第43話 覚醒の予兆
場面変化が多いです
「紫お姉さん?」
月夜見は見上げ、そう口にすることしかできなかった。
「い、い……」
自分が逃げたせいで、自分が関わったせいで、自分が助けを求めたせいで。無関係だった人が捕まった。まだそれだけなら良かった。
しかし悪夢はそこで終わらなかった。鎖で繋がれ宙吊りになっていた今日知り合ったお姉さん、平塚紫の胸を鎖が貫いたのだ。
「がはっ……!!」
胸を貫かれたことにより、口から血反吐を吐き、紫は一瞬だけ意識を取り戻したが、急に襲いかかった痛みで状況を把握することなく再度意識を失った。
「い、いやああああああああああ」
飛び散った血を浴び、一部始終を目の前で見ていた月夜見は絶叫する。泣き叫ぶ。
それを少し離れたところで見ていたのは飛鳥だ。
「嘘っ……!?」
少女の胸に金属製の鎖が突き刺さっている。飛鳥は見ていた。空間に突如生まれた鎖が少女の背中目掛けて発射されたところを。
しかしその後の行動が早かった。飛鳥は瞬時に踏み込んだ足に過負荷粒子を纏いブーストする。その場から消えた飛鳥はすでに鎖で繋がれた紫の真上に移動していた。
「ハァッ!」
そして移動の勢いのまま回し蹴りを繰り出し、二本の鎖を連続で破壊する。破壊された鎖は粒子となって霧散した。支えを失った紫は重力に従って落下する。階段にして三段ほどの高さで宙吊りにされていたわけだが、致命傷を負っている紫の身体ではその高さから受ける衝撃は計り知れない。
「しまっ……」
しまった、と計算せず鎖を破壊してしまった飛鳥は後悔する。空中には踏み込むための足場がなく、紫より上空にいた飛鳥ではどうしても先に地上に降りることも、回り込んで受け止めることも叶わない。
だが、最後まで言葉を発することはなかった。紫を受け止める者がいたからだ。それは塙山だった。
「なんてことを……」
塙山もまたその場で紫が鎖で貫かれるところを見ていた。塙山はその後の言葉が続かない。
なんてことをしてしまったんだ。それは相模ではなく己に向けられた言葉。後悔の念であった。
何度も悔いた自分の浅慮さ。自分の撒いた種がこのような形で芽吹いてしまった。本来関係なかった少女の犠牲という形で。
塙山は月夜見をただ助けたかった。だから今日の取引の時に逃がすのが最善だと疑わなかった。それなのに、その計算式は間違ってきた。というより初めから狂っていた。
それもそのはず。保護したのが党夜であったこと、党夜と取引相手のスネイクこと相模との間に因縁があること、相模が紫を人質に取ること。全てが計算外で想像もつくはずがない。それこそ未来予知の能力がない限り。
そういう意味では塙山がどうこうできるレベルはとっくの昔に過ぎ去っていた。塙山が掲げる理想を求めること自体無理難題だったのだ。
この屋上に来てもまだ何とかなると言う感情が抜ききれなかった塙山。身を呈して守る覚悟はあった。でも手が届かず、急襲に対して塙山が取れる行動などなかった。自分の無力さに最後まで気付かなかった塙山。塙山の覚悟などその程度だった。
思いつめる塙山の背後から風が吹いた。何かが通り過ぎたのだと塙山は悟る。そして見上げた。そこには赤い髪をなびかせた少女の姿。その少女は鋭い回し蹴りで鎖を破壊した。
「ああ……」
塙山は再度後悔する。すぐにでも行動に移せなかった自分に苛立ちを覚える。自分よりも年下の少女は咄嗟に鎖の破壊という行動に移したにも関わらず、それに比べて自分は、と。 しかし今回だけはそれが功を奏した。
飛鳥の着地が紫の落下に間に合わない。そして気を失っている紫は受け身を取ることができない。それに月夜見では身体が一回りも大きい紫を受け止めることができない。
(このために俺は……)
存在意義を定義する。それだけで塙山の動きは変わった。紫の落下地点に移動し受け止めの体勢に入る。月夜見も身体は大きいが、それでも紫の身体は塙山からすれば小ぶりな方だ。多少の重力加速度がかかっても受け止めるのは容易だろう。
(可能な限りは……)
塙山は全力で受け止める。ただ受け止めるだけではない。紫の落下速度に合わせて自分も膝を曲げ、屈伸運動で相対速度を限りなくゼロに近づけようとする。紫の身体への負担を減らすために。
