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津田さん

 月桂樹が丘ダフネがリアル受肉して一週間。

 その間、何が起きたかと言えば……とくに何もなかった。

 ダフネはすんなりと我が家になじんだ。客用の寝具を空き部屋に持ち込んで寝泊りしている。欲しがったのは、古いスイッチと余ってるモニタだけ。設置してあげたらフィットボクシングをはじめた。

 自分が何者かもよく分かっていないのに、どんな気持ちで有酸素運動に取り組んでいるのだろうか。我がことながら……我がこと? ともかく、ダフネは謎に満ちている。


 私はといえば、月桂樹が丘ダフネの魂であることを除けば、なんの謎も魅力もないただの地方都市実家暮らしアラサーフリーターだ。


 クソみたいに混む国道をたらたら走って、草とソーラーパネルの海の合間に浮かぶ小島みたいな、朽ちかけのコンテナに囲まれた駐車場に車を停めて、徒歩十五分。

 国道沿いのショッピングモールが私の職場だ。

 実家に戻ってパートを見つけてはや三年、正社員登用をちらつかされながら、私はずるずるとこのグロッサリーで働いている。


 今日は開店までの品出し短時間。お客さんと絡まなくていいし、けっこういい運動になって一日をすがすがしく過ごせるので好きだ。


 先入れ先出しで粛々とやっていく。自炊しないから一生縁がなさそうなスパイスとか、使途が想像できない調味料とかを棚に詰めていく。

 パートがひとり欠勤で、一時間の残業をお願いされた。べつに珍しいことじゃない。都合のいい扱いを受けるのには慣れてるので二つ返事だ。今日やることないし。

 

 レジを開けて、試食販売を仕込んで、お客さんも来ないしやることないからなんかやってる感じで店内をふらふらする。


「いらっしゃいませー」


 家族連れのお客さんが入ってきたので、在庫チェックのふりをしながら声を上げた。


「あれ?」


 ちっちゃい男の子と手をつないだ女性が、私を見て声を上げた。


「え? 牛久さん?」


 誰?


「はい」


 私はよくわかんないながら愛想笑いを向けた。同年代、すっぴん、ひとつ縛り、誰だか分からん。


「え牛久さんじゃん! 覚えてる? わたし津田! 津田萌里!」

「お……あ……あー、あーあーあーあー、津田さん!」


 小中いっしょだった子だ。何度か同じクラスになったけどグループ違うから喋ったことはない。

 津田さんが英語の発音めっちゃよくて、男子にばかにされていたことを急激に思い出した。まじで男子くそだな……と本気でむなくそ悪かったから記憶に残っていたようだ。


「えー牛久さん懐かしい! インスタやめちゃったからどうしたのってずっと思ってた!」

「いやーまあ、その、ね」


 地元に残った知り合いがすごいスピードで結婚したりお子さん授かったりして、息子がお風呂ではしゃいでる動画なんぞストーリーにばしばし上げてるの見て怖くてやめた。インターネットに対するかまえが別の惑星ぐらい違う。だめでしょインターネットに息子のちんちん上げたら。


「ここで働いてたんだ! 知らなかったなー、あんまり来ないから。ねえ今日何時まで?」

「や、もう上がるけど」

「いいじゃん! むさしの森行こむさしの森、パンケーキ食べよふわふわのやつ!」


 距離の詰め方が近接職だな津田さん。


「真司、二時間ぐらい颶煉ぐれんのこと見ててくれる?」

「うん。ぐーちゃんマイクラの見に行こ」


 ぐーちゃんが私を見上げてにやりと笑った。


「おれねーネザライトの剣持ってる。それでヒカキンのスキンにしてる」


 そうかい、そりゃすごい。私はぶいばーす鯖のトラップタワーを修復不可能なぐらいふっとばしてぼろっくそに炎上したことがあるぞ。


「お姉ちゃんはエリトラ三つ持ってるよ」


 私はにっこりして言った。


「がち? すげー。ヒカキンよりすげー」


 最大級の賛辞じゃん、嬉しい。ありがとねぐーちゃん。


「ウィザー倒した? おれはねー今度ノアとやる」

「ぐーちゃんほら。消しゴム買うんでしょ消しゴム。マイクラの」


 ぐーちゃんはまだ私と話したそうにしていたが、ぐいぐい引っ張られて去っていった。


「十分ぐらいで上がるから」

「じゃあむさしの森で待ってるね」


 津田さんはうれしそうに去っていった。

 まあ、どうせ帰っても二度寝するだけだ。たまには他人とのおしゃべりも悪くなかろう。

 悪くないっていうか、けっこうただちに浮足立ってる感じするな。あれ? 意外と楽しみになってきてる?



 タイムカード切って着替えてむさしの森におもむく。入ったことはないし、リコッタパンケーキを食べたいと生きてて一度も思ったことがない。ごちゃごちゃ言ってるけどしょせんはパンケーキでしょ? という侮りが私の中にはある。

 そういう侮りでタピオカも地球グミもオートミールも無視してきた。とうとう向き合うときが来たのだ。


 ゆとりの空間って感じの店におずおず入り、すかさず出現した店員さんになんか「あっえっ待ち合わせ」とどもり、窓際のソファ席に案内される。

 津田さんは大昔のiPhoneから顔を上げてうれしそうににこにこした。


「ねーここ初めて入ったんだけどめっちゃ高くない? びっくりしちゃった」

「入ったことなかったの?」


 それにびっくりだよ。


「うんなかった。でも久しぶりに牛久さんだしと思って」

「あ、そう? へへ……なんかどうも」


 そうだった、こういう子だった。中学生が英語の発音めっちゃよくてほかの女子に嫌われないのってなかなか難事なんだけど、この人懐っこさでうまいことやっていたのだ。

 当時の私はめだかボックスを推すのに全精力を傾けていてセリフに全部「」を付けるぐらいの勢いで生きていた模範的な夢であり、なんかあいつらキラキラしてんな……という感情で津田さんグループを眺めていた。まあそれはどうでもいいか。思い返すとざわざわしてきちゃうし。


「ええと、津田さん、じゃない? もしかして」

「うんそう、いま土屋。でも津田でいいよ、っていうか津田で呼んでよむしろ」


 そういうもんなの? 機微が分からん。夫婦仲が悪いんじゃないよね?


