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第10章 蝉丸

 

 夕暮れの京都駅前。交差点を行き交う無数の人影のなかで、ぽつりと立ち尽くす男がいた。粗末な直衣を身にまとい、顔の半分は垂れた髪に隠れているが、どこか人を寄せ付けぬ雰囲気がある。その男は、蝉丸であった。

 彼の耳に届いてくるのは、駅ビルのアナウンスと、バスやタクシーの発車音、そしてホームレスたちが身を寄せる路地裏から聞こえる、かすかな寝息とせき込みの音。彼はそのすべてに、ひとつずつ耳を傾けた。

「これもまた、現代の“関”か……」

 彼の記憶のなかにあるのは、逢坂の関。行き交う人々が出会い、別れ、泣き、笑うその場所は、今では鉄道とアスファルトに置き換えられていた。しかし本質は変わっていない。人は今もなお、境を越えて生きようとしていた。

 足元には、段ボールを敷いて眠る老人。その顔には深い皺が刻まれ、手には古びた新聞が抱かれていた。彼のそばを、着飾った観光客が通り過ぎていく。目もくれず、スマートフォンで自撮りをしながら、笑っている。

 蝉丸は、その情景に心を寄せる。

「行くも帰るも、知るも知らぬも、等しくこの世に在れども――なぜ、こうも隔たりが生まれるのか」

 かつての関所でも、身分や立場によって扱いが変わった。今のこの世界でも、それは形を変えて残っている。だがそのなかにあっても、なお人は、誰かと交わろうとし、繋がろうとし、祈ろうとしている。

 彼は駅前広場の隅で、バスを待つ人々のなかに身を沈めるように腰を下ろし、笠の陰から通り過ぎる人々を見つめた。カップル、子ども連れ、ビジネスマン、ひとりで泣いている少女。誰もが、何かと別れ、何かを求めていた。

「この世は、いつも“途中”で満ちている」

 そう呟くと、蝉丸は懐から小さな和紙を取り出し、ゆっくりと筆を走らせた。


 その歌は、まるですべての“境”に立たされた者への慰めのようだった。

 彼は短冊を駅前の掲示板の片隅にそっと貼ると、誰にも気づかれぬまま、その場を離れていった。

 その夜、通り雨に濡れた若者が、偶然その歌に目を留める。「…わかる気がするな」と、ぼそりと呟き、写真に収めた。彼の投稿は多くの共感を呼び、SNSの片隅で静かに拡がっていく。

 だが、誰もその“啼く虫”の正体が蝉丸であったことを知らなかった。

 終


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