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神ひらく物語―勾玉主編―  作者: 銀波蒼
ルミネスキ編
16/83

王子妃シャロンと少年王

(前回までのあらすじ)

ロイは城館の一室にヒラクを案内した。そこは古い本で埋め尽くされた図書館のような場所だった。そこには月の女神が描かれた絵があった。それは、ヒラクが過去の記憶の中で会った黒髪の女そのものだった。そして窓の外から眺めた湖面には、かつて黄金王の妃として迎えられた月の女神信仰者の娘たちが身投げする過去の様子が見られる。そこにも月の女神とされる黒髪の女の姿があったが、それは過去の記録とはまったく異質のものだった。そしてヒラクはどうやら月の女神と関係しているらしいロイの記憶に入り込む。


 ロイの記憶の中に入ったヒラクは、窓辺にたたずみ、外の湖を眺めていた。夕暮れから夜にかけての灰紫に煙る時間、鏡のような湖面の向こうに影絵のような黒い森が広がっている。


「シャロン様、陛下がお呼びです」


 背後で声がして、ヒラクは振り返った。

 そこには、質素だが仕立てのいいドレスを着た侍女らしい若い女がかしこまった様子で立っていた。


「今、参ります」


 ヒラクの口から出た声は、女らしくしとやかなものだった。

 今のロイとちがうことは明らかだ。


(これはいつのことなんだろう……)


 考えながらも、ヒラクはもう一つのことが気になっていた。シャロンと呼ばれた女性が緊張に包まれていることだ。


(私がやらなければ……)


 シャロンの強い決意がヒラクの中に流れ込んでくる。

 汗ばんだ手はマントの下に忍ばせたものをしっかりと握りしめている。


 シャロンは侍女に付き従われながら部屋を出て、大広間に向かい、広間とつながる側塔の螺旋階段を下り、一階の長い廊下を歩くと、金具で装飾された扉の前で足を止めた。

 そこは玉座の間の入り口だ。


 シャロンの鼓動の高鳴りがヒラクに伝わる。

 シャロンの殺意が扉の向こうに向けられる。

 扉がゆっくりと開いた。


 その向こうにあるものが何なのか、ヒラクは息を呑んだ。

 黄金の玉座にはまだ幼い少年が座っていた。

 13歳のヒラクと同じぐらいの年に見える。

 ヒラクは拍子抜けしたが、それはシャロンの感情でもあった。

 殺意がみるみる薄れていく。

 ヒラクは玉座の前の大理石の階段の下でドレスのすそを広げてひざを折り顔を伏せた。


「おまえが先の王子妃シャロンか」


 頭上で子どもの声がする。


「はい、陛下……」


 シャロンの声がかすかに震えた。

 ヒラクは、自分が負けや失敗を認めたくないときに味わう気持ちと同じものを感じた。

 屈辱感というものだ。


「王子妃から王妃になるだけだ。これまでと変わりあるまい。これからは余に仕えよ」


 その言葉で、シャロンの怒りが電流のようにヒラクの中に走った。

 シャロンは顔を上げて玉座の少年をにらみつけた。

 きょとんとした顔で目を合わせた少年王は、まだ物の道理もわきまえない子どものようで、年よりもさらに幼く見えた。

 その顔を見ていると、まるであきらめにも似た気持ちで、シャロンの怒りが引いていく。


「はい、陛下。御世に幸多かれ……」


 うわべだけの言葉をしぼりだして、シャロンは少年王の前を辞した。


 付き従う侍女を振り切って、駆け込むように自室に戻ると、シャロンは暗がりの中のベッドの上でつっぷした。

 自問自答するシャロンの言葉がそのままヒラクの中で響く。


(できなかった……殺せなかった……。まさか新しい王があんなに幼い方だったなんて……)


 ヒラクは身を震わせながら、シャロンの言葉を頭の中で聞いていた。


(いいえ、それでもあの方が原因で多くの月の女神の信仰者たちが殺されたのは事実だわ)


 シャロンはベッドから身を起こし、マントの下でずっと握りしめていた懐剣をじっと見た。

 小さな宝石を散りばめた美しい銀細工の鞘から抜き出した小刀を見て、ヒラクは初めてシャロンが何をしようとしていたのかを知った。


「敵を討てなかった以上、おめおめと私一人が生きていくわけにはいかない……」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく言葉にヒラクはぎょっとした。

 切っ先がのどもとに触れる。

 目を閉じた状態でいるヒラクは、のどをつらぬく痛みにかまえた。


 だが、予想に反して、シャロンは突然ベッドから立ち上がった。

 

