男爵令嬢に夢中な第一王子が婚約解消を申し出たので、王位継承権ごと第二王子に譲ってもらいました
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▶︎『メンタルつよつよ令嬢ハルカはガリガリ王子をふくふくに育てたい!』
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「真実の愛を見つけてしまった。どうか私との婚約は解消させてくれ」
5歳の頃に婚約し、次期王太子妃としてずっと努力を続けてきた私、サーヤは、一瞬に何を言われているのかわからず、目の前の二人を見つめることしかできなかった。
第一王子タカト殿下が、隣に立つ小柄な少女の肩を抱いている。
男爵令嬢ミサキ嬢だ。
陶器のような白い肌にピンクブロンドの髪、潤んだ瞳を持つ小柄な少女は、小動物のように可愛らしく、今にも泣き出しそうな表情で私を見上げている。
ああ、本当に泣き出しそうだ。いや、もう泣いているのか。
私は深く息を吸い込んだ。
「私との婚約は、王家と我が公爵家との契約。それを解消するということが何を意味するのか理解した上でのお申し出でしょうか?」
できるだけ冷静に、感情を排して問いかける。
12年間、王妃になるために積み重ねてきた教育が、今この瞬間も私を律してくれている。
泣きたいとか、怒りたいとか、そういう感情はない。
むしろ、ああ、やっぱりこうなったか、という妙な納得感すらあった。
「分かっている。私は公爵家の後ろ盾を失うことになるし、長年婚約者として努力をしてきた君に対し、申し訳ないとも思っている」
タカト殿下は真剣な表情で言う。
本当に分かっているのだろうか。
私は「ハア」と大きなため息が溢れるのを止められなかった。
ああ、これは……長くなりそうだ。
---
思えば、すべては半年前から始まっていた。
王立学園に入学したミサキ嬢。
初日から、その可憐な容姿で男子生徒たちの注目を集めていた。
「きゃっ!」
廊下でぶつかりそうになって、小さく悲鳴を上げる。
「大丈夫か?」
颯爽と現れて彼女を支えるタカト殿下。
……ベタすぎる展開に、私は遠くから眺めながら、既にこめかみを押さえていた。
「あ、ありがとうございます、第一王子殿下……」
「怪我はないか? 廊下は人が多いから、気をつけるんだぞ」
優しく微笑むタカト殿下の姿に、ミサキ嬢の瞳がきらきらと輝く。
ああ、駄目だ。これは完全に恋する乙女の顔だ。
そして殿下も、庇護欲をそそられる小動物を見つけた騎士の顔をしている。
「サーヤ様、あれは……」
友人でもある侯爵令嬢のミレーヌ様が心配そうに声をかけてくる。
「ええ、見ていましたわ。でも、まだ何も起きていません。様子を見ましょう」
冷静に、冷静に。
私は公爵令嬢として、未来の王妃として、感情に流されてはならない。
だが、その後の展開は予想以上に早かった。
ミサキ嬢は何かあるたびに涙を流し、そのたびにタカト殿下が駆けつける。
授業で難しい問題が解けなくて泣く。
お茶会で高位貴族令嬢たちの会話についていけなくて泣く。
魔法の実技で失敗して泣く。
そして毎回、タカト殿下が「大丈夫だ、君は頑張っている」と慰める。
社交界でも、二人の関係が噂になり始めていた。
「第一王子殿下が、男爵令嬢に夢中らしいわよ」
「まあ、サーヤ様はどうなさるのかしら」
「婚約者がいながら、あんなに堂々と仲睦ましくされるだなんて…」
私の耳にも、そんな囁きが届く。
さすがに、これは放置できない。
ある日、私はミサキ嬢を呼び出した。
「ミサキ嬢、少しお話しよろしいかしら」
「は、はい……サーヤ様……」
すでに怯えた表情のミサキ嬢。
私は何も怖いことは言っていないのだが。
「殿下と親しくされているようですが、殿下には婚約者がいることをご存知ですよね?」
「そ、それは……でも、殿下が優しくしてくださるだけで、私は何も……」
「ええ、殿下が一方的に、とは理解しています。ですが、公の場であまりに親密な様子を見せるのは、王家の品位を損ないます。もう少し、適切な距離を保っていただけませんか?」
