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こまったさんのサンドイッチ

 私は何度も何度も深呼吸した。できることなら先送りにしたい。全てを忘れてふて寝したい。あるだけの麦チョコを食べ添い寝ASMRを聴き。種田山頭火。

 だが、この件だけは絶対に先送りできない。どのみちろくな目に遭わないからだ。

 私はアイコンをかちかちダブルクリックし、バーチャルオフィスアプリを立ち上げた。

 マネージャの弥益やますさんは……在席中。メダル型のアイコン(飼ってる猫の写真だ)がブースにある。私のアイコンをドラッグして近づけると、反応があった。


「ダフネさん、こんにちは。こちらにいらっしゃるの珍しいですね。何かありました?」

「や、その、あっ……」

「えーっと、ビデオ通話に切り替えますね」


 私が口ごもった瞬間、弥益さんはあうんの呼吸で場をつないでくれた。こういう人がマネージャでよかった。


 ウインドウに出現したのは、ゆるゆる巻き髪にとろとろニットにふわふわメイクにぷりぷりジェルネイルの美人さん。背景はなんか世帯年収二千万って感じの吹き抜け付きリビング。あまりにも光そのもので、どうしてこんな人がVのマネージャなんかやってるのかさっぱり分からない。


「お話遮っちゃってすみません」

「やっその、こちらこそ、え、あの、ラインつながらなくて……」

「え? あー! ごめんなさい! いつの間に!」


 弥益さんは手を口に当てて、ラインストーンを星座っぽく並べたジェルネイルが宇宙みたいできれい。


「子供が持ってっちゃってました! ああーもう……すみませんすみません! 最近TikTok覚えちゃって」

「はは。大変すね」

「やーもうほんと油断も隙もなくて。こまったさんのサンドイッチですよ」

「そう、あっその、ええと、てぃ、TikTokのことで、あの」


 あ、これはやばい、がまんしろ、やばいやばいやばい。


「ふんすんすんすん」


 チック出ちゃった。もう嫌だ。


「何かあったんですね。確認してみます」


 弥益さんは私のチックをいじることも気まずそうに無視することもない。ちゃんとまっこうから受け止めてくれる。どうやったらこんな人間になれるんだろう。


「そう君! ママのケータイ返してー!」


 利発そうな男の子が走ってきて、スマホを弥益さんに返した。なんて聞き分けの良いお子さんなんだ。

 弥益さんはスマホをしばらくいじって、どうやら今回の火元にたどり着いたらしく、「あー……」みたいなことを言った。


「これのことですか?」


 弥益さんのスマホの画面には、月桂樹が丘ダフネが映っていた。

 私ではない。

 平日昼のショッピングモールに出現し、静かなカフェで大騒ぎした、生身の月桂樹が丘ダフネだ。



『くたばりあそばせおらァ!』



 叫ぶダフネ、揺れるどうぶつの森のマイバッグ、見切れている私。



「ふんすんすんすん」


 チックも止まらんわそりゃ。


「バズってYoutubeとtwitterに輸入されてまたバズってますね」

「はい……」


 バズったコンテンツの三角貿易で数字を稼ぐアカウントあるよね。あれに補足されたらしい。


「まず最初にはっきりさせておきたいんですけど」


 弥益さんはジェルネイルでくちびるをなぞりながら言った。ものすごい速度で考えごとをしながら同時に他人と喋れる人なのだ。


「牛久さんにはなんの責任もありません。それは言っておきますね」

「ありがとうございます」


 違うんです、あれは私のアバターがリアル受肉した姿なんです。などと言えるわけがない。


「と言っても、牛久さんは気にしちゃうでしょうけどね。何を伝えたいかというと、この件に関連してどんなことがあっても私たちがバックアップします、ということです」


 弥益さんはにっこりしたあと、顔をきゅっと引き締めた。


「では、次ですね。十五時間も気づかず、ご連絡いただけるまで放置してしまって申し訳ありません」

「や、いやそれは休業日挟んでましたから……」

「関連部署をつっついておきます。改善後に業務フローを共有させますね」


 頼もしすぎる。好きです。


「それから、反応をざっと見ましたけど、否定的なものばかりでしたね」

「ですよね……」


 どこもかしこも、マナーの悪いファンが猖獗を極めるV業界ってほんとなんなの? ぐらいのトーンだ。月桂樹が丘ダフネも運営もファンをコントロールしろよ。とかなんとか、無茶なことも言われている。


「牛久さんは、この動画について配信・SNS上で触れないようにお願いします。ウチの公式からはファンのマナーについて声明文を出しますね」

「あっのっ、えと、ふんすんすんすん、配信、どうしたらいいでしょう」

「…………休止が、望ましいかと」


 絞り出すような沈痛な一言の、その口調と表情で、辛いは辛いけどなんだかすこし浮かばれた気分にはなった。すくなくともここに一人、味方がいるのだと思えた。


「じゃ、もう、じゅ、10万耐久、リスケですね」


 私がひきつり笑いでそう言うと、弥益さんが即座に青ざめた。


「それは、その」


 全身が冷たくなって、歯茎がしびれた。嫌な予感がして、私はブラウザを立ち上げて自分のチャンネルにアクセスした。



 登録者数、10.6万人。



「ごめっ、ごめんなさい、やっばあはは、気まずいですよね、切ります、もう切ります」

「牛久さ――」


 私はPCの電源を落としてデスクに突っ伏した。


「きついなーこれきっついぞ」

 

 どうすればみんなに喜んでもらえるかって、流行ってるものものかたっぱしから履修して話題に出したり、使いやすそうなフレーズ探したり、けっこう無理して箱企画に顔を出したり、けっこう無理して遠出して雑談のネタ探したり、エゴサしていちいち一喜一憂して、登録者数の伸びの鈍化に泣いて、ショート動画でちょっとハネてまたぐんぐん伸びてやっぱり泣いて、口じゃ余生なんて言っておきながら、どうやら、けっこう……本気でVやってたんだなって、こんなことで気づきたくなかった。

 

「うおおおおおおこれはきついな想定よりきつい」


 マイクラでトラップタワーをふっとばし、RUSTで裏作業中の同期を撃ち殺し、真顔で冗談を言ったらとんでもない拡大解釈で荒れに荒れ、これまでいくつか炎上は経験してきたけど、かつてなく、つらい。

 なんでこんなにしんどいのかわけわかんないぐらいしんどい。PMS? それはそう。でもそれだけじゃなくて……だめだ、頭の中で自分に説明することさえできない。



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