其の三
「マジ!?」
「うん。」
早めに夜勤が終わり、深夜のファミリーレストランで二人、始発までの時間をドリンクバーで静かに潰す。郊外の為か、店内には客も少なく、始発までの時間も随分とあり、俺は現場で一緒だったバイト仲間の三木に、歌舞伎町での話を聞いてもらっていた。
「それ、ぼったくられてねぇか?」
「まぁ、こうして話してみるとそうだな。」
「で、話の続きは出来たのかよ?」
テーブルに置かれたドリンクグラスを手に取り、赤いストローをくるくると指で回しながら三木は俺に話し掛ける。
「うん。映画の話、音楽の話、結構色々と話したよ。今、専門学校に通ってるらしい。」
俺もテーブルに置かれた自身のドリンクグラスを手に取り、ストローを口に当て、一口ドリンクを口にする。すると椅子にもたれかかったような格好をして三木は、
「ふーん。で、やることやったのかよ?」
と、下品な表情をしながらニタリと笑って俺に尋ねる。俺はその言葉を聞いて、口にしたストローでドリンクを吹かしそうになりながら、
「そこまで言う必要ねぇだろ!」
と、焦ったような口調で三木に向かって俺が言うと、
「お前さぁ。金払ってんだし、普通はするの。それを変に気を使って、また料金払ってその子に会うって、完全にカモじゃん。ピュアだねぇー、お前は。」
呆れ顔で笑う三木の表情を見ながら俺は、
「うるせぇなぁ。自分こそ、最近どうなんだよ?」
と、少し小声になりながら、話を三木の話題に切り替えた。
「俺?今度、舞台決まったから、その稽古中よ。また来てくれよな。」
自信満々の表情をする三木に対して俺は、
「へぇー、そうなんだ。言ってもちょい役だろ?金が勿体ねぇよ。」
と、少し嫌みを込めた言葉で言い返す。すると、
「なっ、ちゃんと役名もありますぅー。結構、良い役柄ですぅー。」
と、三木も強気な態度で言い返す。
「どんな舞台?」
手に取ったドリンクグラスの青いストローに手を当て、俺はまたストローを口元に運ぶ。
「新撰組の話。沖田総司が主人公のラヴストーリーよ。」
三木の話に食い付くのは俺の主義ではないが、割と歴史好きの俺は、
「じゃあ、新撰組の隊士役?」
と、お互いにドリンクグラスを片手に、テーブルへ前のめりになりながら、人のいない店内で何故か小声になって会話する。
「斎藤一です。」
自慢げな表情をして三木は深く椅子にもたれ掛かる。
「マジ!?似合わねぇー。」
と、そう言って、さっきのお返しとばかりに俺が笑い飛ばすと、
「うっせぇなぁ。」
と、テーブルに前のめりになって険しい表情で俺に向かって睨みを利かしす。と、同時に俺は椅子へともたれ掛かり、
「けど良い役じゃん。新撰組は好きだからさ、また観に行くよ。」
そう言って、またドリンクグラスのストローを口に当て一口ドリンクを飲む。俺の言葉を聞いた三木は、
「言ったな!頼んだぞ。チケット捌くの大変なんだよ。」
と、一気に安堵したような表情を見せた。その三木の表情を見ながら俺は一言、
「おう。」
と言ってストローを口に当てる。メロンソーダーとホワイトウォーターの混ざった味が、ジワジワっと口の中に広がって行く。
「寒いなぁ。」
レストランを出ると、一気に二人の身体が縮こまる。俺達は始発まで時間もある事から交通費を稼ぐ為、衣笠駅から横須賀駅までの一駅を歩く事にした。頭がズキズキする寒さの中を三木の吹かした煙草の煙が、車のランプに追い越され、真冬の衣笠通りに散らかる。二人、見知らぬ街の見知らぬ県道をなぞるようにして、何も語ることなく深い闇夜へと消えて行く。途中見かけた自販機のホットコーヒーを、ひっそりとジャケットのポッケに忍ばせながら。
「こんちは。」
ドアを開け「LUNA LUNA」の室内を見渡すと、見かけない顔の若い女性店員さんが一人、机の椅子を並べて整えている。どうやら開店の準備中のようだ。その店員さんらしき女性が、俺に気づくと、
「あっ、こんにちは。」
と、そう言って満面の笑みで俺の方に駆け寄る。
「出演者の方ですね。少し待ってて下さい。」
