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第20章 元良親王

 

 早朝の下北沢。古着屋の軒先ではシャッターがゆっくり開き始め、コーヒースタンドからは香ばしい香りが漂ってくる。路地裏のライブハウスには、昨夜の名残のポスターがまだ貼られ、学生たちの笑い声がどこからか聞こえる。

 その小さな町に、やや浮いた姿の青年がいた。濃紺の直衣に身を包み、顔立ちは優美だが、どこか飄々とした気配を纏う――元良親王である。

 かつて、天皇の子として生まれながら、その奔放な性格と恋多き日々で知られた彼は、今この現代において、あえて“学生”のように街を歩いていた。

「天の子として生きねばならぬ、という定めから離れ、人としてこの世を見てみたい…それが叶うとは、なんとも面白いものだ」

 元良親王はリュックを背負い、大学の門をくぐった。ちょうど文化祭の準備期間で、サークルのブースや模擬店が立ち並び、学生たちが忙しそうに行き交っている。彼はとある講義にもぐり込む。テーマは「現代社会とアイデンティティ」。教授は語る。

「現代において、出自や肩書は多様で、固定されるものではありません。“自分がどう生きたいか”が問われる時代です」

 その言葉に、元良親王は大きく頷いた。

「我も、帝の子という衣を脱いで、こうして生きる“人”の道に触れることができた」

 その後、彼は大学の学生食堂で昼食をとり、書店で参考書を立ち読みし、午後はサークルの新歓イベントに混ざってボードゲームを楽しんだ。誰も彼が“元皇子”であることなど知らない。ただの「気さくな人」として、自然と輪の中にいた。

 夕方、彼はコンビニのバイトに励む男子学生の姿をガラス越しに見つめる。誰にも縛られず、自らの力で生きる姿に、深い感銘を受けた。

「身をつくしても 逢はむとぞ思ふ…そう詠んだ我が歌も、今や“逢う”こと以上に、“生きる術”が大切な世となったのだな」

 暮れなずむ道を歩きながら、彼は自販機の横で一息つき、手帳から一枚の紙を取り出して、ペンを走らせた。



 その短冊を彼は、大学の掲示板にそっと留めた。人知れず去っていく背に、誰も気づかない。だが数日後、その歌は「キャンパスの誰かの名言」としてSNSで話題になり、学生たちの心に静かに残っていく。

 ひとりの元皇子が、自分の“定め”を越え、現代の若者たちの一員として過ごした一日。そこには、何の威厳も特権もなかった。ただ、自由と好奇心、そして笑いと出会いがあった。

 それこそが、元良親王にとっての「現代の宝」であった。

 終


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