第27話 意向と嗜好はいい香り
修行パートの裏で話は進みつつあります
夕暮れ。ブラインドの隙間から漏れる夕焼けに照らされ赤く染まるある部屋の中で大きな椅子に腰掛ける男が一人。内装を見た者は社長室の印象を受けるだろう。来賓用のソファーや経営学系統の書籍が並べられた本棚。まさに組織のトップの者にこそ相応しい内観といえよう。
そしてそこに訪れる者が一人。トントンとノックをした後に、中からの返答を聞くことなく部屋の中へと入った。
「ただいま戻りました」
「おかえりアスパラ君。遅かったじゃないか」
「そうですね」
アスパラ君と呼ばれたのは若い女性。紅色のツインテールで胸は日本人にしては大きくスタイルもいい。目はぱっちり、背は女性の平均身長ぐらいだろうか。
「二ヶ月もかかる仕事ではなかったはずだよね?」
「はい。仕事はひと月ほどで終わってました」
「ではなぜ?」
「少しお休みを。約一ヶ月はバカンスしていました」
「おいおい、また勝手に……学業の方はいいのかい?」
「問題ありません。事前にその旨を学校側には伝えておきましたし、進級には差し支えありません」
「俺の方には一切伝わってなかったし、差支えありまくりなんだけど、その辺は?」
「真冬先輩にはきちんと伝えましたよ」
「俺に伝えてよ」
男の口からはハァと溜息が漏れる。その報告を受けていないのである。つまり男は今直接本人から事後報告という形で知ったのだ。溜息の一つも出て当然と言えよう。
返答に困ったからだろうか。女は「あっ!」と声を上げパンッと両手を叩いて何かを思い出した時の仕草すると、スカートから一枚の紙切れを取り出した。
「これがその時の領収書です」
「あたかも今思い出したかのようなわざとらしい言い方なのはわざだよね?話を逸らすためだよね?」
「………」
「まあいい。どれどれ…」
訪問者から一枚の領収書を受け取った男は内容を確認する。そして顔色が見るからに悪くなる。具体的には青、真っ青である。
「一つ質問してもいいかな?」
「はい」
「もしかしてこれバカンスのも含まれてる?」
「もちろんです」
悪びれることも誤魔化すこともせず女は答える。
「ほとんどがバカンスでのものだよね?」
「もちろんです」
「そりゃないよ〜アスパラ君〜」
両手を大きく挙げてオーバーリアクションを取る
男。男の手から離れた領収書が宙を舞う。それを無表情・無感情で視界に捉える女。
「なら、いい加減アスパラと呼ぶのは止めてもらえませんか?不愉快です。まあ止めたところで請求額が変わることはないんですけど」
「アスパラ君はアスパラ君じゃないか」
「私の名前は明日原飛鳥です。アスパラではなく、あ・す・は・ら」
「怖い顔で睨まないでよ……一応俺上司だよ?そんなんだから彼氏も出来ないし、いつまでも処女のままだよ」
ブチッ
もしこの部屋にいたのなら血管が切れたような鈍い音を聞くことができただろう。他の言葉に言い換えるのであれば、それは地雷の作動音。踏んではならないものを踏んでしまったことを示す音。
「は、は、は……死ね!」
轟!!!
乾いた笑い声が途絶えると同時に飛鳥は凄まじい速度で椅子に座る男に殴りかかった。瞬時に過負荷粒子での肉体強化を済ませてある。特に速度を上げるため、踏み込み足に多くの過負荷粒子を集めていた。
フェイントなどの余計な動作は必要ない。自分と相手を結ぶ直線距離を最短で詰め、拳を叩き込むだけでいい。能力を使うことはしない。女性とは思えない単純な力技。
本来ならば姿を追うことすら困難な状況だ。なんせ二人の距離は3mすら満たないのだから。しかし飛鳥が思い描いていた絵にはならなかった……
バチン!!
「強くなったねアスパラ君」
「くっ…」
男はいとも簡単に彼女の拳を受け止める。飛鳥も受け止められることは想定の範囲内だった。想定外だったのはそこではない。男は飛鳥の攻撃を人差し指と中指のたった二本で受け止めていたのだ。
「バカンスで少し身体が鈍ってるかと思ったけど、そうでもなさそうで安心したよ。日々のトレーニングは怠らなかった証拠だね」
「ッ………!!」
男に諭され飛鳥は身を引く。分かっていたことだが、ここまでも目の前に鎮座する男との実力の差があるのかと思い知らされたからだ。
そう、男は座った状態で飛鳥の拳を受け止めた。いや、上手に威力を受け流した上で止めて見せたのだ。たった二本の指だけで。
「そう自分を責めることはないよ。俺の記憶が正しければ、この前までは人差し指一本で十分だった。俺に中指を出させたのは成長の証ではないかな?」
「………」
男は別に飛鳥を卑下しているわけでも嫌みを言っているわけでもない。それに己の力を誇示しているわけでもない。これが男の素直な感想であり、純粋に飛鳥を評価しているのだ。
分かりにくいのはただ男が口下手なだけだ。飛鳥もその事を理解しているからこそ、これ以上襲いかかることもなく、黙って話を聞いている。
「アスパラ君はまだ若いんだ。そう急ぐことはない。十年もすれば俺を倒せるようになるよ」
「バケモノっ……」
そう言い残し飛鳥はそそくさと部屋を出ていった。元はと言えば、帰還報告のために訪れただけだ。すでに用件を済ました飛鳥にとって、この場に留まる理由はない。
バタン!
