第63話 補習中
長らくお待たせしました
第四章第一話です
あとがきに次の投稿予定を記載しているので是非目を通してください
『記録よりも記憶に残せ
そんなものは欺瞞だ
記録と記憶に優劣をつける時点で間違っていて
どちらも忘れてはいけないに決まってる
忘れてしまえば何も残らない
だから昨日も今日もまた明日も
彼女との記録と記憶を脳内に焼き付け
生き続けよう』
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何から間違っていたのか。どこで踏み外したのか。どれだけ悩んで、考え抜いても、見当がつかなかった。
そもそも前提が間違っていたのだ。目的地が違っていれば、どれだけ順路を辿ってもたどり着かないのと同じように。俺の思考もまた結論へと結びつくはずがない。
ならばそんな誤解が生まれたのは何故か。前提すら見失うようなことがこの身にあったのだろうか。
あるとするならば、やはり彼女との記録と記憶の中にその手掛かりが残されているはずだ。
忘れもしないあの日。忘れてはいけないあの時間。出来れば目を背けたい、忘れてしまいたいあの瞬間。
どこかのタイミングで俺は見失ってしまったのだろう。幸と不幸が混ぜ込まれたような、壮絶な日常と非日常が同時に襲いかかった、ある意味記念日となった日に。
思い出すのではなく、見出さなければならない。今俺がすべきはただそれだけで。それ以外に力を削ぐ余裕などほんの一マクロも残されていなかった。
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夏休みとは明確には何か。学生が二学期を迎えるための準備期間。一方で、教師もまた同じように次に向けて体勢を立て直す期間とも言える。
その準備にあたって、教師は課題を与え、生徒は与えられた課題に取り組む。それが普通であり、一般的な生徒には日常とも言える光景だろう。
長期休暇は羽を伸ばす絶好の機会。特に夏休みは長い。身体を引き締め、魅せる水着を身につけての海水浴。慣れない下駄を履き、浴衣を着付けてもらっての花火大会やお祭り。その他にも祖父母の家を訪れるも良し、好きなだけ眠るも良し、はたまた部活に取り組むも良し。
とにかく学業にそこまで縛られることなく、日々を過ごせるのが長期休暇で、生徒達が歓喜する所以だろう。
だが、忘れてはいけない。何事にも例外が存在することを。思い出さねばならない。長期休暇には長期休暇なりの学業があることを。
そう。夏休みに入り、誰もが浮かれ、どんちゃん騒ぎをしているだろうと簡単に想像できる中。学校の教室内に、一人の生徒が机に向かって、何やら忙しくペンを動かしていた。
「くそっ……今日は本当に夏休みか?俺のサマーなバケーションは何処へ行った」
愚痴をこぼしたくもなるのは解るし、その気持ちも重々承知している。だけど同情の余地は――ない。
「口を動かす余裕があるなら、そのリソースを右腕に集中させろ!いつまで経っても終わらんぞ、天神ぃ?」
「愚痴の一つや二つも許されない世界なんて間違ってる!そして何より、教科書の厚さに相当するまで積み上げれた分厚い課題なんて絶対に間違ってる!」
「間違っているのは貴様の脳みそだ、バカタレ。辞典並みに積まなかったことを幸運に思え」
生徒とは天神党夜のことだ。そして、そんな党夜を見守り、見張り、監視するのは担任の水無月玲奈。
忘れてしまった人のために完結に説明しよう。
党夜は日向モール騒動後に実施された中間テストで玲奈が担当の英語で赤点を取ってしまった。只でさえ中間テストはまだ易しく、点を稼がねばならないと言われているのにだ。
玲奈のテストで赤点となる基準は中間・期末テストの合計点が七割以上。平均点で多少変動するが基本的には変わらない。なぜなら
玲奈が行う英語のテストは誰もが真剣に取り組む。それは赤点を取った者が長期休暇に呼び出され、地獄の補習が待ち受けているからだ。