こうして塙山は紫を受け止めることに成功した。そのままゆっくり地面に寝かせた。
(息はある。それでも危険だ)
貫かれた胸からは血がドクドクと流れている。鎖が具現化されたままなのが不幸中の幸いだった。凶器であるはずの鎖のお陰である程度の止血がなされている。万が一鎖の具現化が解ければ、堰き止められていた血液が吹き出すことになる。
「紫お姉さんっ!」
泣き叫んでいた月夜見がほんの僅かに落ち着きを取り戻し、紫の横にペタッと座り込む。紫の身体を揺すらなかったぐらいの冷静さはあった。
「やばいね」
次に声を出した飛鳥だ。着地した飛鳥はすぐさま紫に駆け寄った。そしてその現状を見て、判断した。良くない状況だと。
「私の能力では治癒はできないよ。それは月夜見ちゃんも同じだよね?おじさんはどうなの?」
それでも自分たちが出来うることを模索する飛鳥は塙山に問う。
「申し訳ないが私の力でも無理だ。戦闘での目くらまし程度にしか使えないような非力なものだ。治癒なんてとても……」
答えは否。この三人では治癒は叶わない。
「解った。私の過負荷粒子でこの子を覆う。ちょっとでも緩和出来たらいいんだけど」
そう言うと飛鳥はすぐに行動へ移した。紫の身体に触れるか触れないかの距離に手をかざし、過負荷粒子で紫の身体を包み込む。
「これじゃ応急処置にすらならない。早いとここの子を運ばないと」
飛鳥が発言したその時。
「うわぉあぁああああああがぁぁああ」
党夜の叫び声が響き渡る。党夜を中心に過負荷粒子が荒れ狂い、風が吹き渡る。飛鳥がキレた時とは比べ物にならないその異常性に飛鳥と塙山が絶句する中。
「だ、だめ……お兄さんっ!」
月夜見だけは反応を示した。党夜を止めるような発言をした。
「それは……絶対に……」
党夜を直視する月夜見は恐怖のあまり、無意識に歯をカタカタと鳴らし、両腕で自分の身体を抱く。それでも党夜を見据え、訴える。
月夜見は気付いた。いや気付いていた。党夜と出会った時にその異常性に気付いていた。月夜見の能力は自身の右目から発せられる微弱な特殊な過負荷粒子を対象者の目が合うと同時に干渉することで、対象者の心を覗き、意識に刷り込みをするものだ。
党夜に助けを求めたのは能力を使ったことで党夜が能力者であることが解ったから。そう月夜見は答えたが、もう一つ伝えていない理由があった。それは党夜の心が普通ではなかったから。
月夜見はこれまで幾度となく能力を使ってきた。月夜見の能力は発動してしまえば防ぎようがない。だからこそ、対策は発動条件の阻害または月夜見の撃破以外あり得ない。そう有り得ないはずだった。
しかしそんな中今日出会った少年は例外だった。
(お兄さんの心にはヨミの力でも覗けないところがある。まるで靄がかかっているみたい)
党夜の心を覗いた時、月夜見はそう思った。その後、覗ける範囲内で得られた情報を基にして、結論を導き出した。
(この靄の奥にお兄さんの封印された力が眠っているんだ)
月夜見の答えは凡そ的を射ている。しかしこのことを月夜見は党夜に伝えなかった。伝えるべきではないと判断した。結論は導けても、言葉ではうまく説明できないこの現象に対して躊躇していたのかもしれない。
今、月夜見はまた党夜の心を覗いていた。党夜の暴走を認知してすぐさま、無意識のうちに能力を発動していたのだ。
そして視たのだ。党夜の心にあった靄の一部が消えようとしているところを。党夜の身に起きている過負荷粒子の暴走は靄が消えようとしている副作用に近いものであると月夜見は悟った。と同時にこの現象を止めなければならないとも悟る。
咄嗟に本来の能力を発動する。それは心の中に月夜見の意思を刷り込むもの。不自然がないように刷り込むことで、対象者に違和感を感じさせることなく、月夜見の意思に従うことになる。無理やり行えば対象者の心の器に傷を付け、下手をすれば心を破壊してしまうかもしれない恐ろしい能力。
だが今は迷っている時間はない。もちろん党夜の心を破壊してしまってはなんの意味もない。月夜見は細心の注意を払って、党夜の心を落ち着かせ、この現象を止めようと能力を使った。しかし。
(えっ!?弾かれた!?)
