廃船の館
(前回までのあらすじ)
アニーとユピとカイと一緒に海賊島の統領グレイシャの元を訪れたヒラク。ヒラクの緑の髪に関心を示すグレイシャだったが、それ以上に意味深なユピの言葉を気に掛ける。「闇に紛れる黒い鳥たちは悪い知らせを運ぶ」。その言葉でグレイシャはアニーにヒラクたちをその場から遠ざけさせ、ユピと二人で密談を交わす。
グレイシャの住む館というのは港近くの浜辺に引き上げられた大型帆船のことだった。船はかなり損傷していて、三本マストのうち一本は折れ、舷側には砲弾の痕が何ヶ所もあった。
アニーは、マストの上の見張り座にいる男を見上げて手を振った。
「おーい、遊びにきたよー」
男はアニーの姿を確認すると、甲板上の男たちに合図し、縄梯子をおろしてヒラクたちを船に上げた。
アニーは甲板上の料理人に料理を作らせ、男たちに船倉の酒樽を船尾楼の居室に運ばせた。
居室にはテーブルや長イスがあり、くつろぐには十分な広さがあった。
アニーは酒樽のワインをすでに飲んでいる。
ヒラクはユピのことが気になったが、料理人が運んできた料理に関心を奪われた。
粒こしょうをたっぷりまぶした豚のかたまり肉を香草とトマトで時間をかけて煮込んだ料理の香りがヒラクの空腹を刺激する。
切り分けられた料理に飛びつき、夢中で食べ始めたヒラクにつられてカイも一緒に食べ始めるが、カイはヒラクのように食べ物で自分が置かれた状況をうやむやにすることはできない。
「母ちゃん、俺、これ食ったら帰るよ」
カイは食べながらアニーに言った。
「何よぉ、あんた、三人一緒じゃなきゃ何もできないのー?」
アニーはからかうように言う。
「どうせなら他の二人も呼んじゃおうかぁ。母さんは、白羽鳥の世話があるから戻らなきゃいけないしぃ」
「あいつらは関係なく、俺が帰りたいってだけ」
「とりあえず、お裁きは迎えの船が戻ってきてからだしぃ、あんたたちが謝らなきゃないのはぁ、無駄足になった船にじゃなーい?」
「でも何もここで待ってる必要はないだろ」
「ヒラクについていてあげてって言ってるのよぉ」
「ヒラクに?」
カイは隣で食べ続けているヒラクに目をやった。
「そうした方がいいんじゃないかなぁって思ってー。母ちゃん、な~んか胸騒ぎー。わかんないけどさぁ、一人にしない方がいいかもー」
「胸騒ぎって? ヒラクは女王の客人だろう? だからここにも迎え入れられたわけだし、大丈夫じゃねーの?」
「う~ん、でも実際、この子は今あたしたちがいなきゃ一人じゃなーい? お客ならもっと大事にしてもいいはずだけどー」
「頭領には頭領の考えがあるんだろう」
「まあねぇ。そりゃそうなんだろうけど……あっ、そっちはだめよー」
アニーは、ヒラクが奥の部屋の扉の丸窓から中をのぞきこもうとしているのを止めた。
「そこはねぇ、だぁれも入れない船長室なの。グレイシャの寝室よー。あたしでも入れないんだから」
アニーは後ろからヒラクの両肩をつかんで扉の前から遠ざけた。
「この船はねぇ、伝説の海賊の船だったのよー。グレイシャの最愛の男。ほんの二十年前ぐらいまではこの中海はまだ無法地帯で海賊たちが暴れまわっていたのよー。中でも恐れられたのがその男ってわけ。グレイシャもこの船の戦闘員だったのぉ。二人の思い出の船で愛した男を想い続けるなんて浪漫でしょ~?」
「はあ……」
ヒラクはよくわからないといった顔をする。
アニーはほろ酔い加減ですっかり饒舌になっていた。
「あたしはねぇ、若い頃からそりゃもう男にだらしなくってぇ、リクたちの親だってはっきりしないぐらいだしぃ」
「え? どういうこと? みんな兄弟なんでしょう?」
ヒラクはカイに聞いた。
「兄弟は兄弟だけど、誰と誰の父親が同じかはわかんねーんだ。俺たちの父親らしき男が、よく似た顔の兄弟の船乗りで、片方が航海中でいないときには、もう片方が母ちゃんのところに通ってた。それで俺たちは、それぞれ順番に生まれてきたけど、これまた顔がそっくりだし、どっちの父親の子だかわからないってわけさ」
カイは大したことではないというようにさらりと言った。
「でもねぇ、グレイシャに会って初めてぇ、本当に人を好きになるってこういうことなんだぁってわかったのー。グレイシャってかわいいでしょー?」
アニーは言うが、ヒラクは鷹のように鋭いグレイシャの目を思い出すととてもかわいいとは思えなかった。