つまり平均点は自然と上昇するので、玲奈は気にすることはないわけだ。そして、党夜の中間テストの結果は四割ほど。二〇〇点満点の七割は一四〇点。つまり、中間テストより難度が上がる期末テストでほぼ満点を取らねばならない状況だった。(この辺りは第三章では説明を省いていました)
そして迎えた、風霧・縫戸抗争後の期末テストで雌雄が決した。党夜はクラスメイトが見守る中、案の定規定の点数には到底到達せず。地獄の補習への片道切符を手に入れることになった。
こういった経緯があり、党夜は玲奈とのマンツーマンレッスンという名のしごきを受けていた。積み重ねされた課題の量は目を剥くものだった。しかもここには夏休みの宿題は含まれていない。これがどういうことか学生を一度でも経験したものなら容易に想像できるだろう。
デザートは別腹なんて甘い話ではない。補習は別に行われ、課題も別なんてやってられない。やってられないのだが、やらねばならない。これが地獄と評される玲奈の補習なのだ。
玲奈とて悪意があるかと問われれば、「まあそこそこ」と答えるだろう。これもまた愛情なのだ。英語の重要性はグローバル化し続ける社会では鰻登りだ。身につけておくに越したことはない。
といっても玲奈も玲奈なりの思惑があるのも事実だが。
「このままじゃ、課題を消化する前に腱鞘炎になっちまう。今発症しても地獄、たとえ終わってから発症してもそこからまた地獄だ。こんな課題に追われる休みなんて認めない」
「自業自得だな。勉強しないお前が悪い」
「だってぇ……」
無駄口を叩きながらも手は止めない。どうせ終わらせないと帰れない。そんなことは分かりきっている話なのだから。
しかし、玲奈にどんなに言われても党夜は言い訳だけはしなかった。本来なら中間テストも期末テストも受けれただけでも御の字と言えた。勉強などする暇がなかったのは事実。身の回りに起きた事件で手一杯だったのは間違いないのだから。
玲奈はそういった党夜が置かれていた状況については把握している。日向モールでは直接手を貸した程だ。知っていても甘やかさない。特別扱いはしないと決めたから。
(まあ、言い訳の一つでもしていたら張り倒していたからな)
などと心の中で呟く玲奈。おっかないことこの上ない。
そんなことは露知らず、党夜は今日与えられた課題の半分を終えていた。朝から来て既に昼時を過ぎている。適当に玲奈に対して悪態をつきながらも、課題を進め続けている党夜はすごいのかもしれない。たとえ早く終わりたい一心だったとしても。
「昼飯はどうするつもりだ?」
「まさかこんなことになるとは思ってなかったんで何も持ってきてないですよ。予定では午前中に帰るつもりでしたから」
「ご飯は妹さんが?」
「いや、結夏は今日友達とプールなんで。ああ、ちくしょう。あまり好きじゃないプールさえも楽園に思えてくる……だからラーメンでも食べて帰る予定でしたよ」
「なら、私もお供しよう」
「はい?」
「私もラーメンを食べたくなったから行こうと言ったのだ。まあ、一日目にしては張り切りすぎたからな、奢ってやろう」
「玲奈ちゃんと?奢るって……」
「なんだ?私と一緒では何か不都合でもあるというのか?ああ?」
玲奈からは冗談らしさは全く感じず、党夜は玲奈が本気なのだと悟った。と同時にこうなったら一緒に行くしか選択肢がないことも即座に理解した。その上で、奢ってもらえるから、と自分に言い聞かせる。
「何も……」
「なら決まりだ。身支度が済んだら職員駐車場に来い」
「車で行くんですか?」
「折角だから私の行きつけへ案内してやる」
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「レーナが男連れて来るとはな……いやいや、この世界は何が起こるか解らないもんだ」
「喧嘩を売ってるんだな?そうなんだな、大将?」
