも書類はない。どこにでも書類を放りっぱなしのアリシアとはえらい違いだ。
サンドラの目があるから、勝手に抽斗を開けて探ることもできない。大人しく窓拭きをしながらチャンスをうかがうしかないか。
「あた、痛っ、いたた……。」
ゴミ箱を取るためにしゃがんでいたサンドラが膝を押さえて痛そうにしている。
「サンドラさん!大丈夫ですか?」
サンドラに駆け寄り、支えながら抱き起すフリをして素早くゴミ箱の中身に目をやると、いくつか書き損じの紙が目に入った。
「やっぱり年かね…。膝が痛くて仕方ないよ…。」
「そんなに痛むなんて心配です。サンドラさん、少し休んできたらどうですか?ここは僕がやっておきますから。」
「そうかい……じゃあ、ちょっと湿布をもらってくるよ。すぐに戻ってくるから続きをやっといておくれ。」
サンドラが足を引きずりながら部屋を出るのを見送ると、素早く隅に置いてある鋼鉄製の棚に近づいた。機密書類があるならきっとここだろうと目星をつけておいたのだ。しかし抽斗に手をかけるが動かない。鍵がかかっているようだ。
「さすがにそうか……。」
次いでゴミ箱の中の書き損じの紙に慎重に目を通す。やはり中身は大したことはない。帝国の宰相宛の手紙もあったけど、贈答品へのお礼状のようだ。
「机に鍵を入れっぱなしにしたりしてないだろうか?」
執務机の抽斗を引くとすんなりと開いた。
だけど中にはインク壺と羽根ペンが何本か、それに白紙の藁半紙と手紙用の上質紙があるだけで、鍵らしきものは見当たらなかった。
まあ、そんな不用心なはずないか……。ガッカリしながら抽斗を戻そうとした時だった。
ガチャッ
突然のドアノブを回す音に、ドキッとして、飛びのきながら執務机から離れる。
「お前は誰だ?なぜこの部屋にいる?」
入って来たのは、頭頂部が禿げたちょび髭の小男だった。
ただ、着ている服は紫のローブ。この国では重臣にしか許されない高貴で特別な服。
つまりこの人は宰相だ…。
「答えろ!お前は誰だ!」
甲高い声をあげた宰相は、神経質そうに顔をしかめながら、つかつかと歩み寄り、乱暴に僕の肩を掴んできた。
「あ、あの…、使用人のカガミです。サンドラさんのお手伝いでこのお部屋のお掃除を…。」
「なにっ?サンドラには他の使用人は一切入れないように言っておいたぞ!」
少し斜視気味の宰相に舐めるような視線で上から下まで見回され、思わず寒気がした。
宰相は僕を押しのけ、それから執務机の抽斗をゆっくり引いた。
「インク壺の場所がずれてるぞ。抽斗を開けたのか?」
「い、いえ…。ちょっとよろけてぶつかっちゃったから…。」
宰相は、「ふむ…」とちょび髭を撫でると、鋼鉄製の棚の方に向かった。
「この棚は触らなかっただろうな!」
「も、もちろんです…!」
完全に疑われている。なんとか誤魔化すしかない。
逃げちゃおう!そうやって、少しずつドアの方に足を動かしている途中だった。
「指を見せろ!」そう言いながら僕の指をつかみ、顔を近づけ舐めるように見つめ始めた。
「爪に紫のインクが付いている。あの棚の抽斗の取っ手に塗っておいたものだ。お前、あの棚を開けようとしたな!」
「あっ、えっと……。」何か言い訳しようと思ったが言葉が出ない。手を掴まれていて逃げ出すこともできない!
「衛兵!であえ!スパイが入り込んでいるぞ!」
宰相の声に応じて、すばやく宰相の部屋に入って来た衛兵に押さえつけられ、僕は観念してがっくりと頭を垂れた。