「グレイシャはぁ、自分が理想とした男のようにふるまっているのよ。でもねぇ、本当はそんな男じゃなかったのよー。あたしの前では愚痴も言ったし弱音も吐いた。でもグレイシャにはそういうところは一切見せなかったのねぇ。グレイシャは自分がその男に求めた姿を自ら演じているのよぉ。そういうところが健気でかわいくてぇ、あたしは大好きなのー。今じゃグレイシャがあたしの最愛の人なのよー」
そのうちアニーは酔っ払って寝てしまい、ヒラクもいつのまにか寝てしまったが、目が覚めた時にはアニーの姿はなかった。
カイだけが館に残り、結局ユピは一晩戻ってこなかった。
☆
翌日、午後になってリクとクウもやってきた。
グレイシャと会うのを恐れていた二人だが、館にはいないことを知ってほっとしていた。
ユピは一度ヒラクのところに来たが、グレイシャに呼ばれてすぐにどこかに行ってしまった。
「なあ、勾玉主っておまえなんだろう? なんで頭領はもう一人のネコナータ人ばかり相手にしてるんだ?」
カイは、船室に運ばれてきた昼食のパンとチーズとハムをほおばりながらヒラクに尋ねた。
「ルミネスキのこととか、女王の様子とか色々聞かれてるみたいだよ。おれ、あんまり世界語わかんないし、ユピの方が上手だからさ」
「けっこうしゃべれてるじゃん。そんなもんで十分だよ」
クウが言うと、ヒラクはうれしそうな顔をした。
「ほんと? でもルミネスキじゃ何言ってるかわからなかったんだ。今もあんまりだけど、カイたちの世界語はわかりやすいよ」
ヒラクは三兄弟にすっかり打ち解けていた。
「ところで、おまえとあのネコナータ人、どこで知り合ったわけ?」
「なんで一緒に行動してるんだ?」
カイとリクに聞かれてヒラクはあっさりと答える。
「ユピは神帝国人だけど、俺の村で一緒に育ったんだよ」
「神帝国人!」
三人は驚いて同時に叫んだ。
「……ますますわからねぇな」カイが言うと、
「頭領は何考えてるんだか……」リクもうなずき、
「う~ん」クウも考え込んだ。
昼食を食べ終えたヒラクは、急に気が向いたように船室から甲板に出て行ってしまった。
リクたちがあわてて後を追う。
「おい、うろちょろするなって」とクウは舌打ちし、
「甲板には怖ぇ連中がいっぱいいるんだぞ」とカイはあわてる。
しかし、ヒラクに続いて甲板に出た三兄弟は、男たちの数が減っていることに気がついた。
「おかしいな」
リクは首をひねる。
「どういうことだ?」
兄弟が顔を見合わせていたその時、見張り座から男が叫んだ。
「港に船が入るぞ。ルミネスキから戻ってきた船だ」
「まずい……」
「まずいな……」
「どうする?」
うろたえる三兄弟にヒラクは明るく言う。
「見に行ってこよう!」
ヒラクは船べりから縄梯子を下ろす男たちの中に割り込み、あっというまに船から降りて、港に向かって駆け出していってしまった。
「しょうがないなぁ」
追いかけるリクの後にカイとクウも続いた。
ルミネスキから戻ってきた船に乗っていた人物が、南多島海に向けた旅への鍵を握ることを、この時のヒラクはまだ知らない。
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。かつて黄金王が手に入れたという神の証とされる鏡を求めて、勾玉の光が示す南を目指す。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。ヒラクが目指す鏡は神帝国では神託の鏡と呼ばれていることを知っているがヒラクには告げない。目的は不明だが、ヒラクに対して強い執着がある。
リク……海賊島の若い海賊。三兄弟の長男。バンダナの色は黄色。温厚で面倒見がよい。
カイ……三兄弟の次男。バンダナの色は赤。気が荒くけんかっ早い。
クウ……三兄弟の三男。バンダナの色は青。クールで人のことに興味がない。
アニー……・三兄弟の母。島の連絡手段である白羽鳥の管理者。酒飲みで昼夜問わず酔っ払っている。五人の子供の父親はそれぞれ誰かはっきりしない。
グレイシャ……海賊島の統領。ルミネスキ女王からも一目置かれた存在。
かつて中海を支配した伝説の海賊であった夫が生きていた頃はその船の戦闘員だった。
キッド……ヒラクと同じ緑の髪をした海賊島の少年。勾玉主を拉致するために三兄弟とルミネスキに向かったが、ヒラクと間違われたことで、ルミネスキの港に置いてきぼりになってしまう。




