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旧家に纏わるエトセトラ『首吊り山』

♯ 035

私の実家の近所に小高い雑木林の丘がありまして、そこは『首吊り山』と呼ばれていました。

当然と言いますか、子どもたちにとっては格好の肝試しスポットとなっていましたが、一度そこに入ってみたら分かります、そこはリアルにヤバい感じがして、誰も二度は入らないといった鬱蒼とした広大な雑木林でした。集落の年寄り達も『あすこさは無闇に入んじゃねぇ』と言っていましたが、当時80近いくらいの本当の年寄り達は『首吊り山』の成り立ちを知っており、私も本家の爺様から首吊り山の話を聴いた事があり、その話を知る最後の世代なのかと思い、ここにザッと記して残しておきたいと思いました。

江戸の末期頃、今の首吊り山がある場所には20軒ほどあった程々大きな集落(村)があったそうです。村の中心には医者様(個人の病院)があって、周辺の村からも病院を訪れる人が多かったそうで、村には、うどん屋、たばこ屋、籠屋、卵屋、軍鶏屋、精米屋など、小さいながらも沢山の店もあった栄えた村だったそうです。

そんな村は、やはり医者様を中心に栄えていたそうで、医者様の家にはとにかく広大な庭園があり、村での花見や盆踊りなどの祭り事の殆どは医者様の家の庭で行われていたそうです。

ある頃に、そんな村に一組の若い夫婦が住んでいたそうで、どういう経緯か今となっては分かりませんが、その夫婦の家にはジジババがおらず、若いながらに夫婦二人で田畑をやっている農家で、夫婦の間には産まれたばかりの幼い子どもがいたそうです。

ある年の事、何の通例行事か分かりませんが、医者様の家の庭に村人たちが集まって、咲き誇るツツジを観ながら酒盛りする祭りをやっていたそうで、そこで村人たちが次々と宴会の余興を披露していたそうです。

順番で何かやらなきゃいけなかったのか、そこで先の若い農家の男の番が回ってきたそうですが、その男、幼い頃から無口で真面目だけが取り柄のような人物で、芸事など今まで何一つやったことが無かった不器用な男だったそうです。なので、それまで祭りでの余興など悉く断ってきたそうなのですが、そこは昔の村社会、威勢のいい村人たちから「子ども出来たんじゃけビシッとなんかやって漢見せろじゃ」と煽られ、気付けに散々酒を飲まされ、押し出されるように皆の前に立たされたそうです。ただ、その男もそろそろ何かやらなきゃならないと覚悟はしていたそうで、半年も前から密かに『ある一芸』の練習をしていたそうです。

その一芸とは、刀を使った型の演舞。どんな謂れか分かりませんが、江戸時代ってそんなものなのか、その男の家には代々一本の刀が家にあったそうで、その男は以前から密かに我流で時々その刀を振ってみたり、家の裏庭に背高く伸びたアザミなどの雑草をスパッと斬ってみたりするささやかな『侍ごっこ』の趣味を持っていたので、それを演舞として余興で披露しようと決めていたそうです。

男は『余興の道具』として持ってきた藁苞の中から刀を取り出し、真剣を使った演舞を披露しました。真面目で笑い所の無い余興でしたが村の祭りでは珍しい余興でしたので、皆も感心して観ていました。男は演技の最後に一番上座に座っている医者様にお酌をして、そこまでの動きで演舞を締めようと演出を考えていました。真面目です。しかし、出番の前に散々酒を飲まされていた男は既にベロベロに酔っぱらっている状態で、しかも演舞で動き回った後です、もう立っているのもやっとのような状態の中、それでも礼を通そうと最後に医者様の元へ向かったのですが、医者様の所まであと二、三歩というところで男はぶっ倒れてしまい、倒れながら、握りしめていた刀を振り下ろしてしまった事で、医者様の肩を斬ってしまったそうです。

