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第30章 壬生忠岑

 

 夕暮れの都心、豪華なホテルの最上階。シャンデリアがきらめき、白い花がふんだんに飾られたバンケットホールでは、今まさに結婚披露宴のクライマックスを迎えていた。ウェディングドレスの花嫁とタキシード姿の新郎が見つめ合い、スクリーンにはふたりの思い出の映像が流れている。

 そんななか、ホールの片隅にひとり佇む男がいた。目元に柔らかな哀しみを宿し、古雅な装束に身を包んだ人物――それは、壬生忠岑であった。

 彼はかつて、「有明の別れ」を歌に託したように、情の終わり、淡い未練を美として詠んだ歌人である。だが今、目の前にあるのは“始まりの光景”。未来を約束し合うふたりの姿、友人たちの歓声、親族の涙、すべてが希望に満ちていた。

「別れを詠みて生きた我に、祝福の場が似合うとは思わぬが…これはこれで、心が震えるものだな」

 彼の目には、遠く宮中で行われた祝宴の記憶が蘇っていた。檀の花、盃のまわし飲み、舞と楽がひとつとなった宴。しかし、今ここにあるものは、より自由で、より柔らかく、人々の“感情”が率直に表されている祝福の形だった。

 スピーチが始まった。新郎の親友が声を詰まらせながら語る。

「辛いとき、そばにいたのは君でした。支えあってきた時間が、今日という日に繋がっていると思うと…本当に、感無量です」

 その言葉に、忠岑は小さく目を伏せた。

「支え合うこと、手を取ること、それが生きるということか…」

 ほどなくして、新婦の父が挨拶に立ち、声を震わせながら娘への手紙を読み上げた。会場はしんと静まり、誰もがその一語一句を聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 忠岑はその時間に、かつての“別れの歌”とは異なる、別種の“涙”を見た。

「誓いの涙か…なるほど、これは美しい」

 宴の終わり、全員で手を取り合って歌われるバラード。照明が落ち、キャンドルの光に包まれた空間。そこには、平安の宮中にはなかった“人と人との距離の近さ”があった。

 彼は静かに一枚の短冊を取り出し、筆を滑らせる。



 彼はその短冊を、披露宴のゲストブックのページの中に、何気なく差し込んだ。まるで、祝福の証のように。

 数日後、その短冊は新婦の母によって発見される。

「これ、誰が書いてくれたのかしら?とても綺麗な和歌…まるで千年前からのお祝いみたい」

 それはアルバムの最初のページに、大切に貼り付けられた。新郎新婦はその後も何度も読み返し、そのたびに当日の灯りと涙を思い出すのだった。

 かつて“別れ”を知り尽くした歌人が、現代に降り立ち、祝福の場に立ち会ったその日――

 彼の心にもまた、新たな光が灯ったのだった。

 終


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