太陽と月の詩
(前回までのあらすじ)
モリーの体に入ったヒラクは、マイラの助手として城に戻り、女王と会う。女王はヒラクが女であることで勾玉主であるということに疑念があるという。マイラはヒラクの意識を体に戻すため、モリーの体のヒラクを元の体が眠る部屋へと行かせる。案内したのはロイだった。ロイと二人きりになったヒラクは、オーデル公の記憶の中でロイが月の女神の生贄だったことを見たことをロイに話す。するとロイが「太陽を飲み込む月について知っているか」と逆に問う。そしてヒラクをある場所へと誘う。あまり長い間自分の体を離れると戻れなくなるとマイラから警告されているにも関わらず、好奇心には抗えず、ヒラクはロイについていく。
ロイは奥の城館の一室にヒラクを案内した。
壁に沿って本棚が配置されている。
その高さは天井に届くほどで、細いはしごが立てかけられていた。
本棚の一段一段に、表紙を向けた本が間隔をあけて横並びに並んでいる。
本はそれぞれえんじ色や濃緑の厚い皮表紙と金属の留め金で保護されていた。
ロイはそのうちの一冊を選びとり、明り取りの窓のそばにある書見台の上に乗せた。
ヒラクは本棚の本をめずらしそうに眺めていたが、急に背後に視線を感じて振り返った。
そのまなざしは一枚の絵から注がれたものだった。
「月の女神だ……」
本棚の正面の壁に飾られていたのは、ヒラクが何度か見た黒髪の女が描かれている一枚の絵だ。
玉座の間の壁画に描かれていた月の女神とはちがう。水面にのびる光のはしごをつたって天から降りてくるわけでもない。森の中にひっそりとたたずむ黒衣の女の姿がそこにあるだけだ。
それでもヒラクにはそれが女神とわかる。
なにしろ本人がそう名乗ったのだ。
(だけどあれは偽神だった……)
考えを巡らせる間もなく、ヒラクはロイに言葉を投げかけられた。
「やはりあなたは月の女神様をご存知なのですね」
ロイはどこかうれしそうだった。
「うん、まあ。ロイも知ってるの?」
「残念ながら、女神のお姿をこの目で捉えたことはありません。ただ私はこの絵を見たとき、これが月の女神様であることを確信したのです。なぜかはわかりませんが……」
「この絵は誰が描いたの?」
「存じ上げません。昔から女王陛下が大切にされていたものだということ以外は何も……」
「なんで女王が? 女王は月の女神を知っているの?」
ロイはそうだともそうでないともいえない曖昧な笑みをうかべた。
「陛下は満月の夜に月の女神様とお会いになります。そのとき、お姿をごらんになっているのかもしれません。その神聖な場に私は立ち入ることが許されておりませんので、くわしくは存じ上げませんが……」
「満月?」
ヒラクがきょとんとしていると、ロイは不思議そうな顔で言う。
「今宵が満月ですよ。そのためにあなたはいらしたのではないのですか?」
「なんで?」
「あなたはマイラ様のお弟子さんなのでしょう? マイラ様同様、陛下のもとに月の女神様を呼び寄せることができるのではないのですか?」
ヒラクはロイの言葉に驚いた。
そしてマイラに対して怒りを覚えた。
(月の女神を探せとおれには言ったくせに、女王には自分が手引きして会わせてやっていたんだ)
「おれ、ばあさんのところに戻る」
そう言って、すぐにも部屋を出て行こうとするヒラクを、ロイがあわててひきとめる。
「お待ちください。私の用件がまだです」
「用件?」
ヒラクはめんどくさそうに振り返った。
「何? 早く言ってよ」
「あの、では……」
ヒラクに急かされて、ロイも回りくどい言葉は避けることに決めた。
ロイは、外を眺めながら話を切り出した。
窓の外には城を取り囲む湖面が見える。
岸辺の向こうには森が広がっている。
