第35章 紀貫之
午後の原宿。若者たちが行き交い、カフェや古着屋、雑貨店が並ぶ通りは、日々“今”を更新し続けていた。その喧騒のなか、古風な旅装束で静かに歩くひとりの男がいた。目を細めてショーウィンドウのネオンサインを見つめるその姿は、まるで時間に取り残されたようであり、同時に、不思議とこの街の空気に馴染んでいた――紀貫之、その人である。
『土佐日記』を書いた彼は、旅の記録を“女のふりをして”記したことで知られる。日常のなかに繊細な感情を封じ込め、歌と文で綴ったその日記文学の祖が、今こうして、令和の“日記の海”の中心に立っていた。
通りを曲がると、そこには“Z世代の共感日記展”と銘打たれたギャラリーがあった。入場無料の展示で、SNSやブログに投稿された実際の「日記文」が匿名で並び、映像・写真・歌詞・音声が交差していた。
貫之はゆっくりと館内を巡る。
「これは…一日に百の声が交わる“現代の詞書”よな。誰もが書き、誰もが読まれ、誰もが忘れられる――それでも、綴ることをやめぬとは」
展示されていたある若者の投稿に、彼の足が止まる。
「誰にも言えない気持ちを、ここにだけ置いておく。読まれても読まれなくても、言葉にした時点で少し軽くなるから」
その言葉に、貫之の胸が波立った。誰にも読まれぬかもしれない言葉。それでも残す。かつて、彼も旅のなかで、そうして幾度も書き留めた。
「書くということは、心を置くこと。読まれぬとしても、それは“確かにそこにあった”証よ」
彼は、出口付近に設けられた“感想短冊”のコーナーに立ち寄る。色とりどりのメモ用紙に、来場者が自由に言葉を残していける。
彼は筆を手に取り、静かに一首を記した。
その短冊を壁に貼ると、彼はそのまま何も言わずに立ち去った。
数時間後、若い女性スタッフがその一首を見つけた。
「えっ、誰が書いたの…?めちゃくちゃ綺麗…なんか、和歌?」
SNSに投稿されると、「#原宿で見つけた名言」として瞬く間に拡がった。ある日記系YouTuberがこの短歌に触発され、動画の中でこう語った。
「たとえ誰に読まれなくても、自分の気持ちを言葉にするって、すごく尊いことなんだと思います」
その言葉は、また新たな“日記の綴り手”を生んでいった。
紀貫之は、そんな余波が広がるさなか、すでにどこか遠く、静かな場所へと消えていた。だが、彼が残した言葉の跡は、誰かの心の深みに確かに触れ、静かに問い続けていた。
“あなたは今日、何を綴りましたか”
終




