ふたりは秘密をひた隠しにして契約を結ぶ
空腹で意識が遠のく。
職業斡旋所の雑然とした待合で順番札を握りしめ、リデル・バノッフイは歯を食いしばった。
仕事を得ることができても、給金は八割、手にした途端に徴収される。札付きの身は辛い。
ああ、でも、今日は何か食べたい……。
あらゆる魔法を習得したというのに、リデルは終身雇用されないと、そのほとんどが使えない。食材調達くらい簡単なはずなのに。
リデルは、古式ゆかしい魔女の服装だと師匠から贈られた衣装をまとっているが、どこに行ってもかなり浮く。
つば広で先の曲がった黒の三角帽子、視力矯正の厚い丸眼鏡、引きずりそうな黒い外套、ほうき型の杖。
そのとき、受付の方向から求人申し込みする青年の声が聞こえてきた。
「終身雇用させてくれる、優秀な魔女か魔道師を探してる。オレが死ぬまでの契約で。あ、伽の相手もできて、……」
青年の条件を告げる声は続いていたが、魔女を終身雇用! と、リデルの頭の中で言葉は燦然と輝いて渦巻き鳴り響き、他は聴こえていなかった。
切羽詰まったリデルに、渡りに船のような好機!
手にしていた順番待ちの整理券を放棄し、椅子から立ち上がる。リデルは青年の後を追いかけて斡旋所から飛び出した。
「あ、ぁ、あのぉ、終身雇用できる魔女がお入用ですか?」
青年は、ピクっと耳を反応させたかと思うと振り向き、リデルの手をガッチリと握った。
「あ、お前、斡旋所にいたな。聞いてたんなら、話は早い。ちょっと来い!」
逃すまいとしているのは、彼のほうも同じらしい。
銀灰の髪、琥珀色の眼、大きくて温かな手。リデルは、ホワっと、心に灯りが点ったように感じ、こっそり淡く手を握り返していた。
引っ張られてヨロケながらボロ宿屋に連れ込まれ、卓を挟み向かい合って椅子に座る。
「一通りの魔法が使えるんだな?」
確認するように訊かれた。重要なのは、その部分らしい。
「は、はい! バッチリです!」
終身雇用されれば、という言葉は飲み込んでおいた。魔法の腕を試されたら一巻の終わりだ。まだ終身雇用前だから習得した魔法のほとんどが使えない。
「どんな魔法が使えるんだ?」
「わわわ、わたしはですね……」
なんと説明していいやらわからずジタバタと慌てて目が泳ぐ。なんでも使えるはずだが、今は、なんにも使えないに等しい。
「まぁいいか。条件を満たしてないと、契約は成立しないらしいから急いで試してみよう」
ボソボソいいながら、青年は紙をだしてくる。
名前書いて、と、所定の欄を示された。
レヴィン・ジーム、と、彼の名は既に書いてある。
「レヴィンさま……」
「そう」
ままよ、と、『リデル・バノッフイ』。震える手で署名した。
とにかく焦っている。借金に気づかれて色々詮索される前に、契約を済ませてしまいたい。
「お前が規定を満たす魔女なら、自動的にオレは領主。お前は領主お抱えの魔女、ってことになる」
「ダダダダメだったら?」
「お前の名前が消えるだけだ。オレは別の誰かを探す……、って言っても時間切れか」
「時間切れ?」
リデルの不思議そうな声に、レヴィンは片方の口の端を軽く歪めて笑った。
「じゃあ、やってみるぞ?」
印鑑のようなものを取り出し、レヴィンは、ふたりの名前に掛かるように押しつける。
パワワワっと、契約書から光がほとばしった。光は、ふたりを包み、しばらくキラキラしていたが紙へと集約するように戻り、契約完了、と、声が響き渡る。
「あれ? ちゃんと契約できた。ってことは、お前、優秀な魔女なんだな?」
成功したのに、全く信用していない表情だ。
「まぁ、助かったよ。夕方までに領主になれなかったら娼館に売られるところだった」
それが避けられただけで充分、と、笑みを浮かべている。
「わたし終身雇用されたのよね? これで魔法は完璧だわっ!」
リデルはレヴィンに少し遅れ、歓喜して叫んだ。
「あっ、確かに高級そうな衣装になったな。だが、さすがに化粧が濃すぎるぞ」
「え? あ、そんなばかな?」
鏡を取り出してみるとケバい化粧顔になってる。長い巻き毛の金髪は、結い上げられてヘンな形だ。貴族のような高価そうな衣装を着ていた。水色の瞳は、困惑に揺れている。
