[2]
「めのちゃん、めのちゃん……」
聞こえる、わたしの名を呼ぶ透き通った声。
「めのちゃん、めのちゃん……起きて、起きて」
柔らかい優しい少年のような声。──誰? 聞いたこともない声なのに、不思議ね……とても懐かしい。
「めのちゃん、めのちゃん……ボクだよ、こはく」
──え? こはく??
わたしはその名に驚いて瞼を開いた。パッチリと見開いた刹那、慌てて再び目を瞑る。どうしてって、ビックリするほど光が溢れて眩しかったからだ。
「大丈夫? めのちゃん。でも……大丈夫だったらココにはいないと思うけどね」
「え?」
少しずつ機能していく視線の先は、琥珀色の世界だった。いえ、違う。こはく、だ。こはくが目の前でわたしを見詰めている! 僅かに首を傾げて、わたしの具合を探っているような、その表情は心配しているようにも見えた。
「こ、こはく!!」
わたしは勢い良く身を起こし、こはくにひっしと抱きついていた。ってことは、わたしは横になっていたんだね。気を失っていたんだろうか? 今この瞬間のその前までを、思い出そうとしても記憶がない。
触れる掌の感覚は、ずっと知っていたゴツゴツとした甲羅の肌触り。頬に触れるこはくの首筋がひんやりと気持ち良い。それは一定の間隔で波を打って、こはくの息遣いが、こはくが生きているのだと、身をもって感じることが出来た。
「こはく、会いたかった……生き返ってくれたのね!」
涙混じりのわたしの声に、
「……違うよ、めのちゃん。めのちゃんが、ボクの世界に来たんだ。めのちゃんが……死んだんだよ……」
「……え?」
おもむろに体勢を戻して、こはくの悲しそうな瞳を見た。わたし……死んだの? そう、だよね……こはくがいて、それも言葉を話すなんて、普通だったら有り得ないもの!
「どうして……死んじゃったんだよ。めのちゃんには、ボクの分まで生きてほしかったのに」
「ご、ごめん……」
かち合った目線を外して下を向く。わたし、一体どうしてしまったんだろう……それとも、こはくと一緒にいたいという想いが、わたしをここへ導いたというの?
「とにかく行こう、めのちゃん。エンマ様も待っているから。さぁ、ボクの上に乗って」
「え……えんま、さま??」
わたしの気を取り直そうとしてくれたのか、微かに明るい声を上げるこはく。その声色と内容に驚いて、咄嗟に顔をもたげたわたしの前には、もう背を向けてこちらを振り返るこはくがいた。
「乗って……いいの?」
立ち上がり恐る恐る問い掛ける。
「もちろんだよ。めのちゃんは十二年、ボクをたくさん可愛がってくれて、この一年もずっと忘れずにいてくれた。せめてこの『虹の橋』を渡る時くらい、一緒に『甲羅散歩』を楽しもう!」
「う、うん!」
こはくに集中させていた視界を広げてみれば、鮮やかに光る七色の道が見えた。きっとこの『虹の橋』が眩しかったんだね。わたしはそっとこはくの甲羅に跨る。わたしが小さい頃にはこはくもまだ小さかったから、わたしは公園の子供達のようにはこはくの上に乗れなかった。まさかそんな不可能なことが、こうして『あの世』で実現出来るだなんて!!
「行くよーめのちゃん! 良くつかまっていて!!」
「大丈夫だよ、こはく!」
──わたしはもう二度と、あなたを離したりなんてしないから。
こはくが『虹の橋』に一歩を踏み出した。弓なりにのぼっていく七色の道。のっしのっしと揺れる度、周りの青空が上下に振れる。
このままずっとこはくと旅をしたいくらいだ!
爽やかな風にまとわれて、こはくとわたしは虹を渡った──。