「ここから見る景色を、私はずっと昔から知っていたような気がするのです。月に輝く水面は女神の足跡のようで、空想はいつしか現実味を帯びて、私はその女神が実際にいるかのように感じるようになりました」
ヒラクはロイの隣に立って外を見た。そして湖面に意識を向け、そこに記録されたものを探る。
すぐに目の前の視界がぼやけたようになり、そこから形を現すものをとらえた。
「うん、いるね……」
湖面につま先を立てるように立つ黒髪の女の姿が見える。
淡い光が薄い衣のように女の裸体を包んでいた。
それと同時に水面に浮き沈みする数人の女たちの姿が見えた。
赤や紫など鮮やかなドレスが水面に咲く花のように揺らめいている。
女たちの手がつかめない何かに向かってのばされる。
おぼれる彼女たちを引き上げる者はいない。
黒髪の女は彼女たちとは無関係にそこに存在している。
子どもの頃、アノイの里で川の神を見た時と同じだ。同じ場所で若いころの叔父と叔母の逢瀬を見た。
川の記録された過去の光景だ。そして、それとはまったく関係なく、川の神はただそこにいた。アノイの人々が川の神と信じるそのものの姿で。
そのことを思い出し、今見える光景がまったくちがった種類のものであることにヒラクは気がついた。
「過去にこの湖で溺れ死んだ女の人たちはいる?」
ヒラクの言葉にロイは静かにうなずいた。
今はもうヒラクが何を言い出しても驚かないようだ。
「黄金王によりルミネスキが建国し、この地にいた娘たちの多くが城に迎えられました。彼女たちは月の女神の信仰者でした。太陽神である黄金王の妃神となった月の女神に仕えるために集められたといいますが、次期王の座をめぐる継承者争いの発端を考えると、おそらくは、彼女たちこそ黄金王の妻とされた娘たちだったのではないかと推測されます。女神信仰者の中には王を拒み、命を絶つ者もいたでしょう。湖岸には碑石のようなものもみつかっています」
「ふうん、じゃあ、湖で溺れ死んだ娘たちってのは、黄金王が生きていた頃に実際にいたかもしれないんだね」
ヒラクはオーデル公の記憶を思い出していた。
黒髪の女と溺れ死んだ娘たちの時代は同じぐらいだろう。
(だけど、オーデル公の記憶の中で森の湖にいた黒髪の女は偽神として存在していたわけじゃなかった……)
ヒラクは湖面に立つ黒髪の女の姿をじっと見た。
溺れ沈んだ女たちは再び水面に浮上して、艶やかなドレスを浮き沈みさせ、さっきとまったく同じ光景を繰り返す。
これもアノイの「沼の女」と同じだ。
かつて狼に襲われて沼で命を落とした娘は沼の神の嫁になったといわれていたが、その沼では、沼の神と共に神格化された娘の姿と同時に、狼に襲われる場面が同時にみられた。
溺れる女たちは、その場面を何度も繰り返している。
「月の女神様のお姿は見えましたか? この絵と変わらぬお姿が」
ロイは期待を込めた目でヒラクを見た。
ヒラクはロイの肩越しに黒髪の女が描かれた壁の絵を見た。
「うん、あの絵と同じ姿だよ」
それが偽りの女神の姿であるとはヒラクは口にしなかった。
信じたものを奪われた人々の嘆きが胸によみがえる。
「どうかしましたか?」
暗い表情のヒラクをロイは不思議そうにみつめる。
「なんでもない。それより、用ってもういいの?」
「いえ、ここにあることを確かめたくて……」
ロイは書見台に乗せた本を素早く開きながら、言葉を選び取っていく。
「太陽と月の融合……月が太陽を呑み込む…昼が夜と化す……これらの記録は同じ時期に残されています。そして、ただの詩の一部となっているこの言葉も関わりがあるかと……」
ロイは顔を上げ、ヒラクを見ると、深く澄んだ声でゆっくりと言う。
「夜は光を体内に宿し、新しい太陽を吐き出す。太陽神の子として新たな神が生まれる……」