できるだけ穏やかに、しかし明確に伝える。
すると。
「うっ……ひっく……」
ミサキ嬢の目から、大粒の涙が溢れ始めた。
「わ、私……何も悪いことしてないのに……サーヤ様は私のことが嫌いなんですね……!」
「いえ、そういう意味では……」
「私、もう耐えられません! サーヤ様が怖いです!」
泣きながら走り去るミサキ嬢。
私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
何を言っても、話が通じない。
これが、恋愛脳というものなのか。
そして、その日の夕方。
「サーヤ!」
怒りに満ちた表情でタカト殿下が現れた。
「何故、ミサキを泣かせた! 彼女は何も悪くないのに、君が嫉妬して嫌がらせをしたと聞いたぞ!」
「……殿下、私は適切な距離を保つようお願いしただけです。嫌がらせなど」
「黙れ! ミサキがあんなに泣いているんだ、君が何か酷いことを言ったに決まっている!」
言葉を遮られ、一方的に糾弾される。
私は唇を噛んだ。
反論したい言葉は山ほどある。
でも、今この状態の殿下に何を言っても無駄だ。
完全に、ミサキ嬢の味方になっている。
「……失礼いたします」
私は深々と礼をして、その場を後にした。
背中に向けられる殿下の視線が、痛い。
いや、痛いのは胸の奥だ。
12年間、一生側にいてくれると信じてきた人が、こんなにも簡単に自分を悪様に扱い、言葉すら聞いてくれなくなる。
それが、現実。
私はジクジクと痛む胸を抑え、真っ直ぐ、いつもの場所へと向かった。
---
王立図書館の奥、誰も来ない静かな一角。
そこに、一人の青年が座っていた。
「……リキヤ」
「やあ、サーヤ。また兄上とミサキ嬢の件か?」
第二王子リキヤは、分厚い魔法書から顔を上げて、鋭い眼光で私を見た。
その目は厳しいけれど、幼い頃から知っている私には、そこに映る心配の色が分かる。
「ええ……もう、どうしたらいいのか分からないわ」
私は隣の椅子に座り、ぐったりと机に突っ伏した。
リキヤの前でだけは、気を抜ける。
幼馴染で、親友で、戦友。
タカト殿下、リキヤ、私の三人は、幼い頃からずっと一緒に育ってきた。
だから、リキヤは私の苦労を誰よりも理解してくれている。
「兄上は完全にミサキ嬢に夢中だな。最近は筋トレの回数も増えているらしい」
「……筋トレ?」
「ああ。『ミサキを守るためには、もっと強くならなければ』と言って、朝も夜も鍛えているそうだ」
頭が痛い。
いや、もう笑うしかない。
「ふふ……あはは……殿下らしいわね……」
「サーヤ、悩みすぎて壊れたか?」
「壊れてないわよ。でも、これ以上どうしろと言うの。私が何を言っても、殿下はミサキ嬢の味方をするし、ミサキ嬢は泣いて逃げるだけ。話し合いすらできないのよ」
リキヤは静かに頷いた。
「ミサキ嬢は、いつも誰かに守られて、自分で問題を解決しようと努力をしたことがないんだろうな。だから、少しでも厳しいことを言われると、それを『攻撃』だと受け止め、守ってくれそうな誰かの影に逃げ込めば助けてもらえると思っている」
「その通りよ。でも、それで国母が務まるわけがないわ。王族は時に厳しい決断をしなければならないし、批判も受け止めなければならない。泣いて逃げるだけでは……」
言いかけて、私は首を振った。
「いえ、もう私には関係ないかもしれないわね」
「サーヤ?」
「だって、このままだと殿下はミサキ嬢を選ぶでしょう。そうなれば、私との婚約は……」
リキヤは眉をひそめた。
「兄上がそこまで愚かだとは思いたくないが……いや、最近の兄上を見ていると、あり得るな」
「リキヤまでそう思う?」
「ああ。兄上は元々、直情的なところがあった。だが、今は完全に理性を失っている。『守るべき弱い存在』を見つけて、騎士道精神が暴走しているんだ」
リキヤの分析は、いつも的確だ。
「じゃあ、私はどうすればいいの?」
「……サーヤは、兄上のことをどう思っている?」
突然の質問に、私は言葉に詰まった。
どう思っているか。
婚約者として、12年間隣にいた人。
尊敬していたし、信頼もしていた。
いつか、恋に落ちるかもしれないと思っていた。
でも。
