7.
☆
最近、竜馬の様子がおかしい。
なんとなくそう感じ始めたのは、あのイラグリスという幼女を家に迎えるようになってからだ。
彼は「外国の親戚の子供を預かっている」と言っていたが尾道家と赤芽家は昔からの付き合いなので直ぐに嘘だとわかった。
だけど、直ぐに問いたださなかったのは……怖かったからだと思う。
「どうした靡? 帰らないのか?」
最後の授業を終え、帰宅の準備をする彼はいつもの顔で私に問う。だから私もいつもと同じ顔で、いつもと同じ雰囲気で答えた。
「ごめん、ぼーっとしてた。行こっか」
「おお」
こうして帰路に着くのが私の人生で数少ない幸せな時間だと思う。だって竜馬ってば……全然ポニーテールの事以外気が付いてくれないし……まぁちょっと髪を切っただけで気が付いてくれるのは嬉しいことだけど、それが自分を見ているからではなく髪を見ているから、っていうのは複雑な気持ちだなぁ。
「……今日さ」
「ん?」
「竜馬の家、行ってもいい?」
少しだけ勇気を出して、言ってみた。毎晩玄関先には行ってるし緊張するほどの事ではないと思うのだけど、今回に関しては夕ご飯を届けるのとは目的が違う。
「どうした、改まって」
「いゃ、別に……」
「散らかってるし、それにイラもいるけどいいか?」
「勿論!」
「じゃ、どーぞ。別に自由に出入りしてもいいんだぞ? 合鍵持ってるだろ?」
「う……うん」
あっけからんと言ってのけるところを見ると、やましい事はしていないようだ。もしかしたら……竜馬が童女趣味に目覚めてしまったのかと懸念していたが、そうではないらしい。
それに毎日部屋の窓から見える彼の家を監視しているし……なんら問題なさそうなのだが、わからないのは幼女だ。
何故か、どうしてか、キッチンでもお風呂でも自室でもイラちゃんの姿を見る事はできない。必ず死角に入っている。
————それはまるで私が見ている事に気がついているように。
「……うぉ!? 靡……お前めっちゃ怖い顔してるぞ……機嫌悪いのか?」
「え、そう? そんなことないよ???」
「ならいいけどさ」
いけないいけない。ミッションに支障がでてしまうところだった。
あくまで私は「竜馬に気が付かれないように、イラちゃんの正体を知り、あわよくばイラちゃんをウチで預かり完全なる管理下に置き竜馬と×××で×××な×××をする」という目的を達成する為に潜入捜査をするのだ。
彼に本作戦がバレてしまえば、まるで私が必死になっているみたいになってしまう。それは……なんとなくプライドが許さない。
「あ……しまった。靡、ちょっと寄り道してもいいか?」
「ん、どうしたの」
「イラからプリンを買ってくるように言われてたんだった。ちょっと商店街に付き合ってくれよ」
「……いいよ!」
「サンキュー! よければオススメのお菓子屋も教えてくれ、あいつ甘味にはうるさいからさ」
「そう……なんだ。うん、任せて! 女子力発揮しちゃうよ!」
「頼もしいぜ」
あの女……私の竜馬をまるでパシリみたいに使いやがって、許すまじ。
だが、貴様の自由も今日までだ……所詮、奴は幼女……大人の女を怒らせるとどうなるかって事、教えてあげるわ。
「よし、じゃあ商店街に向かうかー」
竜馬と私は通学路を抜け、商店街へと足を運んだ。
オススメのケーキ屋に寄り、そこで販売されているチーズケーキのようなプリンを4つ(イラちゃんは2つ食べるらしい)購入すると、彼の家へと向かった。
まだ日は明るいが、男の人の家に入るというのは外から観察するよりも100倍緊張するもので、家に近付いていく度に胸の鼓動が早まった。
そして————遂に玄関前に到着。加速する感情を抑えながら、平静を装い私は彼の後ろへと続いた。
「ただいまー、帰ったぞー」
竜馬が帰宅を告げると、部屋の奥からドタドタと小さな生き物が駆けてくる音が鳴った。扉の陰からヒョコッと触手のように跳ねたくせ毛をチラつかせ、可愛らしく私を覗く元気一杯の女の子、イラちゃんだ。
「て……ゴホッゴホッ——お、お兄ちゃんお帰り! 遅いよぉ〜」
「あはは、ごめんごめん。ただいま、ちゃんといい子にお留守番してたか?」
「うん! イラ、ちゃんといい子にしてたよ! だから……」
「わかってる————っと、その前に……今日は靡お姉ちゃんに来てもらったんだ。イラ、挨拶は?」
「こんにちはー! 靡お姉ちゃん!」
「こんにちは、イラちゃん」
私の前でペコっと可愛らしく頭を下げる幼女。赤く綺麗な髪が大きく揺れた。きっとポニーテールにしたらさぞ美しいだろう……って、何で私までポニテフェチになってるんだ。
でも……そう思えるほど、つい見惚れる美しさだ。だが、油断してはならない。もしかしたら外敵の可能性もあるのだ。女は見た目によらない。女の私が言うのだから間違いない。
