悲痛の涙
(前回までのあらすじ)
王の鏡は神王によって持ち去られ、今はどこにあるかもわからないという。その鏡をみつけられるのは勾玉主だけだという。月の女神以前の自分の正体を知る鍵となる鏡を手に入れたいというマイラの思惑とは別に、ヒラクは本当の神を見つけだす手掛かりとして王の鏡に興味をもつ。そして勾玉の光は南を示す。ヒラクは南を目指すことにした。
滞在していた客室に戻ってくるなり、ユピが駆け寄ってきて、ヒラクを胸に抱き寄せた。
「ヒラク、どれだけ心配したか……」
ユピは声を震わせて、頬に涙をつたわせた。
「ごめん、ユピ……」
ヒラクはユピの背に手を回し、なだめるようになでさする。
ジークとハンスもヒラクの近くに寄ってきた。
「この二日、生きた心地もいたしませんでした」
ジークは心配を表に出さないように努めながら、かしこまった口調で言った。
「二日? そうか……たった二日か……」
ヒラクは少し驚いた。
様々な人間のそれぞれの前世をめまぐるしく体験したヒラクにとって、この二日は何年にも何十年にも値するほどの記憶を蓄積させるようなものだった。
「たった二日って言いますけどね、呼吸もほとんどしてないようだし、生気ってものがまったく感じられない状態で、死人のように眠ってたんでさぁ。どれだけ心配したって思ってるんです?」
「よせ、ハンス」
ジークに制止され、ハンスはおもしろくなさそうに腕組みしてそっぽを向いた。
めずらしく怒った様子のハンスを見て、ヒラクは自分がどれだけ周りに心配をかけたのか実感した。
「ごめん、ハンス。ジークも心配かけてごめん。ユピも……」
ヒラクはユピの目の下に影のようなクマがあるのを見て、申し訳ない気持ちになった。
ユピは笑顔を見せるが、その表情はひどくつかれている。
「一体、何があったんです? 女王陛下までお倒れになったと聞きましたけど」
ハンスはいつもの飄々とした口調に戻ってヒラクに尋ねた。
「そもそも地下牢で何をしていたのですか」
ジークがおおいかぶせるように言う。
「明日全部言うよ。もう今日は休もう。おやすみ」
そう言って、ヒラクはベッドにさっさともぐりこんだ。
ジークとハンスは顔を見合わせ、あきれたようにためいきをついた。
二人が部屋を出て行くと、ユピがヒラクの潜り込んだベッドの端に座って声を掛けた。
「ヒラク」
「何? 眠いんだけど。ユピも早く休みなよ」
ヒラクは掛け布から顔も出さないで言った。
そんなヒラクの様子にユピはくすりと笑う。
「あんなに眠っていたのに?」
ヒラクは布から顔を出し、決まり悪そうにユピを見た。
ユピは何もかもお見通しといった顔でヒラクをみつめている。
「本当は、疲れている僕たちを早く休ませるために自分から寝ようとしたんだよね。昔から、そういうところが不器用だ」
「半分はそうだけど、半分はちがう。さんざん話してきたあとだから、つづけてまた話すのがめんどくさかっただけ」
ヒラクは照れくささをごまかすように早口で言った。
「誰と話してきたの?」
ユピは鋭い視線を向ける。
壁から突き出す燭台のろうそくの炎が小さくなり始め、ユピの顔色を暗くする。
「いいから早く寝ようよ」
ヒラクはユピを気づかうように言う。
だが、ユピは口元に微かに笑みを浮かべたまま、表情を変えることなく、ただヒラクをみつめている。その唇がゆっくりと同じ問いをくり返す。
「誰と話してきたの?」
ヒラクは観念して投げやりに言う。
「マイラだよ。女王といつも一緒にいるおばあさん」
「君を女王の寝室まで運ぶように指示した人だね。彼女が何を?」
「だから、それは明日みんなの前で話すって」
「みんな?」
ユピは悲しそうな目でヒラクを見る。
「僕はジークやハンスとはちがうよ。君にとっては一緒なの? それとも僕は彼らより信用ならない?」
「そんなことないよ」
ヒラクはベッドから体を起こしてあわてて言った。
ユピはヒラクの手をとって、琥珀の瞳をのぞきこむ。
「ヒラク、僕には何でも言って。君のすべてを受け止めるから。僕はいつでも君の味方だよ」
そこまで言われると、言わないことが信頼を裏切ることのように思えて、ヒラクは自分が体験して知った出来事のすべてをユピに打ち明けた。
