如月紫苑 -復讐を終える男の物語-
1箇所、ガラス板でできた窓から綺麗な月明かりの光が入り込むこの稽古場。剣道経験者なら馴染みのある木面の模様で描かれた床と和風を感じさせる和紙を境に照らされる天井のライト。今見える俺の視界には開放感溢れる広さに、深い呼吸と共にリフレッシュすることができた。
最近はやけに、影の怪物とやらの処理に追われていて息をつく暇もなかった。おかげさまで、彼女とも連絡ができていない。なら、時間ある今、彼女に連絡すればいいのではないか。そう俺の脳内によぎるその考えは、自分の変なプライドに遮られる。どう言葉を相手に届けたらいいのか、わからない。最初は謝罪から始まるのだろうが、その後はなんて言えばいい? そもそもメールか電話なのか? 他の人から見たら、何悩んでんだ?と思うかもしれないが、俺はかなり恋愛に鈍感なタイプらしい。とにかく、ウジウジしていても変わりがない。そう、俺は手に握った携帯画面を開き、彼女・沙羅に電話をかける。選ぶ言葉はその時に浮かんできた言葉を伝えるのがいいと思ったからだ。
何度か鳴り響く着信音。2、3回の着信音を終えた後、沙羅の荒い息遣いが聞こえてきた。走っている?だが、ただ走っているというより、何かから逃げるような息遣いと焦りが声から溢れている。
『沙羅!!大丈夫か?』
『ねえ!!・・・助けて・・・今・・・刃物を持った・・・男に・・・』
整える息と共に、聞こえてくる言葉に状況を察した俺は、急いでその稽古場を抜け出す。あたりは竹の木が並ぶ自然に石詰めされた1本道。足場は悪いが、そんなことをお構いなしに、1歩1歩に込めた脚力で移動距離を稼いでいく。
『なあ!!今どこだ!?』
『轟き(とどろき)駅に・・・向かう道中。ハア・・・ハア』
『わかった!!!・・・・・警察にも連絡しろ!!!』
急いで駆け抜けていく様は、あの有名な小説、友人を救うために駆け抜けていく青年と似ている。だが、とても間に合うとは思えない。そう冷静な俺が本能に問いかけてくる。
『くそ!!間に合ってくれ!!!!』
さらなる加速を生み出した俺は、駅までの道のりを車に追いつく勢いで突っ切っていく。
* * *
急いでたどり着いた先は、沙羅の言っていた駅。そして駅につながる道中へと足を進めた。一刻も早く・・・俺はまた沙羅に電話をかける。頼む、出てくれ。その一心で、俺は辺りにいるはずの沙羅を探し出す。だが、着信音は何度も鳴り響くだけで、応答する気配はない。
その時、横目に映った赤色のライトが一定に視界へと反射してくる。その先に誘導されるかのように、俺は目で追っていく。辺りには、夜なのに辺りに集まった住民と駆けつけて来た警官の後ろ姿が見える。その警察官の先には、地面に倒れた女性の影。
『沙羅・・・沙羅・・・』
俺は何度も見間違いだと信じた。だが目の前に見えるのは、背後から深く突き刺さったナイフと刃物で命を奪われた沙羅が地面に倒れていた。
『沙羅!!!!』
その後のことはよく覚えていない。ひどく混乱していた。現場はひどく騒がしくなった気がする。
* * *
俺は最悪な記憶を夢の中で再現されたせいで、あまり寝起きの情緒は安定していない。あれから3ヶ月が過ぎたのか・・・まさか、坂口紘という人間に成りすましていた影の怪物と手を組んでいたなんて・・・それを思い出すだけで、虫唾が走る。とはいえ、彼がこの世に存在する影の怪物を封印させたことも事実だ。まあ、そのおかげで影の怪物狩りの組織は不要。何もない俺は、行き場を失ったがな。今は放浪の身。白髪もクシャクシャになり、髭も生えるくらい不清潔な男に成り下がっていた。
坂口紘、岡本優花、岸本理恵、橘萌絵、吉田隆文・・・あいつらと別れてから3ヶ月。確かあの日が、夏の8月だったから今は11月ぐらいか。まあ寒くもなるか。俺はそう廃車の破けた天井から曇りきった空を眺めていた。ただただ、なす術もない寒さに対しては、黒のダウンコートを身に纏うことしかできない。じゃあ、今俺はどんなことをしてるかって?