「よく出来ました。ほら、報酬のプリンだ。受け取れ」
「わーいわーい、うれしいなー!」
竜馬からケーキ屋の袋を受け取ると、イラちゃんはキッチンに向かって全速力で走っていった。……本当に無邪気な子供だ。
「靡、上がれよ。一緒に食おうぜ」
「あ、うん。お邪魔しまーす」
玄関で靴を脱ぎ、綺麗に整えてから私もキッチンへと向かった。この家はキッチンで食事を摂るように出来ている。狭いが効率の良い作りだ。
テーブルには既にイラちゃんが席に座っており、スプーンを3つ用意して皆が座るのを待っていた。
「ん、イラちゃん偉いね〜ちゃんと待ってたんだ」
「だってお姉ちゃんとも食べたかったもん!」
「そうか〜あ、あはは」
満面の笑みをどちゃくそに打つけてくる。最高の笑顔だ。眩しい。
少しだけ罪悪感が込み上げてくるのを感じる。彼女の明るさのせいで私の黒さが目立っているようだ。いや、安心しろ……大丈夫、これは純愛だ。愛ゆえに、だ。
「お姉ちゃん開けてー!」
「あ、ぁあ……はい、どうぞ」
「ありがとう」
しっかりと固定された封は彼女が開けるには困難だったようで、代わりに開けてあげた。しっかりとお礼も言えるいい子だ。
どうして私は彼女を敵視していたのだろうか……そんな疑問さえ頭に浮かんできてしまう。一般常識で考えれば問題視する案件でも無いだろうに。
一言で言えば女の直感だと、何となくこの子は危険な気がしたのだ。初めて出会った時に感じたプレッシャーは幼女が醸し出すにはあまりにも大きすぎた。
だが、今それを感じる事は出来ない。気のせい……だったのか?
「お兄ちゃん! 牛乳飲んでいい?」
「ん? あぁ、全然構わないぞ。ちょっと待ってな」
「だいじょーぶ、自分で取るから!」
イラちゃんは一口目を口に運ぶ前に立ち上がり冷蔵庫へと向かった。背伸びをし、2リットルの紙パックを取り出すと、洗いたてのグラスコップに注いでいく。可愛らしい姿だった。
「……いい子だね、イラちゃん」
「だ、だろ? 俺の育て方がいいからな!」
「まだここに来て3ヶ月もたってないじゃ無い」
「この世——日本の文化を教えたのは俺だぞ?」
ん? 今、世界って言いかけた?
竜馬は慌てて口を紡ぎ、言い換えたように見えた。
……やっぱり何か隠している事に間違いは無い。確信を突くなら逃げ場の無い今、か。
「竜馬、最近ちょっと変だよ?」
「な、なな、何が? 俺のどこが変だって言うんだ?」
「隠し事、してるでしょ?」
「お、俺が!? おおおお、お前に?」
「うん」
「幼馴染にぃ、嘘吐くわけないだ、ろぉ!?」
「ほら、また襟足を触った。竜馬、隠し事してる時……必ず襟足を触る癖があるの。気がついて無いだろうけど」
「うッ……ぐぅ!?」
いつか使う時が来るだろうと思って準備していた最終兵器。今まで黙っていたのは気がつかれると癖を矯正する可能性があるからだ。
「ねぇ、どうして隠すの? 私に知られると迷惑……かな?」
「い、いや! そんな事は……無い……けど……」
「じゃあ教えてよ。困ってる事あるなら協力するよ」
邪魔者なら排除するよ。
「ぅぅ……でも、絶対に信じないと思うぞ?」
「大丈夫、私がこの世界で一番竜馬の事知ってるんだから。ちゃんと信じるよ」
「……わかった。実は」
遂に彼の隠し事に触れる事ができる。要因はイラちゃんじゃないかも知れないが、この際どうでもいい。全て、全てを知っておきたいのだ。
そして、竜馬は深く息を吸い込んでから答えようとした瞬間————
「うわっぁ!」
「キャッ……冷たぃ!」
「うわ、イラ! 大丈夫か!?」
牛乳を並々注いだグラスを片手に戻ってきたイラちゃんは足を引っ掛け転倒。中身は全て滝のように私の頭へと降り注いだ。全身ビショビショ……牛乳まみれだ……。
イラちゃんに怪我は無いようで、竜馬が駆け寄ると直ぐに立ち上がった。
「ぁ、ごめんなさい……靡お姉ちゃん」
そして、直ぐに私の元へと駆け寄ると涙目で頭を下げて来る。
やめてくれ……それじゃあ「いいよ」って言わざる負えないじゃないか。くぅ……これが幼女の強さか。
「大丈夫だよ、イラちゃん。怪我は無い?」
「うん、大丈夫……」
「よかった……ごめん竜馬、私帰るね。服も髪も濡れちゃったし」
「ぁ、ああ……ウチのイラが、ごめんな。床は俺が拭くから」
「いいのいいの」
子供のやった事だ、仕方がない。それに、こんな濡れたポニーテールを見せてたら竜馬に嫌われるかもしれないし、早々に退散だ。
後一歩のところだったけど……下着も透けちゃってるし、気が付かれる前に帰りたい。
————そう思った時だ。
(クックック……良いのか? 帰宅しても)