「……正直に言うと、今は何も感じないわ。失望したというより、ああ、殿下はこういう人だったのだと理解しただけ。むしろ、結婚前に分かって良かったと思っている」
「そうか」
リキヤは静かに微笑んだ。
「ならば、無理に関係を修復する必要はない。サーヤが自分を大切にすることが一番だ」
「でも、公爵家としては……父は私に『王妃になれ』と……」
「公爵も、サーヤが不幸になることは望んでいないはずだ。それに……」
リキヤは一瞬、何かを言いかけて口を閉じた。
「それに?」
「いや、何でもない。とにかく、サーヤは自分の幸せを第一に考えろ。兄上のことは、俺が何とかする」
リキヤの言葉に、私は少しだけ救われた気がした。
でも、問題はまだ解決していない。
そして、その「解決」は、予想よりも早く、劇的な形で訪れることになる。
---
それから一ヶ月。
状況は悪化の一途を辿った。
タカト殿下とミサキ嬢は、もはや堂々と学園中でイチャイチャしている。
「殿下、これ分からないんです……」
「ああ、ここはこうするんだ。ミサキは頑張り屋だな」
「えへへ……殿下に教えていただけると、とっても分かりやすいです!」
図書館で。廊下で。中庭で。
どこもかしこもで、二人の甘い雰囲気が漂っている。
社交界の噂は、もはや確信に変わっていた。
「第一王子殿下は、公爵令嬢を捨てて男爵令嬢を選ぶつもりらしい」
「まあ、スキャンダルね」
「男爵令嬢ごときに奪われるなんて、サーヤ様もお気の毒ね」
私は、もう何も感じなくなっていた。
怒りも、悲しみも、すべて通り越して、ただ虚無だけが残っている。
そして、ついにその日が来た。
「サーヤ、話がある」
タカト殿下に呼び出され、彼の執務室へと足を運ぶと、ソファには優雅にお茶を楽しむ殿下とミサキ嬢の姿があった。
「呼び出してすまなかったな。そこに掛けてくれ」
目の前のソファを示される。私は一礼をして、二人と相対するその席に静かに腰を下ろした。
メイドが新しく三人分の紅茶を入れ、テーブルに並べる。その様子を眺めながら、タカト殿下は緊張した面持ちで私を見た。隣では、ミサキ嬢が不安そうに殿下の袖を掴んでいる。
そして。
「真実の愛を見つけてしまった。どうか私との婚約は解消させてくれ」
ああ、やっぱり。
私の心の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
でも不思議と、涙は出なかった。
むしろ、清々しさすら感じる。
ようやく、この茶番が終わるのだ。
「私との婚約は、王家と我が公爵家との契約。それを解消するということが何を意味するのか理解した上でのお申し出でしょうか?」
「分かっている。私は公爵家の後ろ盾を失うことになるし、長年婚約者として努力をしてきた君に対し、申し訳ないとも思っている」
本当に分かっているのだろうか。
いや、分かっていないからこそ、こんなことを言えるのだろう。
「ならば、何故……とお伺いしても? 失礼ながら彼女は男爵令嬢、国母となるには何もかもが足りていません」
私はミサキ嬢を一瞥した。
彼女は怯えたように身を縮めている。
「彼女を側に置きたいのであれば、私と結婚し、男子が生まれた後にでも愛妾となされればよろしいのでは?」
極めて現実的な提案だ。
王族としては、ごく普通の選択肢。
でも。
「そんな!」
ミサキ嬢が甲高い声を上げた。
「私、奥さんが何人もいるなんて我慢できません! しかも、私が一番じゃないだなんて、耐えられない!!」
わあっと大袈裟に声を上げて泣き出すミサキ嬢。
タカト殿下が慌てて彼女を抱きしめる。
「大丈夫だ、ミサキ。君を一番に考える、約束する」
その光景を見ながら、私は「ハア」と大きなため息を吐いた。
ああ、もう駄目だ。
この二人は、完全に現実が見えていない。
「……分かりました。では、婚約解消について、正式な手続きを始めましょう」
「本当か!? サーヤ、ありがとう!」
タカト殿下が嬉しそうに笑う。
ミサキ嬢も、涙を拭いて満面の笑みを浮かべている。
「ただし」
私は冷たく言葉を続けた。
「これは王家と公爵家の問題です。当然、国王陛下と王妃陛下、そして私の父にも報告しなければなりません。殿下も、それは理解されていますよね?」
