表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

第3章 柿本人麻呂

 

 夜の灯りが静かに瞬く、東京・赤坂のホール。その内部では、ある文学賞の授賞式が執り行われていた。壇上には、現代詩や短歌、俳句の受賞者が並び、胸を張って言葉の力を語っていた。招待席のひとつに、古代の風を纏った男が腰掛けていた。深い緋色の狩衣に、落ち着いた目元――柿本人麻呂。その姿は、時を超えてなお、言葉に生きる者として、まったく違和感がなかった。

 彼は、壇上の若き受賞者が詠んだ短歌に静かに耳を傾ける。

「手のひらで 消えたメッセージ 抱きしめて 返せぬ想い ただ星になる」

「…たしかに、これは歌である」

 人麻呂は目を伏せ、口の中で反芻するように呟いた。自身が生きた万葉の世では、恋も別れも死も、自然とともに詠まれた。だが今、都市の中でも人は同じように孤独に打ちひしがれ、言葉にすがって生きている。その姿が、たまらなく愛おしく思えた。

 彼は展示スペースに足を運ぶ。そこには歴代の受賞作品や詩人たちの言葉が、原稿用紙やデジタルパネルに並んでいた。だが、彼の足が止まったのは、壁に貼られた一枚の年表だった。そこに、小さく刻まれた文字を見つける。

「柿本人麻呂――万葉の歌聖」

 その説明の脇には、彼の代表歌が記されていた。

「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」

 人麻呂は静かに目を伏せた。

「千年の後も、なお我が歌を忘れぬか…。そのことの、いかにありがたきことか」

 だが、それだけでは終わらなかった。隣には、SNSで若者たちが現代語訳やパロディを投稿した例が、プリントアウトされて展示されていた。

「長い夜を 一人で過ごす Netflix 山鳥の尾は 知らぬまに消え」

 彼は目を丸くし、しばし絶句したのち、ふっと吹き出した。

「言葉の形は変われど、人の心はまことに同じか…」

 展示の一角には、現代の“和歌アプリ”を体験できるタブレットがあり、人麻呂はそっと指で画面を撫でた。テーマを選び、五・七・五・七・七のパーツを並べ替えて、即席の短歌を作るシステム。

「これは…まさに、歌の遊び、いや、歌の鍛錬なり」

 人麻呂はその場に腰を落ち着け、いくつもの画面を行き来しながら、人々が紡ぐ現代の言葉に耳を澄ませていた。恋、別れ、孤独、祈り、未来――どの歌にも、小さく灯る真心があった。

 やがて、夜が更け、ホールを出た人麻呂は、ビルの谷間からのぞく月を仰いだ。スマホで空を撮る若者の隣で、彼もまた、心に残る言の葉をひとつ、空に浮かべた。


 その瞬間、月の光がほんのりと強くなったように見えた。彼の姿は、静かに光の粒となり、夜空へと還っていく。

 残されたタブレットには、彼が詠んだ歌が自動保存されていた。開発者がそれに気づくのは、数日後のことである。

「これ、誰が詠んだんだ…? 名前、入ってない…でも、やたら完成度高いな」

 そう言いながら、その歌は“アプリ伝説の一句”としてひっそりと語り継がれていくことになる。

 終


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