月夜見の能力は党夜によって弾かれたのだ。そのことに動揺を隠せない月夜見。これもまた初めてのことだった。
(なんで!?このままじゃ……)
もう月夜見には党夜を止める手段はない。ただ飛鳥や塙山と同様に、見守ることしかできない。月夜見は最後の力を振り絞り声を出す。
「それは……ダメなの……お兄さん……」
しかし消え入りそうな月夜見の声は最後まで党夜の耳に届くことはなかった。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
『やっぱり、こうなったのね』
『予想を裏切らないというか』
『こうはなってほしくなかったのにね』
『ええ』
『とはいえ悲しいですね』
『でも仕方がないよ』
『そうです』
『一暴れしようぜ』
『あなたは黙ってなさい』
『でもさぁ』
『そうよ』
『あの子の身体が保たないわ』
『それにあの時話し合ったでしょ?』
『ええ、私達は干渉しない』
『その上で一緒に背負うってね』
『そうかよ』
『まあ今回は相手が悪かったね』
『それはどういう意味?』
『判るでしょ?』
『解かるよねえ』
『分からないはずないよ』
『なんたって』
『私達は』
『みんなで一人』
『なら見守ろうぜ』
『新たな宿主の覚醒の末を』
『パンドラの箱を開けてしまった愚かな者の最期を』
『『『『悲劇の幕開けよ』』』』
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
『鍵認証コード確認
バックアップからファーストフォルダー抽出
素体へインストール
同化による負荷無し
終了まで0.4秒
素体の健康状態に異常あり
バックアップから原体ダウンロード
素体へインストール
自動修復による負荷無し
終了まで0.2秒
過負荷粒子の自動制御
脳への衝撃レジスト
細胞の再活性エネルギー維持
素体へアプライ
各々による負荷無し
終了まで0.2秒
以上の項目に不具合なし
実行に移ります』
党夜の頭、正確には脳内に電子音が流れる。半覚醒状態の党夜にこの音は聞こえない。脳を直接刺激している(もちろん負荷はない)ので聞こえているという認識はあるが、知覚していない。もちろん周りの者にも聞こえるはずもなく。
その時はやって来た。
『全項目コンプリート
素体に異常なし
ファーストステージ“憤怒”開放』
遂に放たれる。世界を恐怖に包み込んだ第一世代の中でも一線を画すDoFの力が、運命を引き継ぎし天神党夜の手によって。
第一波はすぐに現れた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
「チッ……あのバカ……」
能力の発動を予兆する大気が震えが肌を刺激する。党夜の覚醒終了直前、覚醒と共に来るであろう余波、その後の戦闘を想定し事前に動く者がいた。水無月玲奈だ。
「あれほど忠告しただろ……私の足を引っ張るなと……」
玲奈はぶつぶつ文句を言いつつも対策を打つ。まず日向モールを中心ととする半径5kmの三次元空間を設定し、脳内に全複写フルコピーする。この時、玲奈自身が知っていようといまいと、設定した範囲内の建造物は寸分変わらず玲奈の脳内に複写される。
これは能力によって空間認識能力が大幅に向上していることに起因する。空間認識能力とは物体の位置・方向・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を即座に、そして正確に把握・認識する能力のこと。
これを駆使することで設定範囲内の空間を完全に把握し、正確に認識することで初めて能力が発現することが出来るのだ。
空間系能力と空間認知は切っても切り離せないものだと言われている。元々空間認知に長けていた玲奈に空間系能力が宿ったのは奇跡と言える。相性が良すぎたのだ。
しかし作業はそこで終わらない。その後次元の間に新たな空間を作成し、全複写したものをそのまま転写・模倣する。すると日向モールと半径5kmの等身大模型が完成するのだ。色彩や質量なども再現されているので、本物のとの違いは見当たらない。
最後に一般人を巻き込まないよう、擬似空間に転送する者を選択する。今回の場合は、党夜達数名だけ。そして空間転移を用いて実行に移す。
ここからが玲奈の真骨頂だ。空間転移は11次元を媒介して3次元間で物質を転移させるものだ。変数には指定した者の座標を代入し、高速演算から最適解を導き出す。
今回の場合、玲奈が創り上げた空間への転移なので、転送後の座標は変数ではなく定数として計算することが出来る。これにより演算の負荷を減らすのだ。
字面だけでも複雑なのがよく解る。これを瞬時に行うのだから玲奈の能力者としての力量が伺える。