「……ああ、もちろんだ」
タカト殿下の表情が、一瞬だけ曇った。
でも、すぐにミサキ嬢を見て、また笑顔になる。
「大丈夫だ。両親も、私の幸せを願ってくれているはずだから」
本当に、そう思っているのだろうか。
いや、もういい。
どうせ、すぐに現実を知ることになる。
「では、明日、正式な場で話し合いましょう。国王陛下、王妃陛下、リキヤ殿下、そして私の父も同席します」
「リキヤも? 何故だ?」
「第二王子殿下は、王位継承順位第二位です。第一王子殿下の婚約解消は、王家全体に関わる問題ですから、当然同席していただきます」
私の言葉に、タカト殿下は少し戸惑った様子を見せた。
でも、ミサキ嬢が「大丈夫ですよね、殿下?」と見上げると、また頷いてしまう。
「ああ、分かった」
「では、失礼いたします」
私は執務室の扉を出ると、すぐに王妃陛下への謁見を願い出た。そして、許可が下りるのを待つ間、与えられていた部屋へと戻り、急いで父に手紙を認めた。
12年間の婚約生活も、これで終わる。
不思議と、後悔はなかった。
---
翌日。
王族の私的な応接室に、関係者全員が集まった。
上座には国王陛下が座り、その隣に王妃陛下。リキヤはその背後に控えている。
向かって右側に、タカト殿下とミサキ嬢。
そして左側には、私と父が座った。
「では、タカト。改めて、お前の言い分を聞こう」
国王陛下の威厳ある声が響く。
タカト殿下はおもむろに口を開いた。
「父上。私は、真実の愛を見つけました。どうか、サーヤとの婚約を解消し、ミサキとの結婚をお許しください」
その言葉に、謁見の間が静まり返った。
国王陛下は、じっとタカト殿下を見つめている。
王妃陛下は、冷たい目でミサキ嬢を一瞥した。
そして。
「お待ちください」
低い声で、リキヤが口を開いた。
「兄上、その申し出の前に、確認させてもらいたいことがあります」
「リキヤ? 何だ?」
「兄上は、この半年間、学園でどのような生活を送っていましたか?」
「……どういう意味だ?」
「答えてください、兄上。お二人の『真実の愛』を証明するためにも、ミサキ嬢とどれだけ親密に過ごしていたのか、すべて包み隠さずお話しください」
リキヤの鋭い眼光が、タカト殿下を射抜く。
タカト殿下は少し怯んだが、すぐに姿勢を正した。
「私はミサキを守っていただけだ。彼女は学園生活に慣れておらず、困っているところを助けていた」
「毎日、朝から晩まで?」
「……それは」
「図書館で二人きりで勉強し、中庭で二人きりで散歩をし、食事も常に隣に座り、休日も二人で街に出かけていたと聞いていますが?」
リキヤの指摘に、タカト殿下の顔が赤くなった。
「そ、それは……ミサキが一人では不安だと言うから……」
「婚約者がいながら、他の女性とそこまで親密に過ごすことが、どれだけ非常識か分かっているのですか?」
「っ……」
リキヤの言葉に、タカト殿下は言葉を失った。
そして、リキヤは私の方を向いた。
「サーヤが、この半年間、どれだけ苦労したと思っているのですか? 社交界で噂になり、貴族たちから好奇の目で見られる中、それでも将来の王妃としての務めを果たそうと毅然と振る舞い続けた。兄上がミサキ嬢に夢中になって醜聞を広めている間、サーヤは一人で王家の名誉を守っていたんだ!」
リキヤの怒気を孕んだ声が、謁見の間に響く。
私は驚いて彼を見た。
リキヤが、ここまで感情的になるのは珍しい。
「サーヤは、多忙な妃教育の傍ら、孤児院の支援活動を続け、貧しい子供たちのために学校を建設する計画を進め、隣国との外交文書を翻訳し、毎日毎日、将来の国母としての務めを果たしてきた。あなたが、その女と遊び呆けている間も、ずっとだ。その努力を、兄上は知っているのか!?」
「……っ」
タカト殿下は、項垂れた。
そして、王妃陛下が口を開いた。
「サーヤ」
王妃陛下はソファから立ち上がり、私の側まで移動すると、隣に腰掛け、そっと私の手を両手で包み込んだ。
「よく頑張ったわね。貴女は、本当に立派な国母になれる素質があるわ」
その言葉に、私の目から涙が溢れそうになった。
