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第1章 天智天皇

 東京駅前の大通り。車の喧騒とビル風が交錯するその場所に、突如として朝服をまとったひとりの男が現れた。背筋を伸ばし、冠をいただく姿はどこか非現実的で、それでいてなぜか威厳が漂う。通行人のひとりがスマートフォンを落としかけ、隣の人が息を呑んだ。「…あれ、まさか…」というささやきが、次第に人々の輪を作っていく。

 その男こそ、天智天皇であった。

 かつては中大兄皇子として蘇我氏を打倒し、大化の改新を成し遂げた改革者。今また、千年を超えた時を跳び越え、現代の東京に降り立ったのである。

「ここが…都、なのか…?」

 彼は目を細めて辺りを見渡す。かつての大津宮とは似ても似つかぬ景色。鉄とガラスでできた高楼が天を突き、四方八方に人が流れていく。人々の手には小さな板が握られ、それに向かって話しかけたり、指を滑らせたりしていた。道を走る車は馬も牛も必要とせず、風のような速さで交差点をすり抜ける。

「民の動き、速し。されど…なにゆえ、このように多くの者が物を見ぬまま歩くのか?」

 近くのカフェのウィンドウに映る自分の姿を見て、天智天皇は深く息をつく。その姿は時を超えようとも、まさに帝の威を湛えていた。だが、今の世において「帝」とは、象徴としての存在――彼がいた時代とはまるで異なる。

 彼は人々の会話を耳にする。政治の話題、経済の動き、SNSで話題になっているという誰かのスキャンダル。地上のことは、もはや一部の者が知るだけのものではなかった。情報は瞬時に広まり、すべてが透明で、そして目まぐるしく変わっていく。

のりおきても、もはや枠ではないのか…。されど、民はこの世に順応し、笑みを忘れず歩む。これは、我らが祈りし未来の姿なのだろうか…」

 やがて彼は、皇居の方角へ向かって歩き出す。門の内へ入ることは叶わぬと悟りつつも、遠くからその佇まいを見つめた。警備員が怪訝そうにこちらを見ていたが、天智天皇は立ち止まり、ただ静かに語りかけた。

「帝とは、ただ位にあらず。人の心を繋ぎ、守るものなり。そは今も、変わらぬことか」

 彼の目に、皇居の森が映る。その静謐と、遠くで遊ぶ子どもたちの笑い声とが、時の隔たりを越えて胸に沁みる。彼がかつて築いた戸籍制度、律令体制、民のための統治。それらの痕跡が、たとえ姿を変えても、今に生きている。そう感じたとき、彼の表情に穏やかな笑みが浮かんだ。

 ふと、空を見上げる。春を迎えた空は高く、白い雲がゆるやかに流れていた。天智天皇は懐から筆を取り出すと、そっと紙に一首を認めた。


 書き終えたその瞬間、風がふわりと吹いた。彼の姿は、まるで朝靄のようにかき消えていく。通りかかったビジネスマンが「あれ、ここに誰かいたような…」と呟くが、誰もその姿を確かに見た者はいなかった。

 だが、紙だけは残されていた。そこには、確かに千年前の帝の想いが息づいていた。

 終


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