「どうしよ、パンケーキだよね。でも多そうだねランチのセットだと。牛久さんどうする?」

「肉」

「あっははは肉! いいね、わたしも肉! パンケーキ! めっちゃ欲望に忠実。えーカモミールティー飲みたい、ねえ牛久さんもハーブティーにしようよ」

「んっうん、あっちょっと高くなるんだハーブティー」


 こちとらピンクのエナドリがメインのカロリー摂取元よ。だがパンケーキとハーブティーでいい雰囲気の午後を過ごしてもいいかな、と思えるぐらいにはアラサーだ。中学生だったらあえてカレーにいってたと思う。


 で私たちは肉とパンケーキとハーブティーのセットにして、さてもう会話がないのをメニュー睨んでごまかすわけにはいかない時間に突入だ。


「そんで旦那がさーどうしても普通車がいいって。高速走るからってそんな高速走らなくない?」

「でも軽だと横風怖いよやっぱり」

「あーそっか。でも税金がさー」


 しゃべるしゃべる。津田さんめっちゃしゃべる。

 会話がないのを自分のせいだと自動的に思い込む人間からするとすんごい気楽。


「そんで旦那が……あ、牛久さんまだ独身?」


 まだと来ましたか。


「あーまだっていうか、永久に無いかな」

「そうなの? じゃあなんでこっち戻ってきたの?」


 だから踏み込みの速度が近接職なんだよな。いいだろ別に手ぶらで実家に戻っても。


「向こうでいろいろ。なんだろう、避難?」

「避難」


 避難というか逃亡というか。


「そのー……つまり」


 あーあーやめとけやめとけ。人を喜ばせるために自分の人生を切り売りしようとするのやめとけって。


「職場でちょっと、ストーカーに」

「え! やば!」


 あんのじょうすごい食いついてきた。そりゃバリューあるよな、昔の知り合いがストーカー被害に遭って実家に逃げてきた話って。


「職場って、どういうとこだったの?」


 もちろん、大変だったねーでは終われない。


「コンカフェって分かる?」

「知ってる! メイドカフェみたいなやつ!」

「そうそうそれそれ。で、そこの客に」

「わー……わっるい客だ」


 自分で言うのもおかしな話だけど、私には『こいつの良さを分かっているのは俺だけだ』と思わせる要素がある。いやめちゃくちゃよく言ってしまったな。もうすこしフラットな言葉を使うと、『こいつ……抱けるのでは?』という期待値が高い。最悪すぎる。

 ほんで、『こいつ……抱けるのでは?』と思ったやつが首尾よく抱けず、付きまとうようになった。


 とはいえ、私が月桂樹が丘ダフネをやっているのもまた、コンカフェでバイトしていたからだ。

 昔の常連さんがテック系ベンチャーを起業して、キャラクターIP部門を立ち上げるにあたり私が誘われた。


 こんな競争過多な状況でVチューバーの事務所なんか始めたら即座に滅びるだろ、とはもちろん私も思った。ましてもともと有名な人を引っこ抜いてくるんでもなく、配信未経験の人見知りをプロパーで一から育てようと言うんだから無鉄砲にもほどがある。


 私はといえば、どうせ実家に戻った時点で未来なんてないし泥船で沈むのも一興。みたいなうっすらとした破滅願望も手伝い、悪役令嬢Vチューバーとして生を享けた。あんがいどうにかなって今に至る。


「お、肉来たよ肉。いただきます!」


 ちょうどよく肉が来て、深堀りは中断。私たちは肉を食い、ハーブティーをすすった。

 肉を食い終わったあたりでパンケーキが来て、私はまだちょっと侮ったままでほおばった。


「……うんまっ」


 うますぎる。ふんわりしてしゅわしゅわなのにコクがあってメープル甘い、うますぎる。え、なんだこれ? 本当に地上の食いもんか? 天使が食ってるやつだろ。


「おいし! すっごい! びっくりだね」

「まじでびっくりした。うますぎない?」

「ね。これ颶煉ぐれんにも食べさせないとだ」

「ぐーちゃんね」

「そうそう。ずーっとマイクラやってる。そんなに面白いの?」

「いっしょにやってあげれば?」

「無理だよーわかんないもん。牛久さん昔からゲームやってたもんね。教室で」


 やめて、休み時間にPSPを囲んでみんなで鼻息荒くしてたことを思い出させないで。薄桜鬼……は違うな、あのころ何やってたっけ、うたプリ? うおおおおやめてくれ…………

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― 新着の感想 ―
[一言] 球磨川推し陰キャがいつの間にかアラサーになるくらいの時間が一瞬だった自分の時間間隔に気づいて吐きそうになった
[良い点] 子連れ同級生と故郷モールで遭遇とか、定番即死コンボじゃんと思ってたら、箱鯖でトラップタワー全壊とかガチのガチで怖い過去が出て凍りますわ 箱のはしっこで熱心なファンに囲まれてどうにかこうに…
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