「怖ぇ怖ぇ……そんなんだからいつまで経っても独り身なのさ」
「大きなお世話だ。私はいつもの、こいつにも同じやつを頼む。言っておくが、こいつは教え子だ。勘違いするなよ」
「はいよ!おっかねえな、レーナは」
結局、党夜は断ることもできず―――というよりも断るなぞ選択肢にあるはずもなく。党夜は玲奈に連れられ、玲奈行きつけのラーメン屋に来ていた。
店構えは決して綺麗とは言えず、店内もまた然り。壁に並べられたメニューの書かれた貼り紙は、字が掠れ、剥がれかけているものまである始末。さらに席はL字カウンターのみで、席数は十席に満たない。
そして出迎えたのは、THEラーメン屋とも言える店主。無精髭に、腕まくりをし、額に鉢巻きをしている。齢は五十後半か。
行きつけと言うだけあって、玲奈と店主のやり取りはこれまで積み上げられたものであると見受けられる。党夜からすれば、玲奈に軽口を叩ける者は古夏真冬ぐらい知らない。
その中に、目の前で注文を受けたラーメンを準備する男が入るのだから、本当にこの世界は何が起きるか解らないものだ。
「なんだ、そんなにこの店が物珍しいか?」
「いえ、店というよりは……」
「俺だろ、坊主?ハハッ、レーナにも教師以外の面があってもおかしくないってもんだ。俺の調子に合わねえ奴は常連に成り得ねえんだよ。つまり、レーナは合わせられる側であって、坊主が見てるレーナだけが全てじゃねえってことさ」
「今日はえらく喋るじゃないか?手元がお留守になったら金を払わんぞ」
「そう、睨むなよ。文句は食ってからにしてくれ。それぐらい承知の上で言ってくるから、てめえは質が悪いんだ全く……」
そうこうしている間に、注文のラーメンが出来上がったようだ。話しながらでも店主は気を抜いた素振りは一切見せず、体内時計で測り、正確に水切りされた麺が、用意されていたスープが入った器に注がれる。
「ほらよ。店主のおまかせラーメンの出来上がりよ。レーナが大好きな味玉もトッピング済みだぜ」
「余計なことは言うな!」
「へいへい。まあ冷めねえうちに食べてくれ」
「「いただきます」」
党夜はまずスープを口に含む。焦がし醤油の香ばしさとこってりした豚骨が口内に広がり、一気に鼻まで駆け抜けた。
続いて麺をすする。細麺なのに、スープをしっかりと絡め取っており、箸が止まらなかった。気付けば器の中にはスープ一滴すら残っていない始末。
「気に入ってもらえて嬉しいぜ」
そんな様子を見ていた店主は党夜にそう声をかけた。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです。これまで食べたラーメンの中で一番」
「お粗末さん。いやぁ、教え子は先生に似るのかねぇ。その食べっぷりは初めて来た時のレーナそっくりだ」
「覚えてもないくせにデタラメ言うな」
「失礼な。俺はラーメンと客に関することは一片足りとも忘れたことがねえ。そっくりだよあんたらは」
その店主の言葉に玲奈は一瞬表情を変えたが、すぐにいつものものへと戻っていた。例え長い付き合いである店主であっても見抜けなかっただろう。それは党夜もまた同様で。
「また来るよ」
「俺もまた来ます」
「いつでも待ってるぜ」
こうして党夜と玲奈はラーメン屋を後にし、玲奈の車へ。
「ゴチになりました」
「ああ、気に入ってくれて私も嬉しく思うよ。じゃあ、私は学校に戻るが――」
「ちょっと寄りたい所があるんで、送ってもらえますか?」
食い気味に党夜は返答する。
「私は貴様の専用タクシーじゃないぞ」
「いいじゃないですか。後悔はさせませんよ?」
「……まあいい。このタクシーは高いぞ?」
「怖い怖い」
こうして党夜のナビのもと、玲奈は車を走らせた。
読んでいただきありがとうございます
誤字・脱字などがありましたら教えていただけたら幸いです
第64話は来週の土曜日18時投稿予定です




