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タイトル(仮)  作者: 川合夏樹
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其の一


「プッシュー、、、ガシャッン。」


御茶ノ水駅上りホームに扉の開く音が聞こえると、人々の足音が一斉に交差する。先頭車両からホームに降りた俺の足元を、冷たい夜風が出迎えた。安っぽいギターケースを肩に震わせ、ふっと吐いた溜め息は、階段をつたい、改札口を過ぎて、賑やかなこの御茶ノ水の街へと消えていく。交差点のランプが変わるのを待つその時間、俺はここへ来るまでの一日を振り返った。散らかった部屋、換気扇の音、TV番組の声。ベッドの上に転がって、一人、天井をじっと眺めていた。すると、oasisの「Champagne Supernova」を聴いているかのように俺の意識は、さも天井や屋根をも越えて、この広い宇宙の彼方へと浮上して行く。漂いながら、さまよいながら。そう、この聖橋から観える星空のように、その場所は綺麗だった。そんな退屈な一日を振り返りながら橋を渡ると、大学前のイチョウ並木もすっかり枝木に変わり、レンガ模様の通りには冬を告げ、俺の心にも淋しさを告げる。そこへ、横槍に入ってくる人々の笑顔も、たわいもない会話も、まだ俺の心には受け入れられずにいた。そう、彼女に振られたのだ。空き缶のように空っぽのままで、どうして俺はここへ来たのかとそう心に問う。答えは簡単。行く場所があるからだ。そして何より、今宵は大晦日。今年最後の夜だから。



本郷通りを曲がって、道を真っ直ぐ。左手に見えてきたレトロな洋風の街灯と小さな看板が目印。音楽がしたくて東京へ出て来て早二年。一番最初に出演させてもらったライブハウスがこの「LUNA LUNA」だ。キャパは最大80人程の小さな「箱」。街の隠れ家的な佇まいのこのライブハウスと俺との出逢いは偶然だった。最初、小さな音楽事務所主催のライブに参加させてもらったのがきっかけ。その時の開催場所が、この「LUNA LUNA」だった。その後、何度か足を運んでいるうちに、個人的にも出演させてもらうようになった。木製の扉に施された「LUNA LUNA」という錆びた鉄製の文字の装飾が、扉の向こう側を想像させる。扉を開けると、地下へと誘う短い階段が顔を出し、その狭い階段スペースの壁周りには、告知ポスターやチラシなどが辺り一面に貼られていて、いかにも「ライブハウス」という印象だ。ギターを担ぎながらその階段をゆっくり降りる度、一段一段、木の軋む音が溢れ、そしてもう一つ木製の扉が姿を現す。その扉をすっと開くと、薄暗い地下の空間から洩れいる木洩れ日のようにライブハウス「LUNA LUNA」は俺を招き入れた。と同時に、騒がしい声と熱気がこの冷えた身体を一気に包んだ。まずは一言、


「こんばんは。」

ドアの方へと視線が集まる。

ステージ下のウッド調の机に肩を並べ、皆、酒やつまみを口にはしているが、まだ始まったばかりという印象だ。


「坂井さーん、こんばんは!」

まずはいち早く、スタッフの栗田君が大きく手を振って迎えてくれた。


「来てくれたんですね。嬉しいです。ありがとうございます。」

栗田君は自分の座っている席の横へ俺を促した。ギターケースやカバンを下ろしながら、木箱ようなの四角い木目椅子に俺は腰掛け、


「声かけてくれてありがとう。一人で家にいても寂しさの上塗りだからさ。お言葉に甘えちゃった。」

栗田君はまだ色々と準備中らしく、慌ただしくライブハウス内を動き回っている。そして、


「まずは何か飲み物注文して下さいよ。」

ドアの真横にあるミキサールーム兼バーカウンターに入った栗田君は笑顔で俺を手招いた。俺がカウンターに着くと栗田君はメニュー表を俺に手渡してくれた。ドリンク系からオリジナルカクテルなどのお酒類まで、たくさんのドリンクメニューが書かれていて迷うところだが、


