第47章 恵慶法師
日の傾いた午後、上野の国際会議場では、宗教間対話フォーラムが静かに始まっていた。イスラム、キリスト教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、そして神道や土着信仰まで――立場も思想も異なる者たちが一堂に会し、「共存と平和」をテーマに語り合う場だった。
そんな場に、淡い法衣を纏い、背筋をまっすぐに伸ばした僧形の男が静かに席についた。恵慶法師――仏門に身を置きながらも、心の襞を詠む和歌で名を残した、深き思索の人である。
会場では、誰かがこう語っていた。
「宗教が違っても、争いよりも祈りを交わせる世界を目指したい」
通訳越しにその言葉を聞いた恵慶法師は、静かに目を閉じた。
「時に、教えは人を隔てる。されど…祈りは人を結ぶ」
壇上では、あるラビが語った。
「神の名は違えど、我々が求めるものは“癒し”であり、“赦し”であり、“つながり”です」
隣席の神父が応じる。
「そう、我々は皆、“ひとつでありたい”と願う者たちなのです」
恵慶法師は、その言葉の数々を心の奥に刻んだ。信仰が争いを生むのではない。“違い”が、恐れを招くのだ。
そして恐れは、言葉で、願いで、祈りで、超えることができる。
会の終わり、参加者がそれぞれの信仰に基づき、平和を願って短いことばを記すコーナーが設けられた。言語も書体も違う紙が並ぶその中に、恵慶法師は迷わず筆を取った。
その歌を見つけた若い女性が、そっと読み上げて涙をこぼした。
「全部、違っていても…信じる“光”は、きっと同じなんだって、思えました」
やがてこの短歌は、フォーラムの次回予告ポスターにも印刷され、祈りの象徴として、多くの宗教者たちに引用されるようになる。
そして、誰かがささやいた。
「名は知らずとも、あの詩を残した人の祈りは、今も私たちを結んでいる」
恵慶法師は、その言葉を風のように背に受け、再び歩みを静かに消していった。
祈りとは、形ではなく心。
それを詠い、残すことこそが、彼の使命だった。
終