力強く閉められた扉の音だけが耳に残る。
「また怒らせちゃったかな」
「だろうな」
「ん?キュウリ君か……驚かせないでくれよ」
独り言のつもりで呟いたものに返事があり、戯けてみせる男。声の主は部屋の隅に佇んでいる。影に隠れて顔は見えない。分かるのはその男の異様さだけ。
「驚く?冗談はよせよ。気付いてたくせに……」
明日原のやつは気付いていなかったがな、と付け加える。そう、飛鳥が来た時にはすでにこの部屋にいたのだ。それほどまでにこの男の存在は希薄かつ気迫で。
「素直に驚いたふりをさせてくれてもいいじゃないか……」
そして椅子に腰掛ける男は初めから気が付いていた。しかし、飛鳥が来たことで彼女を優先したが故、キュウリへの対応が後回しになったに過ぎない。
「毎度同じ反応をされたら俺だって飽きる」
「毎度同じ方法で出てくる君が悪いんだよ」
これも毎度お馴染みのやり取り。彼らの中ではすでにルーティーンになっていた。隠密に訪れる男とそれに気付かないふりをする男。
「で、例の件はどうだった?」
「ああ、やはり持ち込まれていたようだ。だが、今は逃げられたようで血眼になって探してるよ。直に見つかるだろうが」
「ほう……保護は可能かな?」
「難しいな。それに今はそのタイミングでもない。素人だが能力が厄介だ。こちらから行くのは得策ではないだろう」
予想していた質疑に用意していた解答を提示する。話を円滑に進める一種のテクニックである。
「キュウリ君にしてはなかなか弱気じゃないか」
「俺だって任務は選ぶ。ここから先は姉川あたりに任せたいな」
忘れがちだが、姉川とは未桜の苗字だ。
「う〜ん、どうしたもんかね〜」
男は顎に手をやり思考のポーズを取るが、キュウリにとってこの流れもまた予想通り。これまた用意していた策を開示する。
「早急に手を打つべきだと思うが、如何せん刺激はできない。最善は向こうから接触してくることだ」
「保護は誰かに任せるとして、誘導だけ引き受けてくれないかな?」
「その程度なら……で、誰に?」
「そうだねーーーーーーかな」
「いいのか?」
想定外の名前を挙げられ、キュウリはほんの少し動揺する。しかし、それは一瞬ですぐに取り繕う。
「いいよ、その方が面白い」
「全く……あんたの面白半分で巻き込まれるなんてたまったもんじゃないな」
「頼んだよ」
「御意」
新たな任務を受けたキュウリはその場を後にしようとするが、
「もういくのかい?他のメンバーに顔だけでも見せていけばいいだろう」
男に止められる。これはキュウリが最も警戒していた話題だった。
「いや、やめておこう。俺が他の奴らと会うのは俺の力が本当に必要となった緊急時だけだ」
冷静にいつもと同じ言葉で男の提案を拒否する。
「かっこいいこと言うね。ならミズナ君にだけでも会ってきたらどうだ?彼女、君の帰りを待ってるんじゃないかな」
キュウリの眉がピクリと動く。
「今のアイツには俺の助けはもう必要ない。それほどに強くなった。力、そして心も」
そう言うとキュウリの姿、そして気配もこの場から消えた。
「素直じゃないね〜でもミズナ君のことになるとムキになるところは素直と称していいのかもな」
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
「見つかったか?」
「はい。無事捕獲完了しました」
「全く……手間をかけさせやがって。上手に逃げ回っていたようだな。流石といったところか」
「はい。道行く人に手助けしてもらっていたようです。お陰でこちらのあらゆる手を封じられました」
「なるほどな。本当に厄介だよ」
「二度とないよう気をつけさせます。今度は逃げる隙を完全に排除しましたので問題ないかと」
「ならいいんだが。もうこんな思いは二度とゴメンだからな。えらく寿命が縮んだぞ」
「すいません」
「まあいい。問題はここからだからな」
「はい」
「クライアントはどうだって?」
「先方からは出来るだけ早く受け渡してほしいにと申し付けがありました。明後日で構わないかとのことです」
「そうっすね。こっちにも事情がありますからね」
「いつからそこに?」
「今来たとこっすよ。心配しなくていいっすよ?一度取り逃がしたことは他の連中には流さないっすから」
「っ…………まあいい。こちらもそれでいいと伝えてくれ」
「では取引は明後日でもよろしいですか」
「こっちも早いに越したことはない。また今回みたいなことが起きないとも限らないからな。こんな危険な爆弾はこちらに被害が出る前に渡してしまうに越したことはない」
「分かりました。では、先方にはそう伝えておきます。にしても『ラット』さんから伝えなくていいんですか?」
「俺っちはそこら辺にいる鼠だと思ってくれたりいいっす。名前もラットですし。まあお気遣いなく」
「ふんっ。で、取引場所は決まってるのか?」
「はい、確かに場所は……」
「平塚ヶ丘は日向モールです」
読んでいただきありがとうございます
誤字・脱字などありましたら教えていただけたら幸いです
第28話は土曜日18時投稿予定です