「じゃあー、最初だし、カシスオレンジで。」

カウンター越しに俺は、栗田君にドリンクの注文をした。すると栗田君は驚いた表情で、


「珍しいですね。坂井さんがお酒頼むの。」

普段、お酒に弱い体質で、ライブ出演後の打ち上げでも全く飲まない自分だが今日は特別。


「大晦日だし、忘年会だし。」

にっと作った笑顔のまま、俺はグラスに注がれたカシスオレンジを栗田君から受け取った。


「今日は楽しみましょう!ガンガン飲んで下さいよ!」

栗田君も自分用に作ったカクテルを持って、カウンター越しにお互い乾杯をした。一口くちにして俺は一言、


「ありがとう。」

単純に身体が温かくなった。



「あっそうそう、久保さん上にいるので。」

栗田君は上を指差しながらお酒を一気に飲み干し、他のスタッフと一緒にまた準備作業を始めた。


「わかった。挨拶してくるよ。」

ステージ手前右手側にある手すり付きの鉄製の階段を上ると、演者の楽屋兼スタッフのパソコンルームとして利用されている部屋が一室ある。久保さんはそこにいるようだ。俺は階段を上ると楽屋部屋の前で足を止め、部屋のドアをノックした。ドア越しに薄らと「どうぞ。」と声が聞こえた。


「失礼します。」

ドアを開けると、お世辞にも広いとは言えないお座敷の楽屋奥、仕切りを挟んだスタッフの作業用パソコンルームで、久保さんはパソコンを触って仕事をしていた。


「あっ、坂井君。来てくれたんだ。」

久保さんは作業を止めて、俺の顔を見ながら笑顔で話しかけてくれた。久保さんは「LUNA LUNA」の副店長兼ブッキングスタッフとして携わられているベテラン男性スタッフ。いつもライブ出演時にお世話になっている人で、俺に最初にライブ出演の声をかけてくれた人だ。


「はい。今日は声かけてもらってありがとうございます。」


「自分もすぐ下行くから。今日は楽しんでいってね。」


「はい、ありがとうございます。失礼します。」

ドアを閉め、手すりを持ちながら階段を降りると、何やら机の方からいい匂いがしてきた。


「お鍋の準備出来たんで。こっち来て食べましょー。」

手招く栗田君達スタッフさんが用意したお手製お鍋が二つ並び、ガスコンロの火を付け、具材をお鍋に入れていた。お鍋は韓国風チゲ鍋と和風豆乳鍋。そしてその横の机には、たこ焼き器が置かれ、今日来ている演者さんやその友人の人達がたこ焼きを焼いている。


「たこ焼きとか久しぶりに食べますよ。」

今日初めて会う演者さんらしき男性に声をかけると、


「栗田にたこ焼き器持って来るように頼まれてさ。持って来たはいいけど、なんで俺が最初から全部作る訳?ねぇ栗田君?」

少し嫌みな言い方で栗田君に呼び掛けると、


「そう言いながらも心よく作ってくれるのが初田さんじゃないですか。あざーす!」

栗田君がお礼を言いながら頭を下げると笑いが起こった。


「まぁ、たこ焼きパーティーでいつも作ってるから嫌じゃないけど。たこ焼き器まで持って来さすかね?」


「これ持って来たんですか?」

俺がそう聞くと、


「そう。で、持って来たら作ってくれだって。酷くねぇ?」

それを聞いて俺は笑いながら、


「栗田君らしいですね。けど、美味しそうだし楽しみです。」


「タコ以外の具材もあるから、飽きずに食べれると思うよ。」


「忘年会ぽくっていいですね。挨拶遅れました。坂井っていいます。よろしくお願いします。」


「初田です。こちらこそよろしく。」

一通り、今日来られている演者の方々やスタッフさんへの挨拶を終え、席に着くと、


「じゃあ、とりあえず久保さんも降りて来たので、皆さん乾杯しましょう。」

栗田君の号令の下、皆椅子に座り、机を囲んでグラスを手に持った。


「では久保さん、お願いします。」

栗田君が久保さんに挨拶を委ねると、久保さんは席を立ち、


「えー、今年一年、『LUNA LUNA』をご利用頂き、誠にありがとうございました。今日は夜22時までオープンマイクで歌いまくってもらって結構です。スタッフ共々、今日は朝まで飲み明かしましょう。今年一年お疲れ様でした。乾杯!」