当然、祭りの席は大パニックで、男は意識の無いままその場で捕らえられてしまいました。

一方、斬られた医者様の傷は浅く、目の前が診療所という事もあり、すぐに止血出来て全く軽傷で済みました。また、この医者様というのが本当に人柄の良い人物で、その場でパニックになっていた村人たちを静め、泥酔してやってしまった男の事を責めるような事もありませんでした。そもそもこの医者様は、近所に住むこの若い夫婦の事を日頃から我が子のように気に掛けて面倒をみていたそうなので、こんな事になってしまって、この先この男が平穏に暮らしていけるか心配していました。

医者様を斬った事で捕らえられて座敷牢に入れられてしまった男も、医者様の温情で翌日には解放されましたが、医者様の不安は的中。村人たちは男をこれっぽっちも許そうとはせず、完全に罪人扱いを続けました。医者様はその様子を嘆いて、その後何度も村人たちを説得しましたが、村人たちは納得せず、男もそんな様子を察して、その後ひと月もしないうちに妻と幼子とともに村から夜逃げをして、一家はいなくなってしまいました。

一家が村からいなくなってしまってから、医者様はみるみる落ち込んでしまい診療を休む事もあるようになり始め、医者様の家の庭で行われていた数々の祭りも全く行われなくなってしまいました。そんな医者様の様子を見た村人たちは流石に少し改心して、村を出て行ったあの男と妻子をこの村に呼び戻して、自分たちの行いも謝って、また以前のように仲良くみんなで暮らせないかと思案しました。

そうして、あの若い夫婦を捜すため村人の中から二人の男が出発しました。

すると早速、二つ隣のとある川沿いの村でそれらしい情報が聴けたのですが、それは『ちょうどふた月くらい前に、そこの川の縁に生えている木の根っこに若い男の死体が引っかかってた』という話でした。

捜索隊の二人はすぐに村に引き返して、その話を村人たちに伝え、村人たちは医者様の家に行き、医者様の家の座敷で村人たちはみんな土下座で医者様にその話を伝えました。

その二日後、医者様は庭の大きなクスノキの枝に縄を掛けて、そこに首を吊って死にました。

それ以来、村人たちの互いの関係がギスギスし始めました。

あの日、男に散々酒を飲ませたのは誰か? 不意の事故だったのに男を執拗に責めたのは誰か? そもそも、芸事が出来ない男に無理に余興をやるよう迫ったのは誰か?

村人たちは他人を責め合い、罪を擦り付ける合い、日常会話すら出来ないような啀み合いばかりになって、嫌になった人たちはどんどん村から出て行ってしまいました。そして、村に残っていた人達も、村の伝統をなんとか守っていきたいとしがみついていたものの、あの事故があってから丁度一年後、去年はあれほど咲き誇っていた医者様の家の庭のツツジが一個も花を付けなかったのを見て、「あいつの祟りだ」「医者様がもうオレらには花を見せてくれねぇんだ」などと言って怖れて、次々に村を出て、あっという間にその村は廃村になってしまったそうです。


今ではもう相当分かりづらくなっていると思いますが、30年くらい前は、その雑木林に入れば、家の基礎のような跡というか、柱の下にあったのであろう台形の石や枯れた古井戸、割れた瀬戸物の茶碗等があり、一帯が集落の跡だと分かりました。

また、爺様の見立てでは、川に流れ着いていた土左衛門は医者様を斬った男とは別人で、夜逃げした一家は別の新天地で穏やかに暮らしていたんじゃないか、それにツツジは5年に一回しか満開にならない花木で、満開になった翌年は花を付けないそうで、本当に怖いのは村意識なんだと言っていました。

今年3月、市を横断する大きなバイパスが開通しました。首吊り山を南北に分断するかのように、そのど真ん中を道が貫いています。

何より強いのは無知である事なのかもしれないと思うようにして、今日もその道を走ってきました。

今日は音楽の方の作業で忙しくて、アイディアの要らない思い出話でご了承下さい。創作でない話の分は100話以降にロスタイム分として追加しようかと考えております。

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