メン限配信
「はーだめだった、だめだっただめだっただめだった死のう死のう死のう死のう」
私はうめきながらリビングにさまよい出た。
こちこちに緊張しながらハイテンションを保ち続けた反動で情緒がぐちゃぐちゃだ。
もうだめだ風呂入って寝る、すぐさま風呂入って寝る、ベッドの上で麦チョコ食いながら工場の動画観て寝る。
「グッドグッド! おグッドでしたわー!」
ダフネがグラス片手に駆け寄ってきた。
「はいどうぞ、お呑みになって」
「え、ありがとう。これなに?」
「ゆずの葛湯にマヌカハニーを入れました! ささ、まずは一献ですわ!」
「めっちゃ喉にやさしいやつだ」
葛湯をちびりと舐める。とろとろで、甘くて、いがいがした喉にじーんと嬉しい。
「令嬢たるもの、声帯結節RTAみたいなお仕事には相応のケアが必要ですものね」
一瞬、お湯割りでも飲みながら見てたのかと疑ってしまった自分を絞め殺したい。
「今日の配信も最高でしたわ! さすがわたくし! 銀盾も近いですわね!」
まあそれは、もう登録者数十万人耐久配信がスケジュールに入ってるから、たしかに近いと思うよ。けっこう真剣にがんばってたし。十万いったら新衣装と3Dとオリ曲の大盤振る舞いなんだよな、ぶいばーす。
「どうかねえ」
私はあいまいなことを言った。
「なにをおっしゃってますの! 洵子は天才なんですから!」
手をむぎゅっと握られた。体温が高い。
「完全にやらかしてたでしょ私。ちいかわ知らん相手にずっと擦ってたし、向こうのボケにリアクションできてなかったし」
ロールプレイの徹底と令嬢たるもの構文で場をつなぎ、知ってるアニメと漫画のネタを瞬発力だけでぶちかまし、コメントを沸かせるのが月桂樹が丘ダフネのスタイルだ。
このやり方と人見知りが悪いほう悪いほうにかみ合って、コラボ配信はだいたいさんざんな結果に終わる。今日はまだいいほうだ。メディコは我が強くて自分のペースでこっちをいじってくるから、ぎりぎりでプロレスが成立しているように見えなくもない。
うおおおお思い出したらまた死にたい、だからコラボ配信はいやなんだ、せっかく相手が面白いのに私が良さを引き出せない。
領民のみなさまの中には、なんだろうたとえば……ラブコメでいうとある日いきなり女性が転がり込んでくるやつより、生活能力のある女性に養ってもらうやつのほうが好きな方もいらっしゃるでしょう? それといっしょ。私の能力が低すぎて、責任を負うビジョンに共感できない。
「令嬢たるもの、身内ではなくリスナーを一義に考えるべきですわ! 洵子は完璧にできていました!」
はは、と私は乾いた笑みを浮かべた。
「わたくしならそうするよね」
言ってから、いや言いながら、なんなら口に出す0.3秒前ぐらいから、私はもうまっさかさまに後悔していた。
めちゃくちゃ親身になってくれてこんなに褒めてくれる相手に対して、出てくるのが皮肉かよ? 本当になんなんだこいつ。
「ごめん。今のはだめだった」
即座に謝った。謝ったからなんなんだよって話ではあるけど。
ダフネはしばらくお口ぽかんで私を見ていたが、
「洵子……」
私の名前を呼び、お父さんのほうに顔を向け、
「わたくし! お風呂をいただきますわ!」
「はーい」
きっぱり宣言すると、大股で風呂場に向かった。
「衝突事故だね」
成り行きを見守っていたお父さんが言った。
「やっちゃった」
「褒められた態度じゃないね。とはいえダフネさんもちょっと間が悪かったな」
「いや10:0でしょこれ」
お父さんは何が面白いのか笑った。
「お互い、ちょうどいい距離を見つけられるようにがんばらないとね。いっしょに暮らすんだから」
「あー……」
いや、いい、同居のことはいい、今は考えるな。
「寝ます」
「ん。おやすみ」
自室に戻ると、いいにおいだった。棒みたいな芳香剤がベッドのサイドボードに置いてあった。
私の好きな香りだった。
ダフネがやってくれたんだろう。そう思うとまっさかさまにみじめだった。