「乾杯!」

グラスの音色が机を囲んだ。


「じゃ、オープンマイクスタートです!最初誰がいきます?」

栗田君が皆の顔を伺うと、


「じゃ、俺いくわ。」

小さく手を上げ席を立った初田さんは、ギターケースを開け、使い込んだアコースティックギターを取り出すと、ギター片手にステージへと上がった。そしてPA(音響スタッフ)さんがステージ準備を手伝いに向かい、演奏準備が整うとミキサールームに下がったPAさんがマイクとギターのサウンドチェックを初田さんに促した。短くチェックを終えた初田さんは、スタンドマイクに向かって、


「トップバッターやらせてもらいます!初田ゴロウと申します!初めましての方もそうじゃない方も、俺とこの『LUNA LUNA』を今後ともどうぞよろしく!」

初田さんの熱い一言に、ステージへ向かって皆の拍手が広がる。


「じゃ、一曲!」

アンプから聴こえる荒々しいアコースティックギターの音が、一瞬で室内の空気を変えた。シャウトしながら唄う初田さんのロックブルースを聴きながら、今宵のオープンマイクが始まった。


オープンマイクは、演者が入れ替わり立ち替わりステージに上がって、自由に好きなだけ演奏して唄うというライブスタイルで、当然、一人じゃなくてもOK。普段別々に活動しているアーティスト同士がカバー曲を一緒に演奏したり、酔った勢いでスタッフさんがステージで唄うなんて事も楽しみの一つ。


「そろそろ坂井さんも一曲聴きたいなぁ。どうです?」

栗田君が俺に合いの手を入れてくれたが、まったくテンションが乗らない。俺はまだライブする気持ちにまで心が高揚していなかった。


「もう少し後にするよ。ありがとう。」

グラスに残ったカシスオレンジを俺は一気に飲み干した。


「もう一杯頼める?」

苦悶の表情で、空のグラスを栗田君に向けると、


「カシスオレンジでいいですか?」

グラスを受け取ろうとする栗田君に間髪入れず、


「ウー烏龍茶で。」

そう言うと、栗田君は笑顔でグラスを受け取った。


一通り来客したアーティストの方々の演奏が一巡し、いよいよ俺だけが演奏していない状態となった。俺待ちの空気が漂う中、


「笹野さん、お願いします!」

待ってましたとばかりに栗田君が、俺の背中を押すようにしてステージへと手招く。グラスを机に置き、俺はアコースティックギターを手に持って、渋々ステージへと上がった。そして、演奏準備を終えてセットされた椅子に座り、マイクに向かって俺は語りかけた。


「どうも、坂井パンダと申します。どうぞよろしくお願いします。」

静かに始まった語りを切り裂くかのように、栗田君達の温かい拍手が俺を迎えてくれた。それなのに、俺はどうしても演奏をする気持ちになれずにいる。そして追い詰められたかのように俺は、


「今年、初めてこの『LUNA LUNA』でライブさせてもらって、久保さんにも声をかけて頂いて、すごく良い一年で終わるなって思ってたんですよ。先月までは。」

俺は一呼吸おいて、話しを続ける。


「実は今月、彼女に振られまして。まぁ自分が悪いんですけど。遠距離でなかなか会えずで、うん。わかってたんですよ、きっとこうなるだろうって。覚悟してたはずなのに、実際にそうなるとやっぱきつくて。」

音をたてたように「LUNA LUNA」は、静まり返った。


「言うべき事じゃないし、皆さんが作ってくれたこの空気をブチ壊すから、最低なんですけど、言わないと来年に向かえない自分がいて。本当、すいません。」

俺は、謝る事しか出来なかった。こんな話、誰一人聞きたくないだろう。どうしてこんな話をしてしまったんだろう、後悔の念に苛まれそうになった次の瞬間、


「よく言った!頑張れ!」

初田さんが、一人、大きな拍手と声援で俺を励ましてくれた。そしてその瞬間、一気に俺の中のスイッチが入る音が聴こえた。


「ありがとうございます。ですので、今年の事をきっぱり忘れる為、来年から、本名の『坂井優心』で活動して行きます。新たな気持ちで来年を迎える為にも、一曲演らせて頂きます。では『少年ライン』!」