 寝室に続く部屋の大きな格子窓から月の光が差し込んでいる。

 シャロンはふらふらと窓辺に近づき、月明かりに身をさらした。


「女神様、せめてこの身をあなたに……」


 そうつぶやくと、新たな決意を胸にシャロンはランプを手にして部屋を出た。

 足は今いる城館の一角にある塔に向かう。


 塔の地下は小さな礼拝堂になっていた。

 前面に神語で「月の女神よ永遠に」と彫りこまれた石の台がある。

 石の台の上にある両開きの祭壇の真ん中には小さな大理石の女神像が安置されていた。


 シャロンが台の上の銀の燭台のろうそくに火を灯すと、大理石の女神像は濡れたように輝いた。

 白くなめらかな女神像の前で、シャロンはひざをつき、胸の前で手を合わせる。

 言葉も何もない祈りがヒラクを包む。

 シャロンはひたすら女神の慈悲を求めていた。


 しばらく祈りを捧げた後、シャロンは立ち上がり、祭壇の後方に回った。


 壁との間は人一人やっと通れるほどのもので、そこには外へ出るための通路が隠されていた。


 シャロンは細い地下通路を抜けて、階段を上り、外に出た。


 辺りには木々が生い茂っている。

 木々の隙間を縫って歩くと、やがて湖岸に行き着き、眼前に湖が広がった。やや欠けたところのある月の光が皓皓と水面に降り注ぐ。


「かつてここからどれほどの信仰者たちがあなたのもとに旅立ったのか……」


 シャロンの頬を涙が伝う。

 足はふらふらと湖の中へと向かう。

 ヒラクの脳裏に湖で溺れ死んだ女たちの水面に咲く花のような色とりどりのドレスが浮かぶ。

 夜の冷気に包まれながら、つまさきから全身にしみ広がる水のつめたさを思うと、ヒラクはすぐにもこの体から抜け出したい思いだった。

 そしていよいよシャロンの体が水の中へひたされていく。

 そのとき、ふいに声がした。


「月の女神のもとへ行くなら余も連れて行ってはくれぬか」


 シャロンが驚いて振り返ると、そこには先ほどの少年王が立っていた。


「陛下……いつからそちらに……」


「この城を陥落したときに、城内はくまなく調べつくしている。玉座の間に描かれている絵と似ているな。父上が月の女神を地上で迎えたのはこの場所か?」


「いいえ、あれは、森の中のできごとであるとされております」


「そうか……。では、ここでは女神には会えぬのだな」


 少年王はさびしそうにつぶやいた。


 シャロンの中に彼への憎しみはすでになく、ただ不思議な気持ちでいっぱいだった。


「黄金王のお世継ぎであるあなた様がなぜ月の女神のもとへ行くなどとおっしゃるのですか? 私たち、月の女神の信仰者を異端者として虐殺した太陽神の御子であるあなたが……」


 少し言い過ぎたという思いで、シャロンは途中で口をつぐんだ。


「おまえがそう言うのは無理もない」


 少年王はさほど気にした様子もなく言葉を返す。

 そしてそばに近づいてきた。

 向かい合って立つと、シャロンとはずいぶん目線がちがう。

 少年王はシャロンを見上げて尋ねた。


「余を憎く思うか?」


 シャロンの胸の奥が跳ねるように脈打った。


「先のルミネスキの王子に代わり、この国の王となった余を憎く思うのであろう。余がこの地に来なければ、多くの月の女神の信仰者たちは命を落とすこともなかったであろう」


 その言葉通りの事実はシャロンを憎しみであふれさせるものだったが、少年王のさびしそうな口調には、哀れみを感じさせるものがある。


「余はこの国にずっと憧れを抱いていた。我が国オロブリーラは黄金郷とも呼ばれるほど贅を尽くした豊かな国だ。だが、そこに余の居場所などありはせぬ。父上は王位継承者など必要としてはおらぬ。栄華を極めた己の国を余に明け渡すことなど望んではおられなかった。余はルミネスキに厄介払いされたのだ」


「そんな……それだけの理由で、ルミネスキの継承者争いが勃発し、多くの犠牲者が出たというのですか」


 シャロンはまた口から出た言葉を後悔した。

 少年王に対する憎しみと哀れみがせめぎあう。


「もちろん父上の意図は他にもある。父はオロブリーラを建国し、太陽神の妃神である月の女神にルミネスキを預けた。だが、父の不在の間にこの国での女神の存在は大きくなりすぎたのだ」


「ですが、この地はもともと月の女神のものなのです」


 シャロンは反発するように言った。


「そのように信仰者たちの信仰心が高まったことが問題なのだ」


 年下とは思えない冷静さで淡々と語る少年王を前にシャロンは恥じ入っている。

 ヒラクはそのいたたまれないような気まずさを不思議に思った。


「ルミネスキの王として求められるのは、太陽神の御子であるという立場だ。だが、先の王子はあくまでも女神に仕える者だった。だからこそ、この国での太陽神信仰は次第に薄れていったのだろう」