深いため息をついて、麦チョコとスマホを手にベッドに潜り込む。エゴサしようかちょっと迷い、荒れてそうな予感がしたからやめて、私は麦チョコの袋を開けた。
ぼーっと動画観ながら麦チョコをもそもそ食べながら、電気はつけっぱなし、できるだけなんにも考えず、眠くなるのを待つ。
うとうとしかけたところで、扉が開いた。
「お待たせいたしましたわ!」
「うおああ……?」
なにを? え? 待ってない。なんにも。急速な覚醒で心臓がばっくんばっくん不健康な音を立てている。
寝返りを打って扉のほうを見ると、ゆるゆるのスウェットワンピ着てナイトキャップかぶった顔の良い女が仁王立ちしていた。
「おお」
すごい迫力だ。
「まあ! 令嬢たるものベッドでものを食べてはいけませんわよ!」
だから令嬢たるもの構文でちゃんとしたこと言うんじゃないよ。
「お邪魔いたします」
ダフネはするっとベッドに潜り込んできて私の隣で横になった。お風呂上りの熱とヘアミルクのにおいが鼻を打った。シャクヤクの香りこれ? 嗅いだうえでぴんと来ないけど、なんかいいにおいだった。
「なんだなんだ」
「電気消しますわよ」
まっくらになったところで、腕が伸びてきて、私はダフネに抱き寄せられた。近すぎる。お互いにちょうどいい距離では確実に無い。
「うわうわうわうわうわどうしたどうしたどうした」
「さっきはごめんなさい、洵子」
よせ、ささやくな、いい声でささやくな。ちぢぢぢぢ、と、ジッパーを下す音が聞こえてすっごいどきどきする。
「洵子は疲れていましたのに、わたくし、元気を押し付けようとしていましたわ。今の洵子に必要なのはメン限配信でしたのに」
ずいっと頭を寄せられて、私の左耳がダフネの胸にぴったりくっついた。ナイトブラの向こうにあるでけえおっぱいを感じた。
「や、その、ダフネはなんも悪くない、ごめんは私だから……メン限? え? メン限がどうしたって?」
「しーー」
耳元でしーするな。ガチ恋されたいのか?
とにかく言われた通りに黙っていると、だんだん、ダフネの心音が聞こえてきた。
一分ぐらいして、ようやく私は気づいた。
「あっこれ……添い寝心音ASMR?」
「メン限ですわ」
ダフネがうなずいて、枕とナイトキャップのこすれる音がした。
たしかにわたくしはメンバー限定配信でけっこう頻繁にASMRをやってる。ASMR配信ほどいいものはない。リスナーは喜んでくれるし、私は私で、わたくしという好かれて当然のアバターをまとい、リスナーというふんわりしたイメージ相手に、肉体的接触を伴わず好き好きされて嬉しいからだ。おそらく免疫力などが高まっていると思う。
だがしかし、私は考え方を改めるべきかもしれない。
ダフネの、熱と肉感から生じる圧倒的な質量に密着していると、なんか……すごかった。
あたたかくて、呼吸音と心音が規則正しくて、とげとげしてた気持ちがあっという間にとろとろになっていくのを感じる。すごいな物理。質感がすごい。
「お肩、とんとんいたしましょうか?」
「お願いします」
一定のリズムでぽんぽんされる。あーこれはもうあれだ、あれになる。あのあれがああしてもうあれだ。
「他になにか、してほしいことはございまして?」
「耳ふさぎ」
私は即答した。ダフネがくすくす笑う体の揺れが伝わってきて心地いい。
「それじゃあ失礼いたしますわ」
ダフネは私の首から腕をずぼっと引っこ抜いた。
「さ、こっちを向いて」
仰向けから横寝になってダフネの顔がめちゃくちゃ近くて鼻の頭がぽうっと熱い。
「ぎゅうー」
両耳をふさがれると、ごぉーってくぐもった音がする。水中みたいに音が遠くて、てのひらがあたたかい。
「ごめんね。ごめんダフネ。八つ当たりだった」
「いいんですのよ」
ひとしきり耳ふさぎを堪能して、添い寝心音ASMRに戻って、私の脳はもう完全に液状化状態だった。
リアル受肉した悪役令嬢Vtuberに、あほほど甘やかされている。
なんでこうなっちゃったのかさっぱり分からないけど、とにかく私は、夢も見ないほどの深い眠りに落ちていく。
あ、またコンタクト付けたまま……まあいいや。おやすみ。