勢い良く、ギターをかき鳴らして、オリジナルのアップテンポなロックナンバーを弾き出すと、俺の心は開放され、ネガティブなマインドは消えて行く。瞬間的でもいい。音楽という不思議なパワーを感じながら、俺は今年ラストの演奏を終えた。あっという間のステージ。その場所から聞こえた拍手の音は、とても温かいものだった。申し訳なくギターを手に、ステージを降りた俺を、栗田君が迎えてくれた。


「お疲れ様です。良かったですよ。」

その言葉に少し救われた。


「ごめんね、本当。」

ギターを片付けながらそう話すと、


「来年から本当に名前変えちゃうんですか?」

驚きの表情を浮かべた栗田君に対して、俺は大きく頷いてみせた。


「ネガティブトークからのポジティブソングで、振り幅デカくて結果、良かったよ。」

笑顔で初田さんも俺の肩を叩いて席に迎えてくれた。すると、


「じゃあ、僕もいきますか。」

栗田君も自身のギターを手に取り、分厚いスコアブックを手に持って、ステージへと上がった。そして「90年代Jポップ名曲カヴァータイム」と銘打って、皆で名曲を歌おうとステージ上から呼びかけた。スピッツの「チェリー」やウルフルズの「バンザイ!」などの曲を大合唱しながら盛り上がる。そうこうしているうちに、気付くと時刻は22時を迎えていた。


「えー、22時になったのでステージは使えませんが、アコギは弾いてもらって構いませんので。」

栗田君のカヴァータイムは、ステージを降りても続き、初田さん達もこぞってカヴァー曲を演奏。室内の内装も相まって、まるで森の音楽隊のようなアットホームな空間がステージ下に生まれていた。そんな宴も終わりに近づき、スタッフさん達が机の上を片付け始めると、俺達もコップや皿を運ぶのを手伝い始めた。


「そろそろ今年も終わっちゃいますね。」

片付けながら聞こえた栗田君の一言で俺は携帯を見ると、今年もあと30分程となっていた。


「カウントダウンしましょうね。」

布巾で机を拭く栗田君の言葉に、


「マジ!?ハズくねぇ?」

と、初田さんが反応する。矢継ぎ早に皆で片付けを済ませると、栗田君は携帯を取り出し、画面をみながら、


「そろそろ10分前か。皆さーん、集まって下さーい。」

栗田君を囲むように、きれいになった机の前に集まり、携帯電話で時報を聴く。リラックスし、談笑しながら、そろそろ5分前に差し掛かった辺りで室内の空気が変わる。そして、


「あと3分。」

時報の音がループする空間に、自ずと緊張感が高まる。


「あと1分。30秒前からカウントダウン始めましょう。」

いよいよカウントダウン。


「30。29、28、27…」

時報に声を合わせる。そして、


「…10、9、8、7」

掛け声が大きくなる。


「6、5、4、3」

皆が顔を合わせ見る。


「2、1」

時が止まる。次の瞬間、


「『HAPPY NEW YEAR』!!」

「明けましておめでとう!!」


歓声と拍手、笑顔がその場にはじける。「LUNA LUNA」で迎える新たな一年を俺達は噛み締めていた。


すると開口一番、栗田君が


「初詣どうします?」

と、俺達に聞いてくる。


「そうだね、行こうよ。」

乗り気な姿勢で真っ先に応えた初田さんにつられるようにして俺も頷く。


「ここらへんだと、神田明神が有名ですけど、絶対人多いでしょ?」

栗田君がそう言うと、少し離れた場所から聞いていた久保さんが、


「湯島天神も近いよ。そっちの方が少し人はマシかも。」

と、冷静に俺達に助言してくれた。


「じゃあ、湯島天神にしますか!?」

初詣の場所が決まると、皆、厚着を着込んで外に出る準備を始めた。当初、留守番をして待っていると話していた久保さんも、栗田君らの説得で一緒に行く事になった。店の扉を開けて外へ出ると、俺達を待ち構えていたかのように、つむじ風がヒュッと頬を刺した。


