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第13章 陽成院

 

 春の風が吹き抜ける、皇居外苑。石畳の道を歩く人々のなかに、ひときわ静謐な気配を纏った青年がいた。薄桃色の狩衣に、金の装飾を施した冠。気品と儚さを併せ持つその佇まい――陽成院が、今この時代の東京に立っていた。

 彼は静かに、皇居の周囲を歩いていた。人々はジョギングをし、観光客が笑いながら写真を撮る。そのなかにあって、陽成院はどこか懐かしむように、だが少しの戸惑いも混じえながら、目を細めた。

「ここが…今もなお“帝”の住まう地か。されど、その姿も役目も、ずいぶん変わったようじゃな」

 かつて彼は、わずか八歳で天皇の位に就き、政治の荒波と権力闘争に巻き込まれた。激情のあまり退位させられ、“院”として生涯を送った。その日々には、誇りと苦悩と、そして孤独が常にあった。

 今、皇居のまわりには柵があり、人々はそこに神聖を感じつつも、それ以上を求めはしない。

「いまや帝は、心の象徴か。そは安らかなりしことなれど――少し、寂しくもあるな」

 彼はベンチに腰を下ろし、目の前の広場を行き交う親子連れや、春の陽気に浮かれる人々を眺めた。誰もが自由に笑い、涙し、別れ、また出会っていた。

 ふと、彼の心にある想いがよぎる。

「わが恋も、激情も、かの川のごとく深く流れ、ついには淵と化した。だが、それもまた、時代のひとつか」

 彼の代表歌――

「筑波嶺の 峰より落つる みなの川 戀ぞつもりて 淵となりぬる」

 その歌の情念を、今の時代に重ねたとき、彼は初めて“隔たり”のない天皇制を知ったような気がした。象徴という立場に生きる者。民と共に在る存在。自身のように激しさに引き裂かれることのない安寧。

「それもまた、よき進化であろう」

 陽成院はふと立ち上がり、皇居の森の方へと歩いていった。木々のざわめきに耳を傾けながら、小さな紙を取り出し、筆を走らせる。


 その歌を、皇居の外塀に立つ小さな掲示板にそっと貼り付けた。

 やがて、彼の姿は日差しのなかに滲み、歩道の緑のなかに吸い込まれるように消えていった。

 数日後、その短冊が見つかり、清掃員の手によって職員控室に届けられる。「綺麗な歌だな。貼っておくか」と壁に飾られたその短歌は、職員たちのあいだで密かに読み継がれていった。

 知らぬ間に、かつての“帝”の祈りが、現代の人々の心にも宿っていた。

 終


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