12年間、ずっと耐えてきた。
誰にも弱音を吐かず、ただ前を向いて努力してきた。
その努力を、王妃陛下は見ていてくれたのだ。
「ありがとうございます……」
私の声が震えた。
王妃陛下は優しく微笑むと、今度はミサキ嬢の方を向いた。
その目は、先ほどまでの優しさとは打って変わって、冷たく厳しい。
「ミサキ嬢。貴女は、国母とは何か理解していますか?」
「え……えっと……その……」
ミサキ嬢は怯えたように身を縮めた。
「国母とは、国の母です。すべての民を我が子のように慈しみ、導き、時には厳しく諭す。そのためには、教養、判断力、決断力、そして何より強い心が必要です。貴女に、それがありますか?」
「わ、私……殿下のお側で、頑張ります……」
「頑張る、では足りません。王族は、常に結果を出さなければならない。失敗は許されません。国民の命がかかっているのですから」
王妃陛下の言葉に、ミサキ嬢の顔が真っ青になった。
「で、でも……私……」
「泣けば誰かが助けてくれると思っていませんか? 国を導く我々王族に、助けを求められる人はいません。すべて、自分で決断し、責任を負わなければならないのです」
「そ、そんな……無理です……」
ミサキ嬢は泣き出してしまった。
タカト殿下が慌てて彼女を抱きしめる。
「母上! あまりミサキを責めないでください!」
「責めているのではありません。現実を伝えているだけです」
王妃陛下は冷たく言い放った。
そして、国王陛下が重々しく口を開いた。
「タカト。お前の話はわかった。そして、結論を言おう」
一瞬にして部屋の空気が張り詰めた。
国王陛下は、射抜くような強い瞳で、真っ直ぐにタカト殿下を見た。
「サーヤに瑕疵はない。それでも婚約解消を望むのであれば、そなた有責になる」
「……っ」
「お前が一方的に婚約を破棄するのだから、当然だな? 公爵家への補償も必要になる。そして、何より……」
国王陛下は、厳しい声で言った。
「王家の信用を失墜させた責任も、お前が負うことになる」
「父上……」
「それでも、お前は婚約解消を望むのか?」
国王陛下の問いかけに、タカト殿下は震える手でミサキ嬢を抱きしめた。
そして。
「それでも構わない。私は『真実の愛』を貫くことを選ぶ」
その言葉を聞いた瞬間。
国王陛下の表情が、悲しみに歪んだ。
「……そうか。ならば、致し方ない」
国王陛下は一瞬だけきつく瞼を閉じた後、まっすぐタカト殿下を見据えた。
「タカト。そなたの王位継承権は、ここに剝奪する」
静かに国王陛下の宣言が響き渡った。
「なっ……!?」
タカト殿下の顔から血の気が引いた。
ミサキ嬢も、何が起きたのか理解できず、きょとんとしている。
「国益よりも私欲を優先し、務めを果たさぬどころか、王家の信用に泥をぬる者に王族は務まらぬ」
国王陛下は厳しい声でそう告げると、改めて一同を見渡し、よく響く声で宣言した。
「リキヤを王太子と定め、サーヤには改めてその婚約者として民のために尽くしてほしい」
「え……?」
私とリキヤは、同時に戸惑いの声を上げた。
そんな私たちに、国王陛下は優しい目で声をかけた。
「リキヤよ。お前は幼い頃から、兄を立てることを優先し、自分の才能を隠してきた。だが、もうその必要はない。お前の能力は、私も王妃も、そして公爵も認めている」
「父上……」
リキヤは驚いた表情で国王陛下を見つめた。
「そして、サーヤ。お前はこの半年間、よく耐えた。タカトの愚行にも関わらず、腐ることなく努力を続け、王家の名誉を守り続けてくれた。その努力に報いたい」
陛下が、私の方を向いて優しく微笑んだ。
「サーヤ・エルメ公爵令嬢。改めて、第二王子リキヤの婚約者として、未来の王妃として、この国を支えてくれるか?」
私は、リキヤを見た。
リキヤも、私を見ている。
その鋭い眼光の奥に、優しさと信頼が見える。
幼い頃から、ずっと一緒だった。
タカト殿下の陰に隠れていたけれど、いつも私のことを気にかけてくれていた。
困った時には相談に乗ってくれて、辛い時には側にいてくれた。
そうか。
私が本当に信頼していたのは、タカト殿下ではなく、リキヤだったのだ。