『おい!!紫苑!助けてくれ!!またあの不良たちが来やがったんだ!!』
そう、廃車の後部座席で座り込む俺を見つけた眼鏡の男子高校生が助けを乞うてくる。まあ、武力ならある。だから俺はそれを交換条件に、こう告げた。
『金を用意しろ、たまにはまともな食事がしてえ』
『わかった!!金なら用意するから』
その言葉を聞けた俺はゆっくりその場から離れ、眼鏡小僧が指を指す先に向かっていく。その先には、ゴロツキが3人並んでいた。だけどやけに静かだ。こないだは、助けを乞うてきた眼鏡小僧を揶揄うような、罵倒と舐め腐った態度を見せてくれたんだがな。なんか今日は、屍が立ってるみたいだ。
『また、眼鏡小僧をいじめに来たのか。前回、俺の絞め技に懲りたじゃなかったのか?』
そう相手の聞こえる声量で、不良たちの様子を伺うも、やっぱり反応が鈍い。やっと、何かを話すのかと思えば、ただ何かを呟くだけ。ボソボソと。それに少し苛ついた俺は空腹に対しての怒りと同時に、不良に詰め寄る。
『ブツブツ言わねえで、はっきりいe・・・』
中心にいる不良の胸ぐらに掴みかかった俺に見せる表情、それは黄色に光った瞳に負のオーラに溢れていた。見たことある現象、これは影の怪物に心(正確には喜びや幸せを感じるプラスの感情、そして良心)を奪われた被害者に起きる現象だった。どうして!?紘が封印したんじゃなかったのか!?
その動揺をコントロールできなかった俺は、突き刺すナイフに対応できず、腹部に刃先が食い込む。クソ!!!なんとか腰に身につけていた刃で、左右から追い討ちをかける相手の攻撃を刀で防ぐ。腹部に入り込んだナイフで神経がまともに機能しねえ。
クソが!!!まあ、一人一人倒すしかねえな!!
格闘技でも習ってたのか!?そう思わせる動きが俺に降りかかる。無駄のない動きに、正確に定めた拳と蹴り足が、腹部に突き刺さった状態のナイフをさらに押し込む。
『いい加減にしろよ!!!』
まず俺も真似て、相手の膝に目掛けて強烈な蹴りをお見舞いする。骨の砕けた音と片方の脚が機能しないことで崩れた姿勢に入る相手。今がチャンス!!俺は容赦なく、刀を相手の首をスライスするように斬り込んだ。その先はどうなったか言うまでもない。今度は二人目の攻撃。だがリズムに乗ってるおかげか、華麗な剣さばきで串刺しの刑に処した。
『さあ、最後の一人・・・お前だ』
屍のように意識のない不良は、超人的な跳躍力で俺との距離を詰める敵。今度はラスボスなのか。連続的に横振り、縦振りを披露する攻撃を見事に避けていく相手の姿勢。なら剣捌き以外も披露するか。次も連続的に剣を相手に向けていくが、今度は拳で相手の顔面に食い込ませる。
『まだナイフで刺された後の傷が癒ねええええな!!』
同じように仕返しをすべく、一直線に腹部へと刀を刺しこむ。さすがの相手も、限界なのか、そのまま地面に倒れていく。
* * *
『紫苑さん!!!』
影に隠れていた眼鏡小僧が俺の元へと駆け寄ってくる。こいつ・・・
『てめえ・・・とんでもない奴を連れて来やがって・・・』
気づかないうちに、出血の量が増えていたのだろう。十分な血液量を失った俺はそのまま地面に頭を打ち付ける。
* * *
『ねえ!!・・・』
聞き覚えのある女性の声。優しく、そしてどこか真面目で・・・そんな君のことを思い出していた。
『ねえってば!!!』
口調が強めになり始めてから、俺は深く瞑った目をゆっくり開ける。やがて聞こえてくるのは、来たり寄ったりする海の波の音。視界には夕日に近い太陽が、俺たちを照らす。もう少し状況を整理しないと!そう重い重い体を起こしていく。
『やっと目覚めたの!紫苑!!』
視線の先には、亡くなったはずの沙羅が満面な笑顔を見せていた。なぜここに!?もしかして、俺!!死んだ!?
