シデムシ令嬢の婚約破棄
「アイリーン・ジャスパー!君との婚約を破棄する!」
ここは王立学園のセレモニーホール。卒業記念パーティーの中で突然、私の婚約者のシュテファン・モンテスキュー伯爵令息が婚約破棄を宣言した。
「親同士の決めた婚約ですので、私の一存では決められません。婚約破棄をお望みでしたら、モンテスキュー伯爵の方から父のジャスパー辺境伯へお話を通してくださいませ」
無表情でシュテファンに言い返す。シュテファンの声が大きかったから、周囲から好奇心全開の目で見られている。
「うるさい!!俺はシデムシ令嬢と結婚して死にたくないんだよ!」
シデムシ令嬢というのは私に付けられたあだ名だ。
シデムシは死んだ動物にたかり死肉を食べる虫で、私の生まれ育った南部の辺境ではシデムシは不吉でも何でもない「ただの虫」なんだけど、ここ王都ではその習性からか「死を呼ぶ虫」と言われ、触るとその人の周りで死人が出ると言われている。
もちろん迷信だ。死肉を食べるだけで生きてる人間には無害だし、触っても死なないし、周囲の人が死ぬってどういう仕組みなの?と思う。
私が「シデムシ令嬢」と呼ばれるようになったのは、8歳の頃に開かれた王家主催のガーデンパーティーの時だ。
二歳年上の第二王子の婚約者を選ぶという目的があったようで、同世代の令嬢はほとんど呼ばれたらしい。普段は王都から遠く離れた辺境に住む私まで招待された。一応その頃にはシュテファンとの婚約が内定していたのだけど、第二王子に選ばれないことを確認してから正式に婚約しようということになっていた(らしい)。
ガーデンパーティー会場には同世代の令嬢たちだけでなく令息もちらほらいた。王都に住む貴族の子息なのか高位貴族の子息なのかはわからない。顔ももう覚えてないし。
着慣れないドレスを着て、座る場所を探してウロウロしていたら奥の方から悲鳴があがった。
何だろう?と好奇心の赴くまま悲鳴の上がった方に行くと、令息が震えてうずくまっている。しかし誰もその子に近寄ろうとしない。
「シデムシが…」
近くにいた令嬢がこぼした言葉で気づいた。うずくまっている令息の頭にシデムシが止まっているのだ。
王都でシデムシがどう思われているかも知らず、なるほど良家の子女は虫が苦手なんだなと考えた私は令息にトコトコと近寄り、頭の虫を掴んで庭の隅っこに運んで離した。
それ以来、私のあだ名は「シデムシ令嬢」だ。人助けしたはずなのに……。解せぬ。
ちなみにジャスパー辺境伯家ではあの時以降三人の死者が出ている。
一人目は私の母。もともと体が弱く、静養のために自然豊かな辺境に来て父と出会って結婚した。妊娠出産に耐えられる体ではないと言われたのに、母の強い希望で私を産んでからは起きている時よりも横になっている時の方が長かった。ガーデンパーティーから半年ほど経った時に眠るように亡くなった。シデムシのせいだと思う人は辺境にはいないのだけど、王都ではちょっとした噂になったようだ。
二人目は高祖父(祖父の祖父)。私が10歳の頃に亡くなった。老衰だ。100歳近くまで生きたんだから、死んだのはシデムシのせいではない。でもやっぱり噂ではシデムシのせいになっていた。
三人目は大叔父。辺境の森で狩りをしていた時に自分が仕掛けた罠にうっかり嵌って足を怪我してしまい、傷に菌が入って破傷風になって死んでしまった。もともとうっかりの多い人だったから、辺境では大叔父の死は「いつかやらかすと思ってた」なんて言われてたけど、やっぱり王都ではシデムシのせいという噂が流れていたようで……。自分の罠で死んでもシデムシのせいって何でもありなんだな。
そんなわけでジャスパー辺境伯家での死者は三人なんだけど、なぜか「祖母の弟の奥さん」の死も「母の従姉の嫁ぎ先の舅」の死も「叔父の奥さんの弟の奥さん」の死も全部私がシデムシを触ったせいになってた。
顔も見たことない他人だし『ジャスパー辺境伯家』とは関係ない人だし、そんなふうに辿ったら死人は普通に何人も出るよね!?それなのに結局、私がシデムシ触ったせいで10人くらい死者が出たことになっている。意味がわからない。
