甘い毒薬
ついに完結です。
あのクリスマスイブから数日が経った。
その間ずっと考えていたのはあたしと昴の関係をどうするかだ。
このままこの関係を続けていてもきっとあたしも昴もダメになってしまうだろう。
何よりも昴の愛が怖くて怖くて仕方がない。
昴の重たい愛をあたしは彼に返す自信はなかった。
悩んだ末にあたしは放課後に4階の空き教室に昴を呼び出した。
この偽りの関係を終わらせるためだ。
もちろんクリスマスにもらった指輪も返すつもりだ。
その日の天候は前も見えない猛吹雪だった。風が吹き荒び、室内にいても風の音が聞こえる。
まるであたしの不安を表すような嫌な天気だった。
教室に入ってきた昴に意を決して言う。
「昴、ごめん!もうやめよう。あたしに尽くしてくれてお姫様になれたのは嬉しかった。だけどあたし昴に何も返せない!昴を召使のようにしたいわけじゃなかった!」
昴の顔がみるみる青くなってくる。
「何も返さなくていいです!だけど嫌いにならないでください!俺もっともっとあずさ先輩に尽くします。先輩の言う通りにしますから!」
縋るような声だった。まるで飼い主に捨てられる犬のようだった。そんな昴の姿を見ていると胸が締めつけられるように苦しい。
「違うの!嫌いなんかじゃない。昴が尽くしてくれても、あたし昴に同じだけの想いを返してあげられない!」
「そんなの気にしなくていいっす!俺が好きでやってるだけなんだから!」
「だけど……」
「それともアイツがいいんですか?」
昴の声が一気に低くなる。
「え?」
「先輩の初恋の相手、赤城陽光って男がいいんですか?」
赤城陽光、それはあたしを初恋という名の痛みを残していった彼の名前だ。
だけどその名前は1度たりとも昴には話したことがなかった。
昴の目は据わっており剣呑な表情を見せる。いつも明るく笑う昴からは想像できない表情だった。
「なんでその名前……」
「鹿島先輩から聞きました。あの人めっちゃちょろいっすね、俺がちょっと聞いたらペラペラ喋りましたよ。あずさ先輩、あなたがいまだにその男に心を奪われているって事もご丁寧にね」
昴がハッと真由美を馬鹿にしたように笑う。
「名前さえわかれば後はちょっと調べれば色々分かりました。アイツの写真も見ました。ゾッとするくらい綺麗な顔した男っすね。あずさ先輩の好きそーな男ですね。だけどもう7年前に死んでるじゃないっすか!先輩に何もしてくれないんすよ!顔がいいだけじゃないっすか!絶対俺の方があずさ先輩を幸せにできる!!」
初めて聞く昴の攻撃的な口調に圧倒される。
昴の言葉が刃となって私を苛む。自覚はしていたけれど直接言われると心に来るものがある。
「それでも……」
「それでもあいつがいいんすか?そしたら俺が赤城になって見せます!俺がアイツになってあずさ先輩を幸せにしてみせる!!」
「えっ……どう言う事?アイツになるってどういう意味なの?」
「言葉のまんまです。俺が身も心もアイツになってやります。顔は金貯めて整形すればいい。目の色はコンタクトでどうにでもできる。性格は頑張ってヤツになり切って見せる。ただ性格は知らないからあずさ先輩から後でリサーチさせてもらいますけど。体型だって時間はかかるけどダイエットして華奢になるし、肌だって頑張って白くします。身長だけはどうにもできないっすけど」
昴なら間違いなく今言った事を全部する。彼はあたしに愛されるためならきっと言ったことを全部するだろう。
「そんなこと求めてない!昴があの人になるなんて求めてない!」
「でも先輩はそいづの事しか見でねぁ!先輩はお伽話のお姫様みだいに初恋のあの人ていう王子様しか見でいねぁんだ!お姫様になりだい?出会った時がら貴女はお姫様でしたよ。俺ににどってのめごいお姫様でしたし、悔しいぐれぁにあいづしか見でいねぁ一途な一途なおどぎ話のお姫様みだいでしたよ。俺だって本当は俺自身どごあずさ先輩さ見でもらいでえ!んだども貴女はぢっともおいどご見でやしねぁ!貴女、俺といる時、どっか上の空だった。アイツの事考えでだんだべ?おいが気がづがねぁで思ってだ?」