『ここは・・・俺は死んだのか!?』
俺の問いに、知ったようなドヤ顔を見せる。そんな表情も久しぶりに見えると愛らしい。
『君は今生死を彷徨っている境界線にいる』
『じゃあ、俺は・・・』
やがて、彼女の視線は俺の容姿に移ると、少し表情が濁る。
『この頃の紫苑は好きになれない。前はもっと清潔で輝いていたのに・・・今はちょっと臭う』
あれから不潔になったのは知ってるけど、好きな相手に言われると傷つく。
『ほっとけ』
軽く呟いた言葉だが、真っ直ぐな視線を突きつけた沙羅は頬を膨らませた様子で接近する。
『私の恋人なんだから、ほっとけるわけないでしょ!!!』
『こんな俺でもか・・・』
『"こんな俺に"成り下がってるから、私はわざわざ助言しに来たのよ!!あなたが心配で、死んだ後もヒヤヒヤしてたんだから』
彼女の言葉から告げられていく真実に、自分の行いは反省すべきところがあると、自分を見つめ直し始める。そんなに俺、ダメ人間に成り下がっていたなんて・・・
彼女の中に溜まったストレスはまっすぐな言葉として飛び出した。心の中が楽になった彼女は、少し冷静さを取り戻し、落ち着いた口調で俺に生き方を教えてくれた。
『あなたは正義感があって、まっすぐな人よ。その正義感を信じて、困ってる人を助けなさい。まだ、あなたの力を必要としてくれる人はいる』
その言葉を機に、俺は彼女との会話を終えた。
* * *
『沙羅!!!!』
勢いよく彼女の名を叫んだ時には、白い色に染められた部屋のど真ん中に位置していた。ここは・・・
『よかった・・・目が覚めて』
そう、俺の足元に顔を埋める眼鏡小僧の頭が見えた。
『病院・・・?』
『あの後、意識を失って・・・なんとかして救急車呼んだけど・・・』
* * *
なんとか状況が読めた俺は、腹部に痛みを抱えながらもベットから抜け出そうとする。
『ちょっと!何やってんの!!』
『あの高校生ら、黄色い瞳・・・間違いない!影の怪物によって心を奪われた人たちだ。連絡しないと!!!』
『もう組織はないし、今では影の怪物による被害者を狩るのは犯罪になってるんだよ!!!』
『はあ!?そんなふざけた話!!!!あってたまるか!!!』
そんなやりとりをしている間に、腹部の痛みは限界を迎え、そのまま地面へと倒れ込む。
* * *
『まだ、安静にしないといけないって』
しつこいメガネ小僧に結局監視し続けられる羽目になった。そんな状況に少し苛ついてたその時、病室の扉が開いた。
『失礼します』
やってきたのは、一人の男性医師。何やら困った表情を連れてきながら、俺の元へと歩み寄ってくる。
『体調の方はいかがですか?』
『特に。いや・・・腹部がまだ痛みます』
『まあ、そうですよね・・・・』
弾まない会話のリズム。でも、これで会話が終わったようには思えない。何か言いたげだ。
『実は相談がありまして・・・』
『患者に・・・ですか?』
『はい。実は影の怪物に心を奪われたと思われる少女を今入院させているんですが・・・あなた、確か怪物狩りの組織に所属していた方ですよね?』
そう、指指す先には眼鏡小僧の隣に掛けていた刀だった。
『でも、私は影の怪物を狩るだけで・・・被害者の治療は・・・』
『心当たりないのですか?治療法とか・・・』
やけに問い詰める勢いに、俺の中は心を締め付けられる。なんか、今までのことが無意味なように・・・だが、真実は真実だ。
『そんな話、聞いたことないですね』
『そうですか・・・』
少し、悔しそうに俯く医師の姿に、俺は心を痛めざるをえなかった。もしかして・・・この医師、その入院させている少女の父なのでは?そう頭の中でよぎる。
『もしかして、その入院させてる少女って・・・』
『ええ。私の娘です。最近、彼女の様子がおかしくなって、自分の身体を痛めつけたり、他人に対し、ナイフを突きつけたりと・・・』
その言葉を聞いて、確信した。その子は、影の怪物の被害者だと。その後も少女の話をいろいろ聞かされた。頼んだわけではないが、なぜそうなったかの経緯や症状について。だが俺には無理だ。医者じゃない。そう断ろうとした時、沙羅の言葉が蘇ってきた。
"まだ、あなたの力を必要としてくれる人はいる”
俺はその言葉に、なぜか心打たれた。そうだ・・・沙羅。君の言うとおりだ。そう沙羅に導かれるように、俺は医師に告げた。
『その少女、俺が何とかして、救ってみせます』