15歳になり王都の王立学園に入学して、友達作りがんばろうと思った私に立ちはだかったのはやっぱりシデムシだ。
普通であれば、国防を担う軍事力を持つ東西南北の辺境伯のうち自然豊かで実りの多い(つまりは金持ちの)南のジャスパー家の一人娘ともなれば、繋がりを持ちたいと思う貴族も多いし、筋肉ゴリラの父ではなくか弱い貴族令嬢だった母に似て容姿は整っていると自負している。
しかし同級生の令嬢は皆あのガーデンパーティーに参加しているから、私がシデムシを掴んだことも知っている。
入学当初は見た目と実家の持つ権力から近づいてくる人はいたものの、私が「シデムシ令嬢」だと知ると潮が引くように周囲に人がいなくなり、結局三年間ぼっちだった。仲良くなったら死ぬとでも思われてたのかな?死なないんだけどな。
子供の頃は仲が良かったシュテファンも私が婚約者だということは周囲に知られたくなかったらしく、近寄ろうとすると逃げられて話しかけることすらできなかった。
王立学園のクラス分けは学力別なので三年間Aクラスの私と三年間Cクラスのシュテファンでは授業の接点もなかったし、勉強はできないけど剣術では学園内でトップクラスの腕を持つ彼は私と違って友達も多く人気者だった。どこだかの男爵令嬢と仲良さそうにしている姿を何度も見たし、『シデムシ令嬢だから』というのは後付けの理由で本当の理由はそっちなんじゃないかな。
「シュテファンってシデムシ令嬢の婚約者だったの?」
なんて声がちらほら聞こえてくる。
「シデムシ令嬢の婚約者だなんて気の毒」
「無理だよな」
「シュテファンかわいそう」
という言葉も。なるほど、シュテファンは公の場で婚約破棄を宣言する必要があったのか。
私は成績も優秀で問題も起こしていない。私に近寄る人はいないからシュテファン以外の男性と仲良くなったりもしていない。私には何も瑕疵はなく婚約を破棄する理由がないわけだ。
ただ「シデムシ令嬢との婚約を破棄したい」というシュテファンは多くの人の同情を集めるのだろう。
その流れで婚約破棄に持っていくつもりだな。
ただこの婚約は南部で大きな力を持つジャスパー辺境伯家と結びつきたいモンテスキュー伯爵家の強い希望で成立しているし、三男であるシュテファンはジャスパー辺境伯に婿入りすることになっていたから、婚約破棄して本当にいいの?とは思う。モンテスキュー伯爵が許さないんじゃないのかな。
いやそれよりもどうやってこの騒ぎを抑えたらいいんだろう……と思案していたら、私の肩にポンと手が置かれた。
「婚約破棄、するの?」
華やかなオーラ漂うこの人は!
「ロベール様!」
サッとカーテシーを取る
「卒業したとはいえ、まだ学園内だから普通にして。ここにいる間は君たちの同級生でしかないからね。」
とにっこり笑う。ミルクティー色の髪と王家の証である金色の瞳を持つ、この国の第三王子ロベール様の笑顔からは高貴なオーラがダダ漏れている。
ロベール様とは三年間ずっと一緒のクラスだった。私がこの学園にいた三年間で一番喋った時間が長いのはロベール様だ。
でもそれは仲が良いというわけじゃなく、ロベール様は第三王子という身分から誰とでも「平等に」接するからだ。みんなが遠巻きにする私にも話しかけてくれる。
体調不良で休んだ日のノートもロベール様が「必要でしょ?」と貸してくれた。私には貸してくれる友人いないからね。
「はい!婚約破棄をしたいと思っています!」
シュテファンが勢い込んで言う。
「君には聞いてない」
しかしロベール様はバッサリと冷たい声で切り捨てた。
「アイリーン嬢はどう思っている?」
金色の瞳が優しく見つめてくる。
「辺境伯家に婿入りするという話を蹴ってまで、シュテファン様は私とは一緒になりたくないということですよね……」
今そのことに気付いたのかシュテファンが「しまった」という顔をしている。安定した婿入り先だったのにね。これからどうするんだろうね。うちよりいい婿入り先なんてないと思うけど。
「ただ私にもシュテファン様にも婚約破棄が妥当といえる事由はないですし、婚約解消という方向に進めて行ければと思っております」