「寒みー。」

腕をさすりながら、俺達は店前の歩道に出て、久保さんが店の鍵を閉めるのを待っていた。


「お待たせ。じゃあ、行こうか。」

久保さんを案内役に、駅とは逆に向かって俺達は歩き始めた。しばらくすると、来たことのない大きな通りに出た。夜も更け、静けさが勝る「蔵前橋通り」を歩く人の数は少ない。交差点の信号を待つ俺達を、切り裂くようなバイクの音が鮮明に耳に残る。いつも観ている姿とは少し違う御茶ノ水の姿がそこにはあった。交差点を渡って夜道を進むと、十字路にさしかかる。その十字路を曲がって、湯島天神へと繋がる清水坂を上っていく。静けさと高揚感が交差するこの坂を、俺達は淡々と歩き続ける。口数も少なくなってゆく辺りで、ぽつりぽつりと人影が夜道に浮かぶ。その奥の方に、ぼんやりと出店屋台の灯りが灯る。その灯りに包まれて、俺達を含めた参拝者が、湯島天神の鳥居の方へと導かれるように吸い寄せられた。大きな鳥居をくぐり、境内へ入ると、頭上を「謹・賀・新・年」と書かれた提灯灯籠が迎え、参道に沿って出店屋台が連なり、既に人々は群集と化し賑わいを見せる。その先に見える、紅白幕と灯りに照らされた拝殿に向かって人々は列を成し、俺達も参列する。徐々に拝殿前へと近づいてくると、俺は財布から小銭を取り出し、お賽銭の準備を始めた。前を並ぶ栗田君や久保さん達が、先に拝殿へのお賽銭を終えると、いよいよ俺と初田さん達の番が来る。賽銭箱にお賽銭をし、手を合わせて拝もうとすると、横で初田さんが二礼二拍手一礼をする姿が見えた。俺もそれを真似て二礼二拍手し、手を合わせる。「今年は良い年でありますように。」短い願いを心で述べ一礼し、俺は足早に拝殿を後にした。そして皆と合流し、初詣のもう一つの楽しみ、おみくじを引きに皆で向かう。「縁起物・おみくじ」と表示された場所には、おみくじ箱が数個置かれており、その箱に直接お金を入れ、箱に入ったおみくじの紙を自ら引くというセルフスタイルのおみくじだ。お金を入れ、おみくじ箱に手を突っ込み、中のおみくじの紙をかき回しながら、俺はこれだという直感を信じておみくじを引いた。その引いたおみくじを手に握り締め、少し皆とは離れておみくじを開いた。書かれていたのは「末吉」の文字。良いのか悪いのか、少し微妙な内容の文面に俺は、「凶よりマシか。」と素直に思った。すると、


「やった、大吉!」

栗田君の歓声が耳に入り、おみくじを握った手をすぐさまポケットにしまい込み、俺は栗田君の方へ向かった。


「いいなぁ。」

心の底からその言葉がこぼれ出た。


「坂井さんはどうでした?」

興味津々な表情で聞いてくる栗田君に対し俺は、


「末吉。まぁ、凶じゃなくて良かったよ。」

沢山のおみくじが結ばれた境内の紐縄に、各々おみくじを結び、俺達は境内を出て、湯島天神を後にする。余韻が残る静かな帰り道、俺はポケットから、小さな青色の紙を取り出した。初詣の参拝前に、出店屋台で気になって買っていた「誕生日占いみくじ」なるものだ。縦に生まれ月、横に日にちが書かれた大きなケースにずらっとおみくじが並び、自分でお金をそのケースに入れ、自身の誕生日の所に入ったおみくじを引くというセルフ形式のものだ。まだ初詣もしていない俺が、こんなのを先に引いてどうすると思っていたが、結果的に湯島天神のおみくじが、この占いみくじの価値を少し楽しみなものへとしてくれた。みくじを開くと、書かれた内容はおみくじというよりも占いに近く、今年一年の運勢が記されいる。その文面内容は、これまた良いのか悪いのかよく判断がつかないもので、要するに結果、今年一年の俺の運勢は末吉で間違いなさそうだ。肩を落とし、文面を読み進める中、俺は自然と恋愛の項目へと目が行った。そこには、『出逢いあり。良き月 2月。』とそう記されていた。それを見て俺は、


「2月って、もう来月やん。」


今年一年、新たな出逢いがほぼ無いであろう事を悟った俺は、真夜中の清水坂を転がるようにして足を進める。溜め息を、明けぬ夜空へ吹き上げながら。

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