第8章 喜撰法師
鎌倉の静かな山裾、苔むした寺の境内に、観光客たちの声が響く。木漏れ日が差し込む参道を、若者たちがスマートフォンを手に、カメラのシャッターを切って歩いていた。そのなかに、ひときわ目を引く装束の人物がいた。灰茶の法衣に身を包み、笠を傾けた僧――喜撰法師である。
彼はゆるやかな足取りで境内を進み、境内の奥にある小さな茶屋の前に立ち止まる。そこには“抹茶体験”の看板が掲げられ、外国人観光客が和服を着て記念撮影をしていた。
「これほどに、多くの者が静けさを求めて山に来るとは…されど、その“静けさ”は、どこにあるのかの」
彼の視線は、観光客のスマートフォンに向けられていた。人々は一様に、目の前の景色ではなく、画面越しに風景を切り取っていた。竹林の音、苔の香り、鳥のさえずり――それらが画面には映らないことを、誰も気に留めていないようだった。
ふと、本堂の前でベンチに座る中年男性に目を留める。彼は手を合わせ、静かに目を閉じていた。まるで喜撰法師の“心の住処”を思い起こさせる姿であった。
「わが庵は 都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」
かつて自身が詠んだその歌を思い出す。人に避けられるような場所でも、心を澄ますにふさわしい場所がある。それが“宇治山”であった。だが今――“静けさ”さえも観光の対象となり、誰かに見せるために追い求めるものになっていた。
「目で見るより、耳を澄ませよ。心で触れよ」
彼は本堂の裏手へと歩を進め、小さな地蔵の前に腰を下ろした。風が笹を揺らし、どこからか子どもの笑い声が届いてくる。その一瞬に、ようやく「現代の静寂」を見出したように感じた。
彼は笠をとり、懐から取り出した短冊にそっと筆を走らせる。
彼はその短冊を、小さな祠にそっと立てかけ、立ち上がった。
境内に戻ると、相変わらず人々はカメラを構え、喧騒を携えて歩いていたが、彼の足取りは乱れなかった。静けさは外にあるのではない。心の内にこそ、宿るものである――そのことを改めて噛みしめながら、彼は山道の奥へと消えていった。
翌日、祠を掃除していた寺の住職が、その短冊を見つけた。誰が詠んだのかはわからなかったが、「これは…まるで本物の歌人が残したような…」と、寺の掲示板に貼り出すことにした。
その歌はやがて訪れた参拝者の心を打ち、静かに広がっていった。
終