「依頼と言えど私の能力は燃費が悪い。非常に疲れるんだ、全く……この借りは高く付くぞ、天神」
肩で息をしながらぼやく玲奈。額からは汗が滲み出る。披露が顕著に見られる。遂には膝をついてしまった。
「依頼料上乗せまであるな」
こうして空隙姫、水無月玲奈の能力が発現する。
その頃、党夜の異常なまでの過負荷粒子の放出と玲奈の空間操作による時空干渉余波を感じ取った者がいた。
「これって移し鏡の?それにもう一つは……お姉ちゃんの干渉余波!?」
玲奈の妹、水無月桃香だった。
「ダメだよ。そんな大規模な空間操作をしたら……お姉ちゃん……今助けに行くからっ!」
桃香の行動は早かった。干渉余波の中心、濃縮粒子の震源地である日向モールに向けて駆けた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
目覚めた時、党夜は先程まで見ていた景色とはまるっきり変わっていることに気付き、少し眉を顰める。
党夜を中心にして同心円状に衝撃波が広がり日向モールの外装はズタズタ。
この空間は日向モール周辺を忠実に再現した模型なので、実際の日向モールには何ら影響はない。覚醒の余波が周囲に被害を与える前に、玲奈によって対処されたのでそれこそ傷一つついていないだろう。
党夜は玲奈の一連の行動を知らない。しかし、党夜にとってそんなことはどうでも良い、些細な問題でしかなかった。今最も大事なのは、
「紫………」
幼馴染の名を呟く。そして気がつけば、党夜は紫のすぐそばに跪き、鎖に触れる。触れた瞬間にそれは起きた。
パリンッ!
党夜が触れただけで紫の胸部を貫いていた鎖が、音を立て粒子となり消えた。党夜がした一連の行動を月夜見、飛鳥、塙山はただ黙って見ていることしかできなかった。その中で飛鳥が一番に我を取り戻した。
「新人くん!そんなことをしたら止まっていた血が!」
そうだ。今紫の置かれた状況はとても切羽詰ったものだった。特に致命傷となっている鎖を無闇に動かせば、堰き止められていた血液が溢れ出す危険性があったからだ。この状況でこれ以上血を流せば助かる見込みがゼロに収束しかねない。
「大丈夫、ほら」
「えっ………」
感嘆の声を上げたのは三人のうち誰だったのだろうか。いや全員だったのかもしれない。それもそのはず、寝かされた紫の胸が元通りになっていたのだ。まるで鎖が刺さっていたのが幻覚であったかのように。はたまた、時間が巻き戻ったかのように錯覚したに違いない。
「紫をお願いします」
そう言うと党夜は姿を消した。飛鳥だけは何とか党夜の動きを捉えることができた。党夜は一撃で撃破したはずの相模のところへ行ったのだ。
突然の出来事で飛鳥らはここが玲奈によって模造された空間であることに気付くことはなかった。今なお、目の前で起きた現象を信じられないけど目で見ている。特に飛鳥は顕著だった。
(こ、これがDoFの力……)
DoFの力の恐ろしさは並の能力者なら誰でも知っている。気に入らないものは破壊し尽くす。傷を負ったとしても何事もなかったかのように再生する治癒力をも持つ最凶最悪の能力者。飛鳥は今その力の一片を垣間見たのだ。
そんな中、心中穏やかでないのは月夜見だった。荒れ狂う過負荷粒子が収まり、心配だった紫が何故だが傷が癒えたのだ。なら喜んで然るべきである。しかし月夜見は。
(あ、あ、あ……あの人は、お兄さんじゃない)
心を読める月夜見だからこそ、月夜見だけが気付いた党夜の正体。先程とは別種の恐怖が月夜見を襲う。今回ばかりは対象者の心を覗ける能力を持ってしまった月夜見の不運といえる。
なにせ飛鳥と塙山は多少違和感を感じつつも、目の前で瀕死に陥っていた少女が助かる現場を見たのだ。傍から見れば正気を取り戻した党夜が力に目覚め、治癒したとした思わない。
だが、それは表面上のものでしかない。例え心が読めなくとも、党夜と長くの時間を過ごした家族、または幼馴染、そして最近濃密な時間を過ごした未桜や涼子なら気付けたのかもしれない。
党夜の心の奥底で煮え滾った殺意、憎悪、憤怒などの負の感情が沸々と溢れていたことに。負の感情に呑まれた党夜にほとんど自意識というものは残されていなかったことに。
気付けなかったことを責める者はここにはいない。気付いても止められなかったことを責める者もまた、いない。もうすでに手遅れだったのだ。
こうして天神党夜の顔をした何かが、自身の中で壊れた何かを満たすため、元凶である鎖の能力者の前に立った。
読んでいただきありがとうございます
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第44話は土曜日18時投稿予定です