「きゃあ、なにこれ!」
必死でゴシゴシと化粧を魔法で落とし、すっぴんに。長い巻髪も解いて下ろした。
はぁはぁ。
息が乱れてしまう。魔法が解禁になっても、ポンコツなままのようだ。
「衣装も、さっきまでのほうが魔女っぽかったな」
「あ、では、お好みに戻します」
古式ゆかしい魔女の帽子と、ほうきの杖と、三角帽子。
「あれ? 眼鏡は?」
「魔法が自在になったので、視力バッチリです!」
「あー、可愛かったんだけどな」
「これがですか?」
厚底の丸眼鏡も戻した。
「そうそう」
結局元の服装だ。ただ前は厚底眼鏡でも視界は悪かったのだが、今はちゃんと見えている。よくよく見れば、レヴィンは頗る美形な青年だ。
「ああああっ!」
不意に、レヴィンはリデルを指差し声を上げた。琥珀の眼が瞠目している。
「お前! 借金を隠していたな? 札付きじゃないか!」
領主になり、お抱えにしたことでリデルの状況を把握できたらしく、叫んでからレヴィンは絶句している。
「あああ、ごめんなさい、ごめんなさい! もう、餓死寸前だったの! 終身雇用じゃないと魔法が自由に使えないの!」
リデルは必死で懇願する口調で平謝りだ。
「まぁ、いいか。オレも借金逃れでの契約だしな。ところで借金、いくら?」
「分かりません。お金持ちの日雇い仕事で、つ、壺を割ってしまってぇ。金額がおおきすぎて把握できないの」
「ええええっ! どのくらい徴収されるんだ?」
「手にした金額の八割」
「八割? 暴利にもほどがあるぞ? どこの調停屋だ? それ詐欺だぞ?」
「ひぇぇぇ、だってネルタック男爵さまの、お屋敷ですよぉ? それに、調停屋が不正するなんて考えられなくないですか?」
蒼白になったまま、思案顔のレヴィンを不安な視線で見詰める。
「良し。わかった! お前の給料は、月に銅貨三枚だ!」
レヴィンはおもむろに告げた。
「ひゃあ、そんなバカな? 借金返済できないし、食べることもできませんんっ!」
「そうだろ? 借金は、合法的に踏み倒そうぜ」
「は?」
リデルは息を飲んだ。
確かに、良い考えかも?
入金するたびに自動徴収だが、金を手にしなければ返済はされない。札付きにされれば催促はないので入金がなければ取り立ては不可能になる。
「食い物や、必要なものは全部オレが買ってやる。だから、なんでもちゃんと言うんだぞ? 足りないものがあって魔法が発動しませんでした、なんていうのは冗談じゃないからな?」
「わわ、わかりました。ちゃんといいます。何から何まで」
買い物の楽しみはなくなるが背に腹はかえられない。
「そんな金額の借金の札をつけるなんて。不正の匂いがぷんぷんする」
レヴィンは何やら懐疑的な視線と表情だ。
「それに、そのくらいの壺、どうして復活させられなかっんだ?」
椅子に座ったまま、身体を前後に揺らし、思案顔でレヴィンは訊く。
契約できたからにはリデルが魔女としての実力を備えている、という大前提でだろうがレヴィンは不思議そうに訊いてきた。
「はぁ、それが、全く魔法が効かなくて。壊れるためにできてるみたいな」
終身雇用されていなかったリデルとしては、魔法の大半が使えないので特に疑問にも思わず、自分の失態だと信じて疑わなかった。
「それだ! やっぱり誰かが何か企んでる」
「は?」
「お前、嵌められたんだよ。割れて元に戻せない超高級壺だったんだろう」
「ひぇぇぇ、そうなの? 酷ぃぃっ」
「まぁ、お前が気づけないほど、巧妙な罠がしかけてあったなら仕方ないな」
わざわざポンコツを雇っては私腹を肥やす……、ということのようだ。でも、調停屋が不正するのは難しい、というか本来不可能なはず。そこにも、何か仕掛けがありそうだ。
などと話している間に、契約書に赤い文字が浮かび上がっていた。
「あ、契約書、なんかヘンです!」
リデルの言葉で、ふたりして契約書を覗き込む。
「なになに……契約おめでとう。これで領主の呪いも受け継げたはずだよ。検討を祈る。良き統治も」
レヴィンが赤文字を読み上げた。
え? 呪い?