「先の王子様は太陽神を敬い、神儀の務めは果たしておられました」


「表向きのことを言っておるのではないのだ」


 少年王の言葉にシャロンは黙り込む。

 交わされる会話の内容の意味はまるでわからないが、少年王の言葉の方が事実を物語っているようにヒラクには感じられた。

 その証拠に、シャロンから伝わる感情には、動揺と混乱の入り混じる居たたまれなさのようなものがある。 


 沈黙が二人を包む。


「ところで、そなたには月の女神の姿が見えておるのか?」


 ふいに少年王に尋ねられ、ヒラクは驚いた。

 シャロンの戸惑いが伝わってくる。


「いいえ、残念ながら、この目で確かめたことはございません」


「そうか」


 シャロンの答えに少年王はがっかりした様子だった。


「余は幼少の頃から、何度か同じ夢を見た。それは決まって月の夜。黒髪の女が出てくるのだ。余は、その女こそ月の女神であると確信した。その姿は、どこかなつかしさを感じさせる……」


「なぜあなたが黒髪の女神の姿をご存知なのですか」


 シャロンの言葉と同時に自分の言葉が出たような気がしてヒラクは驚いた。


(なぜ黒髪の女神がここに出てくるんだ?)


 その疑問への答えを待つ前に、すべては暗闇に落ち、シャロンの記憶は途絶えた。


             ●


 次の場面では、少年王は立派な青年王となってヒラクの前に立っていた。

 城の中の一室のようだ。

 金の装飾に縁取られた壁に囲まれた部屋の中には、細かな浮き彫り装飾を施した調度類や刺繍の入った絹地をあてた椅子が並んでいた。

 青年王のかたわらの画架の上には布をかぶせられた絵が立てかけられている。

 王はうれしそうにヒラクの前で布を取り去った。

 その絵に描かれていたのは、黒髪の月の女神の姿だ。


(ロイと一緒に見た絵だ!)


「どうだ、シャロン。この十年でやっと余の気に入る絵が完成したぞ。これこそ夢の中の女神の姿そのものだ」


 ヒラクははらはらした気持ちだった。

 シャロンが不安がっている。


「陛下、このような絵が人目については……」


「案ずることはない。これが女神の姿であると知るのはそなたと余のみ」


「ですが、女神が黒髪であることは信仰者の間では知れたこと……」


「ならばこの絵は誰にも見せねばよい。余はそなたにさえ見せることができたならそれで満足だ。これは、宝物庫に保管しておこう。この国の継承者にこの絵を託すこととしよう」


 そのとき、部屋の扉の向こうから声がした。


「陛下、失礼します」


 シャロンはすばやく絵に布をかぶせた。


 扉が開き、年老いた侍従が姿を現した。


「例の者が参りました」


「うむ、通せ」


 青年王が言うと、シャロンはすばやくその場を辞した。


「では、わたくしはこれで……」


 シャロンが部屋を出ると、入れ違いに中へ通された者がいた。

 すれちがいざま、その姿を横目で確認したヒラクは、同じくこちらをちらりと見たその目を見て驚いた。

 見るものを引き込む灰銀の瞳がヒラクをとらえる。

 全身を黒い布で包み込んだ老マイラがそこにいた。


(なんでこんなところに!)


 そんなヒラクの驚きを無視して、シャロンは老婆に軽く会釈すると、振り向きもせずにその場を去った。




ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。オーデル公の記憶からオーデル公の前世である女の記憶へ入り込んだ後、マイラによってモリーの体に意識をうつされたが、そこからさらにロイの意識の中に入る。


ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。謎が多い。


ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。かつて対だったロイを死なせたと思っていたため、再会に驚く。


ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。お調子者で気さくな印象だが希求兵の離脱者をあっさり葬る冷徹さもある。


ロイ……かつてジークと対となり希求兵を目指していたが、最終試験で対であるジークと闘い脚を負傷。月の女神の生贄をなるはずだったが、女王に命を救われ城の神官となる。


聖ブランカ…ルミネスキ女王。ジークたち希求兵に勾玉主をみつけだすことを命じていた。過去に父王を幽閉し、死に至らしめ、王位についた。


オーデル公…聖ブランカの配偶者。前世は月の女神信仰者の娘。城で何不自由ない生活をすることを願っていたが、実現した今世でも多くの不満を抱えて生きている。


マイラ…錬金術師でルミネスキ女王の信頼も厚く城への出入りも許されている年齢不詳の老婆。前世や不老不死についても詳しい。


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