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9:それぞれの夜

 


 お姫様の部屋を去り、いったん屋外に出る。

 土の匂いがした。肥料の匂いも。

 敵国に攻め込まれた時のために、王宮内には菜園がある。

 夜行性の虫が、そこかしこでかしましく鳴いていた。

 クレアが持った松明が、煌々と輝いていた。その明りに引き寄せられて、羽虫が周りを飛んでいる。


『王宮の中は壁ばっかじゃのー。街の景色がほとんど見えん』

「城塞都市ならたいがいはそんなもんだぜ」


 リィのどこに目があるのか分からんが。そういや、こいつは周囲をどうやって見てるんだろう。昔からの謎だ。


『壁が高すぎるんじゃあ。ここからだと星と月しか見えんのじゃあ……』

「街を見たいのか? そんなもんいつも見てるだろ」

『阿呆かハル。城の高台から城下町を見下ろして、“フッ、愚民どもめ……”とわるーい顔でつぶやくのが令嬢のたしなみなんじゃああああ……!』

「しね」


 リィはちょくちょく脳ミソが腐る。いや。こいつには脳ミソなんてないんだが。

 俺とリィ、同じ風景を見ても、感じることは全く違うらしい。


 王宮は三層の城壁に囲まれている。

 王都に来るのはこれが数度目だが、外から見た景色と中から見た景色を組み合わせれば、城のおおよその構造は推測できる。

 まず、王城。国王のオズワルドや王女のアリシアなどの王族が住み、中央にある物見の塔には食料が蓄えられている。

 王城の壁の外に、貴族や重鎮用の邸宅がならぶ屋敷が並んでいる。クレアなどの大臣クラスが住む場所であり、二層目の城壁でぐるりと囲まれている。

 その外には堀があり、堀には跳ね橋がかけられており、跳ね橋の周囲は壁と城門とで隔てられている。

 城門をくぐって外に出ると、王都の街並みがある。商人や兵士、その家族が住み暮らしており、三層目の壁がある。この壁をくぐれると川と農耕地とが広がっている。


『ぬううううん』

「どうした?」

『ハル、すまぬ、すまぬぅ……』

「ん?」

『眠くなってもうた』

「珍しいな。いろいろあって疲れたんだろ。気にせず寝てりゃいい」

『そーする……ぐぅ……』


 お姫様が住む王族の居住区から出た俺たちは、クレアに先導されて城壁内の庭園を移動していた。


 今夜は、来客用のコテージに寝泊まりさせてもらえるらしい。


 道すがら、何度か近衛兵からいぶかしげな視線を向けられた。まあ、当然だろう。田舎出身の傭兵でございという格好をした俺が、火縄銃なんて時代遅れの武器を背負って歩いているのだ。完璧な不審者。クレアが居なければ秒で拘束されている。


 通路を進むうちに、人の気配が少なくなっていく。

 庭園を抜けた頃には、周囲に誰もいなくなっていた。


「ばーさん。何を渡したんだ? 顔色が変わってたぞ」


 人気(ひとけ)のないのを見計らって、俺は疑問を口にした。

 誰に、という言葉はあえてはぶく。もし他人に聞かれても問題ないように。


「簡単な暗号ですわ。貴方に話したことをまとめたものです」

「あの短い間に解読したのか」


 数秒だったぞ。


「聡明な方ですから」

「へえ。そいつはありがたいな」


 馬鹿よりかはずっといい。


「彼女の印象はいかがでしたか?」

「印象か……」


 どう、答えたらよいのか。

 先ほど会ったばかりのお姫様の姿を思い浮かべる。

 就寝用のさっぱりしたドレスに、化粧を落とした顔。見事な金髪と、蒼い瞳。やつれ、憂いを帯びていた様子だったのは、魔王サンと結婚させられることへの悩みからだろう。わずか十五歳、俺の妹と同じ歳の小娘が国家の命運を背負わされることに対して、同情がないでもなかった。


 だが――。

 目が合った瞬間に、俺は言葉を失っていた。

 挨拶の一つくらいはしようと思っていたが、何も喋れなくなってしまっていた。

 お姫様に抱いていた先入観だとか、感傷だとか、好奇心だとか、そういった感情が全て、粉々にされたからだ。


「ありゃ、特別な人間だな」

「ええ。とても健気で、美しくて、聡明な方ですわ」


 俺は軽く首を振る。

 クレアには分からないらしい。いや。分かった上で分からないふりをしているのかもしれない。

 確かに、綺麗な少女ではあった。

 砂金のようなプラチナブロンドの髪に、整った目鼻立ち。可憐という言葉そのままの美貌に、抜群のプロポーション。少し動いただけでゆさりと揺れるほどの大きな胸を持ちながら、腰はたおやかにくびれている。