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「……そう、そんなことがあったんだ」
ユピは、折り曲げた人差し指を唇に軽く押し当てて、考え込むようにして言った。
「とにかくおれは、王の鏡を探しに行く。神さまを探す手がかりだ」
「探しに行くっていってもどこへ? 南とだけじゃ漠然としすぎているよ」
「だいじょうぶ。おれの勾玉が行き先を示してくれるよ」
ヒラクは明るく笑った。
「ジークやハンスには何て言うつもり?」
「何って、今言ったとおりだよ」
ヒラクはきょとんとした顔でユピを見た。
ユピは眉根を寄せて、何か考え込むような顔をする。
「何?ユピ」
「うん……ちょっと、それはどうかなと思って」
ユピはもったいぶったように言う。
「彼らは君のことを神帝を倒す勇者だと思っている。女王に別の意図があったことを知れば、混乱するにちがいない。さらに君が女性であるという事実もある。女王の意図さえ根底から覆されてしまった。いずれにしても、君を勾玉主としてこの国に迎え入れたこと自体、間違っていたということになる」
「そんなの知らないよ。女王が勝手に思い込んでいたことじゃないか。すべてはマイラが仕組んでいたんだ」
ヒラクは口をとがらせた。
「事実はどうあれ、君は女王には望まれない勾玉主だ。ジークやハンスが勾玉主のための戦士という立場にあるのは、女王に忠誠を誓ったからだよ。君がすべてを打ち明けることで、彼らとの関係はこれまでとはちがったものになってしまう」
「でも、そもそも女王が勾玉主を必要としたのは、前世からこだわっていた鏡を手に入れるためなんだし、そこまで勾玉主にこだわる必要もないってことを、ちゃんと言えばわかってくれるよ」
「前世について、どう説明するつもり?」
ユピは冷ややかに笑った。
「君は君が持つ特殊な能力で、他人の前世を実際に体験した。だからこそ、生まれ変わりや前世を信じられるのだろう。でもたいていの人間はそうじゃない。自分が今の自分であるという認識しか持たない。生まれてくる前のことも死んだ後のことも考えないで生きていく。考えたくもないんだ……」
ユピは前髪をかきあげて、額を押さえ、目を伏せた。
「ユピは? ユピは前世を信じてる?」
「僕は……」
考えようとするユピの脳裏に赤いカーペットの廊下が浮かぶ。同じものが見えたかのようにヒラクも思い出して言う。
「ユピ、よく夢を見ていたよね。赤い廊下の先に部屋があって、そこにある何かが自分を待っている……。それってただの夢かな?」
「どういうこと?」
ユピは頭が痛むのをこらえながらぎこちない笑顔を向けた。
ヒラクは真剣な表情だ。
「意識が人の記憶に溶け込んでいくのって、まるで他人の夢の中に入りこんでいる感じなんだ。夢を見ている本人と一体化して同じ夢を見ている感じ。もしかしたらみんな時々は夢で前世のことを思い出しているのかもしれない。朝になったら忘れちゃうだけでさ」
そう言うと、ヒラクはユピをじっと見て、そのまま目をそらさずに顔をゆっくり近づけていく。
「ねえ、前に言ったよね? ユピが夢で怖い思いをしないようにおれも夢の中に行けたらいいのにって。今のおれならそれができるかもしれない。ちょっと試してみない?」
そしてヒラクはユピの額に自分の額を押しつけた。
ユピはそんなヒラクを拒むように思い切り体をつきとばした。
ヒラクは驚いてユピを見た。
ユピはおびえたように顔をこわばらせている。
「二度とこんなことはしないでほしい……」
ユピはくちびるを震わせて言った。
ヒラクは反省しながらも、自分がしたことがそれほどいけないことなのかと納得できない思いでもいた。そんな気持ちを態度に出すように、ヒラクはユピに背を向けてベッドに横になった。
ユピは困ったような顔をして、ヒラクの髪をなでて言う。
「ヒラク、前世を知ることは怖いことでもあるんだよ。ただでさえ、人は愚かで過ちをいくつも重ねていく。過去に自分がどれほどの過ちを犯したかなんて知れば知るほど耐え難い苦しみとなる。今の自分で生きていくだけで精一杯なんだよ」
「そんなのおかしいよ」
ヒラクは体を起こしてユピに向き直った。
「そんなの、くさいものにふたをして、見ないようにしているってだけだ。それがまちがいで失敗だったって気づくことができたら、もうそれをくりかえさないようにするってこともできるじゃないか」