彼女はそういうと、階段の方に駆け寄り、階段下から、
「久保さん!出演者の方が来られました!」
と大きな声で二階に向かって声を掛ける。すると、久保さんの「了解!」の声が楽屋部屋から聞こえ、しばらくすると二階の楽屋部屋から久保さんの姿が現れ、カタンカタンと階段を降りる音とともに久保さんがこちらへ向かって降りてくる。
「こんにちは。来るの早いね。」
そう言って久保さんが驚いた表情をしながら俺の方へ来ると、俺は、
「そりゃあ、今日で会うの最後なんですから早く来ますよ。」
俺がそう言うと、
「そっか。ちょっとまだ準備中だから、少し待ってて。準備終わったら、少し話そう。」
久保さんはそう言って、女性店員さんと二人で準備を続ける。久保さんはカウンターの横のミキサールームに入ると、彼女を呼び、機材の扱い方などをレクチャーしている。おそらく、音響の新顔さんなのだろう。俺はテーブル前に置かれた木目調の客椅子に座って二人が準備する姿を見ていた。久保さんから音響の専門用語や周波数の数値などを聞きながら、彼女はステージ上に向かうと、一人マイクスタンドを立て、そのマイクスタンドに付けたマイクの音響チェック「マイクテスト」を始めた。
「アッ、アッ、アッ、アッ。マイクチェック。マイクチェック。1、2、1、2。」
彼女の声がスピーカーから室内へと広がる。
「チェッ、チェッ、チェッ、チェッ。」
と、時に彼女は舌を鳴らすような音を出してみたり、
「ツー、ツー、ツー。」
と、歯の隙間から出すような音を出してみたり、
「アァー、ア。」
と、声を延ばしながら強弱を付けるなど、様々な声の出し方、方法でマイクテストを彼女は続ける。久保さんは終始、ミキサールームからマイクを使って、彼女の発した声の音の周波数や機材の摘みの値などを説明し、彼女も、ミキサールームに戻っては久保さんから説明や話しを聞いて、またステージに戻ってはマイクテストを繰り返す。彼女はその作業を何度も何度も繰り返し行っていた。入念に何度も声を出し確認する彼女の姿に、俺は大変な仕事だなと感心しながら、一人その光景を眺めていた。
音響チェックも終わり、久保さんが俺の座るテーブルへとやっと来てくれた。俺が席を立つと、
「お待たせ。なんか突然の事でごめんね。嘘を付くつもりはなかったんだよ。けど、言いにくくてね。」
久保さんが俺に向かって謝罪すると、
「それはいいんですけど、やっぱり驚きますよ。忘年会の後、割とすぐだったし。全然、気付かなかったですから。」
「実はもうあの時は決まってたの。けど、うちの店員にもまだ言ってなかったから。気づかないよね、そりゃ。」
久保さんは苦笑いしながらも、明るく俺に接しながら話してくれた。そして、俺はミキサールームの方をちらっと見ながら久保さんに、
「新しい音響さんですか?」
と、ミキサールームにいる新顔の女性店員さんについて尋ねてみる。すると、
「あっ、そうだ。まだ紹介してなかったね。ちょっとこっちに来て!坂井君に紹介するから!」
そう言って久保さんは、ミキサールームに向かって手招きをし、こちらの方へと彼女を呼び寄せた。
「実は今日からなんだけど、俺の変わりに副店長として勤める事になったヒメノさんです。今日は引き継ぎも兼ねて来てもらっているんだけどね。」
久保さんの横に立つその彼女と目があった瞬間、俺の身体に電流が走ったような妙な感覚を覚えた。そして硬直したままの俺の脳裏をある言葉が瞬時に走った。その言葉は、俺にとって人との出逢いで初めて出てきた言葉だった。その言葉の意味を深く考える間もなく、彼女の方から、
「初めまして、ヒメノと言います。よろしくお願いします。少し、久保さんからはお話聞きました。」
そう、久保さんの顔を伺いながら、快活な表情で俺に向かって丁寧に挨拶をしてくれた。黒いロックTシャツにジーンズ姿、少し茶色く染まったショートボブの似合う、猫のように大きな眼が印象的なそんな彼女に向かって、
「坂井です。こちらこそよろしくお願いします。」
緊張と少しの違和感が走る、そんな2月の終わり。