第5章 猿丸大夫
陽の高い午後、原宿・竹下通りの入り口で、どこか所在なげに立つ男がひとり。小袖に直垂、袴をまとい、腰には細身の笛を差している。その風貌は街の色彩のなかで不思議と映え、道行く若者たちは「コスプレかな?」「なにあれ、すご…」と目を見張る。
その男こそ、猿丸大夫であった。
通りにあふれる音楽。ストリートパフォーマーが太鼓を打ち鳴らし、スプレーで即興の絵を描き、外国人観光客たちは笑顔でスマートフォンをかざす。キッチンカーからは甘く香ばしい匂い。猿丸はそのすべてを、まるで子どものような好奇心で見渡していた。
「ここは…都の奥山か。否、これは“人の森”じゃな」
と、彼の足が止まる。若者たちが集う一角で、和太鼓とエレキギターがコラボするパフォーマンスが始まった。激しくも楽しげなビートに合わせて、着物姿のダンサーが獣のように跳ね、笛の音色がそこに絡んでいく。
猿丸は、ふと腰の笛に手をやった。
「我もまた、舞わばや」
そのまま、するりと舞台へ滑り出る。主催者が止める間もなく、彼は人々の輪の中心で笛を吹いた。その音は、古代の野に響いた鳥のさえずりのように澄み、どこか懐かしい調べを帯びていた。
ダンサーも驚きつつ、その音に呼応するように即興で舞う。ビートと音色が交錯し、通りは一時、異世界の祭りのような熱気に包まれる。
観衆は歓声を上げ、スマートフォンのフラッシュが飛ぶ。「誰?」「めっちゃエモい!」「なんか泣きそうになった」とざわめきが広がるなか、猿丸はゆっくりと手を掲げ、最後の一音を奏でた。
しん…とした一瞬の静寂。まるで秋の山中で鹿の声が遠くから響くような、そんな余韻。
猿丸は口元に笑みを浮かべ、そっと呟いた。
「音は時を越え、人の心に届くものなり」
彼は、近くの路上アーティストから小さな短冊と筆を借りると、その場に座り込み、短く歌を記した。
その言葉に、パフォーマーの青年が目を丸くする。「え…あなた、何者っすか?」
猿丸は微笑みながら、答える代わりに、静かに笛を置いて立ち上がった。
そして、ふわりと身を翻し、竹下通りの人混みのなかへ消えていく。彼の姿は、いつのまにか、群衆の波のなかに紛れて見えなくなっていた。
残された笛と短冊は、パフォーマーの手に渡り、やがて動画としてSNSにアップされた。「伝説の飛び入り神演奏」「#猿の神様」とハッシュタグが踊る。
だが、それが“歌人”猿丸大夫の現代の姿であったことを、誰も知る由はなかった。
終