「はい。謹んでお受けいたします」
私は深々と頭を下げた。
リキヤも、同じように頭を下げる。
「ありがとうございます、父上。そして、サーヤ。これからもよろしく頼む」
リキヤの言葉に、私は微笑んだ。
「こちらこそ、リキヤ」
そして、国王陛下は再びタカト殿下の方を向いた。
「タカト、そなたには、せめてもの情けとして一代限りの伯爵位を授けよう。卒業後は一介の騎士として王国に仕えるが良い」
「……っ」
タカト殿下は、何も言えずに項垂れた。
王子から、伯爵へ。
王位継承権を失い、臣下となる。
それが、『真実の愛』を選んだ代償だ。
「ま、待ってください!」
突然、ミサキ嬢が声を上げた。
「そんな……殿下が王子じゃなくなるなんて……私、聞いてません!」
その言葉に、その場が凍りついた。
王妃陛下が、冷たい声で言った。
「では、貴女は王子だからタカトを愛していたとでも言うのですか?」
「そ、そんなことは……でも……」
「『真実の愛』ではなかったのですか?」
王妃陛下の言葉が、ミサキ嬢を射抜く。
ミサキ嬢は、泣きながらタカト殿下にすがった。
「殿下……殿下……」
でも、タカト殿下はもう、彼女を抱きしめる力もないようだった。
ただ呆然と、床を見つめている。
「それがようございますわね」
そんな二人を冷ややかに見つめ、王妃陛下が言い放った。
「その娘には国母は愚か、王族の妻としての働きは期待できますまい。高位貴族の奥方としても不安は残りますが、領地を持たぬ一代伯爵ならば、タカトの望み通り、其方の手の届く範囲にその娘を止め、守り抜けましょう」
その言葉には、皮肉と諦めが混じっていた。
ミサキ嬢は、ようやく現実を理解したようだった。
自分が愛した王子は、もう王子ではない。
ただの伯爵になってしまった。
そして、それは自分たちが選んだ道なのだ。
「タカト、ミサキ嬢。下がってよい。今後のことは、改めて伝える」
国王陛下の言葉に、二人は力なく頭を下げて退出していった。
その後ろ姿は、あまりにも小さく見えた。
---
謁見の間に、私とリキヤ、父、そして国王陛下と王妃陛下だけが残った。
国王陛下は、深い溜息を吐いた。
「タカトには、失望した」
「陛下……」
「だが、こうなることは予想していた。あの子は、昔から直情的で、目の前のことしか見えなかった。王としての器ではなかったのだ」
国王陛下の言葉に、誰も反論できなかった。
それは、真実だから。
「リキヤ。お前は、兄のようにはなるな」
「はい、父上」
「それから、サーヤ、公爵。苦労をかけるが、これからはリキヤと共に、この国を支えてくれ」
「「はい、陛下」」
父と共に深々と頭を下げた。
王妃陛下が、優しく私の肩に手を置いた。
「サーヤ。貴女なら、立派な王妃になれる。私が保証します」
「ありがとうございます、王妃陛下」
私の目から、気づけば涙がポロポロと溢れていた。
でも、それは悲しみの涙ではなく、安堵の涙だった。
長い長い戦いが、ようやく終わったのだ。
そして、新しい人生が始まる。
リキヤと共に、この国を支えていく。
それは、きっと幸せな未来だと思えた。
---
それから三ヶ月後。
王立学園の卒業式が行われた。
私とリキヤは、王太子と王太子妃として、壇上に立っていた。
「卒業生の皆様、おめでとうございます」
リキヤが、堂々と挨拶をする。
その姿は、もう以前のように一歩引いたような控えめなものではなく、王太子としての威厳に満ちていた。
そして、そんな彼の隣で、私も穏やかな微笑みを浮かべていた。
客席には、タカト元王子とミサキがいた。
本来卒業生として祝われる立場のタカトは、前方に席があるはずなのだが、二人は、後方の席にひっそりと座っていた。
タカトは、もう王族を表す装飾品を身につけておらず、高級ではあるが控えめな伯爵位に相応しい衣装を身に纏っていた。
ミサキは、その隣で顔を俯け、小さくなっている。
社交界での二人の評判は最悪だった。
「王位を捨てるなんて、王族としての責務をどのようにお考えなのかしら」
「たかが男爵令嬢一人のために」
「あんな礼儀も教養もない、泣いてばかりの女、伯爵夫人になっても、きっと何もできないわよ」