 奴隷にして売ったら幾らの値がつくんだろうか、と、ちらりと頭によぎった。

 しかしそれも、お姫様のあの瞳を見返すまでだ。


「世の中広いもんだ。あんなのが人間の中にいるとは思ってなかった」

「あんなの?」

「羨ましいってことだ。俺なんぞには及びもつかねえ」

「羨ましい……?」


 聞き返すクレアばあさんは、やっぱり俺の言葉の意味が分かってないらしい。


「ばーさんよ。アンタはあの姫サンから何にも感じないのか?」

「何の話です?」

「感じるんだよ。俺すら及びもつかん()()()()()()があの姫サンには眠ってる。もちろん気のせいかもしれん。けどよ、感じるんだ。あの姫サンは、少し鍛えれば簡単に人間を大量虐殺できる。きっと天才だぜ」

「少し会わないうちに、貴方は――」


 もったいつけるように、クレアが言葉を切った。

 俺をにらんでいるのは、何でだろうか。わけがわからん。


「何だ? 言いたい事があるならハッキリ言ってくれ」

「ずいぶんと人間性を失っているのね……」


 人間性。

 それで金が稼げるなら、苦労はしない。

 そんなもので生き残れるのなら、苦労はしない。


「そういうアンタはあの姫サンにずいぶんと特別な感情があるみたいだな」

「マリアンヌ王妃――、アリシア様の母上に、私は救われたの」

「ふうん」


 なるべく無関心を装って、俺はそれ以上深くを尋ねなかった。この世には知らない方が良いこと、知れば命の危険を伴うことがある。暗殺者の家系に産まれたクレアの過去はその典型だろう。


 闇の中、松明の炎を頼りにして作物の植えられた区域を横切ると、小さな建物の前に着いた。


「簡素な作りですが、今日はあの宿に泊まってください。物資の手配はすぐに行います。旅費と手形の引き渡しは、明日の昼までには必ず」

「了解した」

「先ほど渡した滞在許可書は常に携帯しておいてください」

「分かってる。兵に誰何(すいか)されたときに出せねーと牢屋にぶちこまれるんだろう」

「ええ。それでは」

「ああと、待ってくれ。一ついいか?」

「何でしょう?」

「魔王サンは女だぜ」

「……」


 燃え尽きかけ、弱弱しくなってきた松明に照らされた顔は見づらかったが。

 クレアの形相は、凍りついていたと思う。


「魔王サン、つまりワルプルギスナハト陛下は女だ」

「ハル……あなた、おあたまはよろしくて?」

「おい。ガキの頃に拝謁(はいえつ)したことがあるっつっただろ」

「……本当ですか?」

「こんなことで嘘ついて俺に何の得があるんだ。村じゃあ陛下への悪質なデマをばらまいた奴はすぐにぶっ殺されるんだぜ」

「すみません、少し……考えさせてください。対応を、どうするか」

「ああ、そうだな」


 ふらふらとした足取りで、クレアが去っていった。


「どいつも、こいつも……」


 死神も、もうろくしたもんだ。


 俺は建物のドアを開けた。

 賓客(ひんきゃく)用、というよりは予備の使用人か兵士を寝泊りさせる程度の施設なのだろう。あるのは最低限の家具と物資だけだった。

 ベッドに羊毛製の毛布、防虫菊をいぶすためのガラス容器、コルクで蓋をされたエール酒の酒瓶にコップ。ガチガチに干からびたパン。それだけだ。


「ずいぶんとまあ、贅沢な夜だ……」


 それだけなのに、俺は軽く感動してしまう。

 最低限の家具がある、ということが素晴らしい。

 最低限すらもないのが当たり前だったからだ。

 何日ぶりだろう。普通の人間らしい待遇の中で睡眠をとるのは。


 戦場を点々とする俺たち傭兵にとって、天井と寝具つきの宿で眠れる機会はそうそうない。生活の大半は野宿だ。

 傭兵はその過酷な環境ゆえに、大半は身体のどこかを壊して死んでいくし、運よく大金を稼いだ者は早々に引退してしまう。有力な貴族から目をかけられ、仕官の口を見つけるなど今の時代ではもはや都市伝説だろう。


 運よく一山当てた奴は、たいていが土地を買って耕したり、商売を始めたりする。

 そこで失敗する奴も多い。

 大金を稼いだ直後に詐欺師に騙されて破産する奴の噂もちょくちょく聞くし、騙された経験を活かして自分が詐欺師になる輩もいる。

 恐ろしいことに、傭兵の転職先として最も多いのが盗賊なのだ。というより、傭兵は盗賊との兼職が多い。強盗、強姦、ゆすりにたかり、なんでもござれだ。


 普通の人間にとって、傭兵とは災厄の象徴だ。忌まれ、疎まれ、嫌われる存在。だから、グレードが一定以上の宿は傭兵の客をあからさまに嫌がる。最下級の傭兵ならなおさらだ。泊まれる宿なんて、ろくにない。


「うーん」


 フード付きの外套(がいとう)を外してベッドに寝転がり、手足を伸ばす。俺はクレアと打ち合わせした今回の作戦内容について検証し――ようとして、やはり眠ることにした。


「眠れる時に眠っておかねえとな」


 クレアとのやりとりで、心身が摩耗させられすぎた。

 疲れていると、ろくな考えが浮かばない。




 一方、その頃――


(公爵謀反、姫の暗殺を計画)


 ふかふかのベッドへ、つっぷす姿勢で寝ながら。

 アリシアは、復号した手紙の内容を、頭の中で反すうしていた。


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