第48章 源重之
晩春のキャンプ場。群馬の山あいに広がる広大な敷地には、色とりどりのテントが立ち並び、薪のはぜる音や子どもたちの笑い声が山にこだましていた。小川のせせらぎが遠くから聞こえ、日が傾くにつれて空の色は群青から茜へと変わっていく。
その片隅で、焚き火のそばに腰をおろし、手をかざしているひとりの男がいた。粗野ではないが野趣を帯び、どこか“自然とともにある”という静けさを宿したまなざし。その男こそ――源重之。
平安時代、恋と自然を詠むことに秀で、風の音、露の儚さ、人の情を重ね合わせて詠み続けた歌人。彼が今いるこの地で感じていたのは、まさに“自然と人の呼吸の交錯”だった。
周囲では、若者たちがテントの設営を終え、缶ビールを片手に語り合っていた。
「都会の喧騒から離れて、こうして火を見てるだけで落ち着くな」
「なんか、自分の輪郭が戻ってくるっていうかさ」
その言葉に、重之は微笑んだ。
「火の音も、夜の空も、すべてが人の記憶を呼び起こす。恋もまた、こうした静けさのなかにこそ揺らぐものよ」
隣のグループのカップルが、小さなスクリーンで映画を観ていた。映し出されていたのは、静かな山中で出会いと別れを繰り返す二人の恋物語。その映像に重之は目を奪われた。
「恋の形は変われど、その“揺れ”は今も変わらぬ…」
やがて、星がひとつまたひとつと顔を出し、焚き火の炎が心地よく周囲を照らす。
重之は、静かにポケットから短冊を取り出し、焚き火の明かりの中で一首を綴った。
翌朝、その短冊は誰かの目に留まり、管理棟の掲示板にそっと貼られた。「昨夜、サイトBの焚き火台のそばで見つけました」とだけ添えられて。
キャンプ場を訪れる人々は、その歌を読みながら、自分の過ごした夜の記憶を重ねた。
「囲炉裏なき火、っていい表現だな」
「なんか、この言葉で昨日の夜がもっと特別に思えてきた」
その短歌は、やがてキャンプ場のパンフレットにも記載され、“焚き火の詩人”として語り継がれるようになる。
源重之の姿は、すでに朝霧の中へと溶けていた。
だが、その夜の火と、言葉の余韻は、訪れた人々の心に小さな“熱”として灯り続けていた。
終