「ふむ……このような公の場で婚約破棄を宣言して君を傷付けたのは、君の方から婚約破棄できる事由になると思うけどね。解消でいいの?」
「はい。婚約破棄ともなりますとどちらが悪いのかはっきりさせなければなりませんし、手続きだの慰謝料だの色々と面倒ですので、婚約解消でお互いにペナルティーなしというのが良いかと」
「なるほど。それでは婚約解消がスムーズに進むよう、私も口添えしよう」
「いえ、ロベール様のお手を煩わせるまでもないと思いますので……」
って、そんな上手くはいかなかった。
私の話を聞いたお父様はすぐにモンテスキュー伯爵に連絡したが、モンテスキュー伯爵が飛んできて平身低頭謝ってきた。ついでにシュテファンも相当伯爵に叱られたのか謝ってきた。いや遅い。何を今さら。
婚約解消の申し出を伯爵たちが謝り倒しながらのらりくらりとかわし続けて一ヶ月、二ヶ月……
このまま時が過ぎてもこちらの意思は変わらないというのに三ヶ月、四ヶ月……
どうしたものかと悩んで五ヶ月、六ヶ月……
卒業パーティーから半年経った頃、突然伯爵家から「婚約解消を受け入れる」という連絡が来た。向こうの気が変わらないうちにと素早く書類を交わし、正式に婚約解消が成立した。長かった……。
そして婚約解消が成立するやいなや、ジャスパー辺境伯家に婿入りを望むたくさんの家からの釣書が届く。
しかしお父様も私もしばらく「婚約」については考えたくない。日に日に積み上がっていく釣書を見ないようにしながら、私は領地運営についてお父様から教わっていった。隣国との国境の警備も辺境の重要な仕事だが、あいにく私にはお父様やお祖父様のような剣の才能はない。そのうえお母様ほどではないけれど、どちらかというと体は弱い。
実際に軍を率いることができない私がどのようにこの領地を治めるか、それが頭の痛いところだ。
婚約解消のごたごたが落ち着いてみると、なぜ突然、伯爵家が婚約解消を受け入れたのかが不思議だったのだが、どうやらさる高貴な方からの圧力があったとか。
高貴な方とはあの金色の瞳を持つ方なのかもしれないな…なんて考えてはいけなかったのかもしれない。かの方が辺境を訪問するという連絡が来た。
「一体なぜ、うちに第三王子が?」
とお父様に言うと
「第三王子は王国軍に所属していて、ゆくゆくは軍隊長になるんだろうし、そうなった時の参考として辺境の警備体制とか訓練方法とか知りたいんじゃないのかなぁ」
と呑気に答える。
「訪問の目的とか書いてなかったんですか?その手紙に」
「ん〜書いてないんだよなぁ。でも王子の訪問を断るわけにもいかないし」
いつ到着して何日滞在するのかもわからないまま、質実剛健を地で行く我が家を王族の訪問に備えて飾り立てる。
そうこうしてるうちにロベール様が我が家に到着した。
ロベール様に会うのはあの卒業パーティー以来半年ぶりだが、見た目がずいぶんと様変わりしていた。服の上からでもわかるほどに筋肉が付き、軍人らしい逞しい体つきになっている。学園にいた頃は柔らかな微笑みを絶やさなかった顔も凛々しく男らしく引き締まった表情で、一瞬私と目があって微笑まれたものの、挨拶もそこそこにお父様との面談を希望された。
ただの表敬訪問かと思っていたのに、どうやら違うらしい。何かが起きてうちの軍隊を動員したいとか、あるいは隣国がきな臭くなっているとか、なにか良くないことを知らせに来たのだろうか……
しばらくしてお父様に呼ばれ、応接室に入る。
「アイリーンにも話があるそうだ」
「庭園を案内していただけますか?」
庭園?うちの庭はほぼ家庭菜園でお見せできるようなものは何も…と逡巡していたがお父様とロベール様の無言の圧力で頷くことしかできなかった。
仕方なく庭の方に向かって二人で歩いていると
「今回ここには縁談を持ってきたんだ」
「縁談……」
「ここ数年、いくつか国を隔てた南の方が騒がしいのは知ってる?」
「はい。父から聞いています」
南方で侵略戦争が起きているらしいと。
「差し迫った問題ではないけれど、戦火がこちらの方に広がる可能性もないとは言えない」
「そうですね」