噂は容赦なく、二人を責め立てた。
でも、それは自業自得だ。王族という立場は、それだけ大きな責任が伴うものなのだから。
タカトもそれを充分理解しているのだろう。俯き、泣き始めるミサキの肩をそっと抱き寄せ、式が終わるまで、ただ静かに座っていた。
卒業式が終わり、私とリキヤは王宮へ戻った。
執務室で、リキヤが書類を整理している。
「サーヤ、この外交文書の翻訳、確認してくれるか?」
「ええ、任せて」
私は隣に座り、文書を読み始めた。
リキヤと一緒に仕事をするのは、とても心地よい。
お互いの得意分野を理解し、補い合える。
これが、本当のパートナーシップなのだと思う。
「なあ、サーヤ」
「何?」
「兄上とミサキ嬢のこと、どう思う?」
リキヤが、ふと顔を上げて聞いた。
私は少し考えてから答えた。
「彼らは、自分たちに合った立場に落ち着いたのだと思うわ」
「……そうだな」
「タカト様は、王子としての重責よりも、ミサキ嬢を守る騎士としての役割の方が向いていた。そして、ミサキ嬢も、国母になるよりも、守られる妻の方が幸せでしょう」
私の言葉に、リキヤは頷いた。
「『立場に見合った器』か」
「ええ。器に見合わない立場を求めるよりも、自分の器に合った立場で生きる方が、誰にとっても幸せだと思うわ」
そして、私は微笑んだ。
「今は辛いかもしれなくても、自分たちで選んだ未来ですもの。お二人も時が経てばそのことにきっと気がつくと思うわ。私もね、色々あったけれど、今とても幸せなの。積み重ねてきた努力も、王太子妃としての立場のために必要なことだったと思ってる。あなたの隣に立つ資格を得れたのですもの。頑張ってきて良かったと、心から思ってるわ」
「……サーヤ」
リキヤが、少し照れたように視線を逸らした。
その姿が可愛くて、私は笑った。
「ふふ、リキヤったら」
「笑うな。俺だって、こういうのは慣れていないんだ」
「じゃあ、これから慣れていきましょう。私たちには、まだまだ時間があるのだから」
私の言葉に、リキヤは優しく微笑んだ。
そう。
私たちには、これから長い未来が待っている。
一緒に国を支え、一緒に成長していく。
窓の外を見ると、夕日が沈んでいく。
新しい一日が終わり、また新しい一日が始まる。
私は、この未来を心から楽しみにしている。
リキヤと共に、歩んでいく未来を。
---
〜 エピローグ 〜
卒業式から数年後。
タカトとミサキは、王都の片隅にある小さな屋敷で暮らしていた。
タカトは騎士として王宮に出仕し、ミサキは伯爵夫人として慎ましやかに日々を送っている。
社交界には顔を出さず、静かに穏やかに二人だけの生活を送っていた。
煌びやかなパーティで美しく着飾って踊ることもない。その代わり、高位の貴婦人に扇の陰で嘲笑されることもない。
重臣たちの冷ややかな視線に晒されることもなければ、過分な重責に押しつぶされることもない。
「ただいま」と屋敷に戻れば「お帰りなさい」とにこやかに迎えられ、今日あった他愛もない出来事を報告し合う。
春になれば小さな庭で散歩をして季節の花を愛で、冬は暖炉の前で身を寄せ合い、温かいお茶を飲みながらその温もりを味わう。
彼らが望んだ『真実の愛』は、確かに失ったものも多かった。
けれど、かけがえのない温もりと愛情に満たされた、幸せな日々がそこにはあった。
**【完】**
お読みいただきありがとうございました!
『立場に見合った器』というテーマで、悪役令嬢もの……ではなく、「誰もが自分に合った場所で幸せになれる」というお話を書いてみました。
タカトとミサキは決して悪い人間ではありませんが、王族としての器がなかっただけ。
そして、サーヤとリキヤは、本当の意味で国を支えられる器を持っていた。
立場によって求められるものは変わります。それぞれの思う「幸せの形」を感じていただければ幸いです。
このお話の十年後を描いたタカト視点のスピンオフ作品を公開しました!
是非、読んでいただければ幸いです♪( ´▽`)
▶︎「『真実の愛』を貫いて王位継承権を剝奪された元王子の十年後の選択」
https://ncode.syosetu.com/n9390ld/