「なななな何が、変わったんです? どんな呪いが?」
「あー、小さい文字が更にでてきた。呪いを解くまで、領主は誰にも触れないってさ」
契約成立した後で、じわじわと新条項が増えるなんて!
レヴィンは領主になった代わりに呪いを受けてしまった。雇った優秀な魔女に呪いを解いてもらえ、ということらしい。
「ひゃぁぁぁ! それで、魔法の使い手が必要だったの?」
リデルは悲鳴のように声を上げた。
「あああ、話がうますぎるとは思ったが。呪いかぁぁ」
触れなくなるのに、わざわざ夜伽のできる者を選べと? などと、レヴィンは頭を抱えながらぼそぼそ呟いている。
「は? 夜伽? そんなお勤めが?」
夜伽まで勤めさせる終身雇用なのに、呪いで触れない?
色々と考えが渦巻きすぎ、今更のようにリデルは焦った。
「触りたければ、必死で呪いを解けってことだろう?」
頭を抱えたままレヴィンは言い放つ。
「はあ。この呪いは、元の領主さまと同じ方法でなら、わたしでも解けますが……」
一応、呪いはとけますよ~、ということは、告げてみた。
焦りながらではあるが、リデルは魔法のことに関してはそれなり冷静に対処できるようになっている。
この契約書と同じでよければ作り方は簡単だ。
「ああ、それは却下。解くなら別の方法だ。人に迷惑かけない形を探してくれ。でも、ま、呪いが掛かっていても、いいよ。オレはあまり困らない」
随分、困りまくっていたはずのレヴィンだが、なぜだか不意にそんな風に呟いた。
え? 良くない、のでは? もう手を握ってもらえない、ってことよね? あの、安心感を与えてくれた手の感触……。
リデルは、宿屋に連れ込まれたときに、繋がれた手の感触を思い出して胸が一杯になっている。
「えええ、だめです、そんなの! わたしは困ります!」
「は? なんで、お前がそんなに焦るんだ?」
「あああ、だって! また手を繋いでほしいの。とても嬉しくて、温かくて、救われたから!」
泣きそうな表情でリデルは叫ぶように訴える。
「あ、そう。じゃあ、頑張れ。期待しないで待ってる」
終身契約できたのに、レヴィンはリデルの魔法の力に懐疑的なままだ。
「そうか! 呪い、解けば良いんですよね? わたし頑張ります!」
リデルは希望を得たように決意する。
「まずは腹ごしらえでもするか。契約祝いの金みたいだ」
笑いながら、レヴィンは話題を切り換えた。
契約書の隣に革袋が現れている。大きな袋ではないが金貨が詰まっているようだ。
「ああ、そうだ、わたし空腹でした。凄まじく空腹ですぅ」
「そうだろうな。そんな札つけられてたら死ぬぞ? ま、契約祝いといこうぜ」
レヴィンはリデルへと手を差し出した後で、呪いを思いだしたのか慌てて引っ込める。
とはいえ呪いがどんなものか、ふたりは知るよしもなかった。