聞き慣れない方言で捲し立てられる。おそらく昴の本来の喋りがこれなのだろう。
「ごめん……」
こほんと昴が咳払いをする。
「すみません。言いすぎました。本題に戻りましょうか。先輩が望むなら俺はアイツに成り切って見せます。いいや、それだけじゃない。先輩が望むならなんだってできる。先輩のためなら借金まみれになってもいいし、病気になったら俺の臓器あげます。先輩のためならこの命だって惜しくはない。……でも口だけじゃ信じられないっすよね。だから今から証明してあげます」
再び標準語に戻るけれど興奮してるのかイントネーションだけは向こうのものだ。
そう言って彼は窓を開けて身を乗り出す。
外は猛吹雪で風邪と雪が容赦なく教室に入り込んでくる。
冬で雪が積もっているとは言ってもこの高さから転落して無事なはずがない。
このままだと間違いなく大怪我する。最悪死んでしまう。
「先輩のためなら4階の教室からでも飛び降りられます。先輩の愛を得るためなら俺はなんだってできる」
今までの尽くし具合を見ていたからわかる。このままだと昴は躊躇いなく飛び降りるだろう。
あたしは思わず叫んでいた。
「やめて!昴の気持ちはわかった!あたしの負けだよ。別れるのはやめよう!そしてお試しもやめよう。本気で付き合おう!あたしを彼の事忘れるくらいに愛して!」
その言葉を聞いた途端に昴は身を乗り出すのをやめる。そしてあたしに早足で近づいてくる。
「本当ですか。嬉しい。俺、先輩にもっと、もーっと尽くしますね。アイツの事忘れるくらいに俺を先輩に刻み付けます。先輩が溺れるくらいに愛します。だから先輩、今すぐじゃなくてもいい。いつか俺を愛してくださいね」
昴は恍惚とした笑みを浮かべて力強くあたしを抱きしめた。
そしてあたしはこの日をきっかけに初恋の思い出を捨てようと決めたのだった。
そして今いる彼を愛していくと決意した。
あの告白から3年が経ち、あたし達は大学生になった。
昴もあたしも大学は一緒で未だに先輩後輩兼恋人と言う関係は続いている。
昴は情緒が安定していれば理想の恋人そのものだろう。浮気はしない。容姿もいい。何よりも優しくて気が利く。
そのため昴に不満を抱くことなく恋人という関係を続ける事ができた。
ただ、あたしが少しでも昴を嫌ったり離れるそぶりを見せると彼は取り乱す。
「あずさ先輩、捨てないで。俺を見捨てないで、もっともっと尽くすから」
青い瞳から大粒の涙を零し、自分よりもずっと小さい女に縋る彼の姿は悲痛だった。
大学に関しては昴があたしを追ってきたというのが正しいだろう。
昴ならもっといい大学に進学できたはずだ。派手な外見と言動の割に彼は意外と堅実で真面目だ。
高校時代の成績だって上から数えた方が早かったらしい。
それでも昴はあたしのいる大学に進学した。しかも学部も学科もあたしと全く同じだ。
進学という人生の岐路に関わる重大な選択をあたしに合わせていいのかと訊いた。
「あずさ先輩と離れるのは俺にとっては人生にも関わる事なんです」
そう返され、何も言えなかった。
あたしは昴の愛に負けた。
昴は有言実行通りあたしの心に強く自分という存在を刻みつけた。
昴は未だにあたしをお姫様のように扱う。
あのお試しの時ほど過剰ではないが世間一般で言えば間違いなく溺愛の部類に入る。
あたしは昴のそんな愛に少しずつ溺れて行った。
昴といると何もできなくなりそうで怖かった。
いや、既にそうなっているのかもしれない。
お姉ちゃんが言っていた言葉を思い出す。
「恋は甘い毒薬」
本当にその通りだ。昴から向けられる恋情は遅効性の毒薬のように少しずつ私を蝕んでいった。
それでもあたしはその甘い毒に酔いしれて、手放す事ができなくなってしまうのだろう。
無事に完結しました。
明るい女の子と男の子の話だったのにどこか仄暗い執着物語になってしまいました。
それでも2人はなんだかんだで幸せになります。