ヒラクはさっぱり意味はわからなかった。
それがすっかり顔に出ているので、ロイは少し残念そうな顔をした。
「これだけではわかりませんか……」
「うん、さっぱりわからない」
ヒラクは正直に答えた。
「これらは、ルミネスキの史料からは除外されたものです。ルミネスキは黄金王の興した国であり、太陽神を神としているため、新しい神などという考えは認められません。そのような考えを起こす者がいれば異端者として裁かれます。だからこそ、これを残した人物は、詩の形にしたのではないのかと私は思うのです」
切々と語るロイにヒラクは言う。
「なんだかよくわからないけど、どうしてそれにそこまでこだわるの? ロイと何か関係あるの?」
「それは……」
ロイは一度目を伏せてから、改めてヒラクを見た。
「私には関係のないことかもしれません。ですが、私の脳裏にある光景はまったく無関係ではないはずです」
「脳裏にある光景って何?」
「月の女神様の姿を知っていたことと一緒です。これらの文献の言葉を知る前から、そのことを示しているのではないかと思われる光景を私は思い描いていたのです」
「昼が夜になるとか、月が太陽を呑み込むってやつ?」
ヒラクはロイの言葉を思い出しながら言った。
「ええ、そのとおりです」
「それ、どんなものか見れないかな」
口に出した言葉でヒラクの興味はさらに強まる。
それまで試したこともないことをしてみようという気になってくる。
「ちょっとさ、その光景を思い浮かべてみてよ」
そう言いながら、ヒラクは両手でロイの顔を挟むようにして自分の前に下ろすようにして近づけた。
「何をするのですか」
ロイは前かがみになり戸惑うが、ヒラクはかまわず顔を近づける。
「確かめてみるんだ。いいから、おとなしく目をつぶって思い浮かべてみて」
そう言って、ヒラクはロイの額に自分の額を押し当てた。
「マイラ様のお弟子であるあなたがそうおっしゃるのであれば……」
ロイは観念したように目を閉じる。
ヒラクも瞳をゆっくり閉じて、意識をロイに向けた。
ヒラクは、今、自分がモリーの姿であることなどすっかり忘れている。
ただ、自分の存在すべてが意識の波となるのを感じながら、ロイの記憶に入り込もうとしていた。
そしてヒラクは深く深く、ロイの前世に同化する……。
ヒラク……緑の髪、琥珀色の瞳をした少女。偽神を払い真の神を導くとされる勾玉主。水に記録されたものを読み取る能力や水を媒介として他人の記憶に入り込むことができる能力がある。オーデル公の記憶からオーデル公の前世である女の記憶へ入り込んだ後、マイラによってモリーの体に意識をうつされ、今はモリーの体にいる。
ユピ……青い瞳に銀髪の美少年。神帝国の皇子。ヒラクと共にアノイの村で育つ。謎が多い。
ジーク……勾玉主を迎えるために幼いころから訓練された希求兵。かつて対だったロイを死なせたと思っていたため、再会に驚く。
ハンス……ジークと同じ希求兵の一人。お調子者で気さくな印象だが希求兵の離脱者をあっさり葬る冷徹さもある。
ロイ……かつてジークと対となり希求兵を目指していたが、最終試験で対であるジークと闘い脚を負傷。月の女神の生贄をなるはずだったが、女王に命を救われ城の神官となる。
聖ブランカ…ルミネスキ女王。ジークたち希求兵に勾玉主をみつけだすことを命じていた。過去に父王を幽閉し、死に至らしめ、王位についた。
オーデル公…聖ブランカの配偶者。前世は月の女神信仰者の娘。城で何不自由ない生活をすることを願っていたが、実現した今世でも多くの不満を抱えて生きている。
マイラ…錬金術師でルミネスキ女王の信頼も厚く城への出入りも許されている年齢不詳の老婆。前世や不老不死についても詳しい。