「もしこの国に何かあった場合、辺境伯は最前線に立ち、軍を率いて戦うことになるだろう。しかしそれが十数年後であったとしたら?君が辺境伯を継いだ時には辺境軍を統率する人間が必要になるよね」
そう。そこが頭の痛い問題だった。二十数年前の隣国との戦争の際に武勲を挙げたモンテスキュー伯爵の息子で、子供の頃から剣の英才教育を受けてきたシュテファンが私の婚約者になったのはそういう理由であり、婚約解消がなかなか進まなかったのもこの辺境からほど近いモンテスキュー伯爵家との関係が拗れると辺境の有事の際に支援が求められなくなるという懸念があったからだ。
「今回持ってきた縁談は、その辺りの問題も解消できると考えてる」
「それは!願ってもないことです!武勇で名高い王国軍に所属していらっしゃる方を紹介してくださるということでしょうか」
「そうだよ。今はまだ若くて力不足だけど、辺境伯やここの軍で鍛えてもらえれば辺境伯が引退を考える頃には軍を率いるだけの力をつけることを約束する」
「それでしたら私に異論はありませんが、父は何と言っていましたか?」
「君の気持ちを尊重したいと言っていた」
「ロベール様が薦めてくださる方でしたら、なんの問題もないかと」
「その男の身分とか、どんな顔でどんな性格なのかとか気にならないの?」
「辺境は実力が物を言うところですので、身分なんて関係ないです。子爵家の四男だろうが平民だろうがどんとこいです。あの、逆に私は『シデムシ令嬢』ですけれど、その方は私がそう呼ばれていることをご存知なのでしょうか。そのような女の元に婿入りすることに否やはないのでしょうか」
そう問うと、ロベール様は立ち止まり、私に向き合った。
「君がそう呼ばれることになったパーティーの日、頭にシデムシがくっついた男のことは覚えている?」
「あー!覚えて……ないです。シデムシしか目に入ってませんでした。あ!もしかしてその方なのですか?」
「そうだよ。君に救ってもらった者が、君との結婚を望んでいる」
「いえ、救ったと言っても……命を救ったとかならわかりますけど、ただ頭についていた虫を取っただけで……」
「この辺境ではシデムシもただの虫なんだろうけど、王都では忌み嫌われる虫だからね。誰も触れない、触ろうとしない虫に君が触れたことで、本当は私が受けるはずだった蔑称を君が受けることになってしまい、君の人生を捻じ曲げてしまった。ずっと申し訳ないと思ってたんだ」
途中で何か聞こえてはいけない単語が聞こえた気がした
「え、私が受けるはず……って」
「君の縁談の相手は私だよ」
いやいやいやいや待って待って待って待って
「君が『シデムシ令嬢』ならば、シデムシが頭についた私は『シデムシ王子』だね。お似合いだと思わない?」
ロベール様が笑顔で私を見ている。
いやいやいやいや待って待って待って待って無理無理無理無理
頭が真っ白になる。なに言ってるのこの人。
なにも言えず棒立ちになった私の目の前で、ロベール様が跪いた。
「私を救ってくれたあの日から、ずっと君のことが気になっていた。学園にいた三年間ずっと君のことを見ていた。誰に何と言われても自分の足でしっかりと立つ君が好きになった。あの日私の頭にシデムシが止まったことは公式には『なかったこと』になっていて、君に謝罪をすることも表立って君を庇うこともできなくて本当に申し訳ないと思っている」
そう言って頭を下げた。王族が頭を下げるなんてあってはならないことだ、やめてくださいと言いたかったが言葉が出ない。というかもう、息ができない。苦しい。
「あのパーティーで婚約解消の話が出た時、私の心は大きく跳ねた。あれからすぐ王国軍に入り体と心を鍛えて、辺境のこの地で君の隣に立てるように努力した。まだ力は足りないが、君とこの辺境を守れるような男になる。だから私の気持ちを受け入れてもらえないだろうか」
すっと手を出されたけれど、その手をとる前に私は気を失って倒れた。
ロベール様がなぜアイリーンに対して学園時代に何もできなかったかは上手く織り込めなかったので、王子様目線も書きたいです
2024/3/26
王子様視点を投稿しました
「シデムシ王子の初恋と婚約」