第40章 平兼盛
春の神社――そこは恋愛成就の御利益で知られる、都内の人気スポットだった。境内には若い男女が数多く集まり、赤い糸を象った絵馬や、おみくじを結ぶ鈴の音が風に揺れていた。
そんななかに、どこか古風で、それでいて人混みに自然と溶け込む男が立っていた。優美な姿に清潔な直衣をまとい、深くもの思いに耽る瞳――それが平兼盛であった。
彼は、百人一首でも屈指の“情熱の恋歌”を詠んだ歌人として知られる。
「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで」
感情を押し隠しながらも、にじみ出てしまう恋心。その激しさと、抑えきれぬ想いの交錯。それこそが、彼の和歌の真髄であった。
今、彼の目の前では、スマートフォンを手にした若者たちが、恋愛祈願のための写真を撮り、SNSで“推しの神様”を紹介していた。
「これが…恋を成す祈りのかたちか。姿は違えど、心の震えは昔と変わらぬものよ」
彼は、境内の奥にある“縁結びの石”の前に佇み、耳を澄ませるように、そっと人々の声に心を寄せた。
「告白、成功しますように…」
「遠距離、もう一度会えますように…」
「好きって、言える勇気がほしいです」
そのどれもが、平安の世に交わされた恋文と、何も変わらぬ“まっすぐな心”を宿していた。
彼はふと、境内の掲示板に「恋の短歌を詠もう!」という企画を見つけた。色とりどりの短冊に、参拝者が想いの歌を記していく試みだ。
ある若者の一首が目を引いた。
「見つめても 届かぬ距離に 君がいて それでも夢を 見てしまうのは」
それを読み、兼盛は微笑んだ。
「よいな…。恋とは、報われぬ日々すらも美しく染める“糸”なれば」
彼は、静かに筆を取り、一首を綴った。
その歌は、ほかの短冊に紛れて静かに吊るされた。
数日後、その一首は境内の人気投稿としてSNSで紹介され、「まるで和歌の神様が詠んだみたい」と話題を呼んだ。恋愛成就の御守りに、この歌の印刷された特別版が作られ、あっという間に頒布終了となったという。
“真っ直ぐに人を想う気持ち”は、時代を超えて、いまも誰かの背中をそっと押している。
平兼盛は、満開の梅が揺れる参道をあとにしながら、心の中でひとつの恋を想った。
“叶うか否かではない。想いを尽くすこと、そのものが、恋の証なのだ”
そう呟きながら、彼の姿は、春霞のなかに消えていった。
終