「そのために僕たちは今を生きているというの?」
ユピは暗い声で言う。ヒラクは声を強めて否定する。
「ちがう。過去のために今を生きているんじゃなくて、今を自由に生きるために過去を知ることも大事なんだ」
それが、ヒラクが様々な人物の前世を体験して確信したことだった。
「じゃあ、ヒラクは、今の自分に生まれてくる前の自分を知りたいと思う? それが今の自分とはまるでかけ離れた自分であっても?」
「おれはおれだし関係ないよ」
ヒラクの答えにユピは拍子抜けした。
「だって、過去の影響も含めて今のおれになったんだし、悩んだり失敗しても、そのたびに向き合っていけばいいんだ。それが前世からのくりかえしだったからって、乗り越える機会を与えられているのは今の自分なんだから」
「前世に自分が何者だったのかは具体的に知らなくてもいいってこと? なんだか矛盾しているね」
ユピは少し意地悪く言った。ヒラクは頬をふくらませる。
「おれが言いたいのは、大事なのは今だってこと。もう寝る」
「ごめん、ヒラク。機嫌直して」
そう言って困ったように笑うユピはすっかりいつもの様子に戻っていた。
だが、その脳裏に浮かぶ赤いカーペットの廊下は、ユピを暗い心の深淵に引き込むように伸びている。ユピは眠りが怖かった。
「ヒラク、もう少し話さない?」
ユピは声を掛けるが、すでにヒラクは横になり、目を閉じ寝息を立てていた。
「ヒラク、僕は僕自身であることさえ怖いんだ。君がいなければ、僕は僕さえ見失う……」
頭の奥から痛みが走る。赤い廊下がユピを誘う。
ユピは、無邪気にすやすやと眠るヒラクの寝顔をいとおしく思いながらも、ねっとりとした黒い液体が広がってこびりつくような嫌悪感を胸に抱いた。
「君は自分を好きでいられるから、過去さえ受け入れられるんだ」
ユピは頭の痛みに耐えながら、気づけば両手をヒラクの首に巻きつけていた。
ヒラクののどにふれた親指に力をこめようとしたところで我に返ったユピは、解いた指で額をおさえてうなだれた。
ヒラクはまったく無防備で、目を覚ます気配もない。
ユピはほっとしながらも、耐え難い悲しみに襲われて、声を漏らさぬように口を押さえて涙した。
ユピの中にある複雑な感情にヒラクは気づくことはなく、ユピと一緒にいる夢を見て、眠ったまま笑みを浮かべた。
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。前世にとらわれる女王やロイの記憶に入りこみ、王の鏡の存在にたどりつく。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。謎が多い。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。かつて対だったロイを死なせたと思っていたため、再会に驚く。
ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。お調子者で気さくな印象だが希求兵の離脱者をあっさり葬る冷徹さもある。
聖ブランカ…ルミネスキ女王。ジークたち希求兵に勾玉主をみつけだすことを命じていた。前世の記憶の囚われ、勾玉王との間に新たな王を生み出すことを望んでいたが、ヒラクが女であることで混乱する。
ロイ……かつてジークと対となり希求兵を目指していたが、最終試験で対であるジークと闘い脚を負傷。月の女神の生贄となるはずだったが、女王に命を救われ城の神官となる。前世婚姻関係だったことから、女王に特別な感情を抱く。
オーデル公…聖ブランカの配偶者。前世の望みだった城での何不自由ない生活を実現させたが満足しない。前世不仲だった女王とは現在も関係が悪い。
マイラ…錬金術師でルミネスキ女王の信頼も厚く城への出入りも許されている。女王の過去世である黒髪の女の祖母に月の女神の存在が入りこんだのが今のマイラであり、黄金王の時代から生きながらえている。
☆前世図
ルミネスキ女王→ルミネスキ王(黄金王の息子)→黒髪の女(月の女神信仰者)
ロイ→ルミネスキ王妃シャロン
オーデル公→ →月の女神信仰者の娘
マイラ→マイラ(月の女神) →黒髪の女の祖母




